「それで、仕事ができますか」と聞かれたし。
最後に、「ところで自分は何をしたらいいですか」と聞くのは権利だと思え。

仕事は、仕事ができるようにしてから、着手しろと。
仕事ができる様に準備しろ。
仕事ができる様に支度をしろ。
仕事ができる様に、頭を整理してから仕事にかかれ。
会議を開くなら、会議が開けるように準備しろ。
それが事務方の仕事だと。

会議の結果は、会議を開く前に見えているともね。
成功するか否かは別に、少なくとも、失敗するか否かは見えている。
報告書や記録は一人がつければいいなんて思っている人間は、チームワークの意味も報告書の意味も解っていない。
報告はチームの状態や、自分たちの置かれている状況、仕事の進捗状態をリーダーが正しく把握して適切な指示を出す事と報告者が自分の考えを整理し、次に自分がやる事を準備する事を目的としている。
酷いリーダーは、「報告書は、自分が書いとくからいいよ。」なんて言う。
それは、メンバーを馬鹿にしている事に気がついていない。
いつ、どこで、誰に、何を、どのように、報告させるかを考えれば、仕事の、手配、差配、指図できる。
なぜなら、報告の裏に仕事が隠されている。
その仕事を目に見えた形にして読めばいい。
報告の意味が解らなければ、組織を動かすことはできない。

最初から、結論は出てしまう。

指示命令は悪だ。強制はしてはならないという思い込んでいる人が結構いる。

そういう人は何かというと自主性、自発性という。
しかし、組織は、指示、命令で動いているのだし。強制のない社会はない。
指示、命令が悪いのではなく、整合性のない、理不尽、不合理で、不道徳な指示、命令が悪いので。
根拠のない、強圧的な強制、基本的な権利を無視する強制が悪い。

自主性、自発性というとなにか、相手を尊重しているかに聞こえるが、実際は、極めて、無責任なこと。
自主性とか、自発性というのは、相手に決めさせ、自分では決めないという意味である。

指示をするというのは、指示者が責任を持つ宣言することであり、自主性に任せるというのは、責任を持たないと言っているような事だからである。
今の学校は、強制は悪い事と教育しているが、そんな国はどこにもない。
なぜなら、法は、強制だからである。
法治国家は法に基づく強制を前提として成り立っているので、強制が悪だなんてしていない。
ただ、権力者の恣意的な強制は悪だとしているだけである。
つまり、特定の個人による強制は悪いと言っているのである。
強制は悪いというのは無法者、無政府主義者の発想である。

一種の呪縛みたいなこと。
指示する方も、指示される方も、決めて指示しようとすると、途端に固まって何も決められなくなる。
もう一度言う。
指示・命令は悪い事ではなく、責任をもって決めた事の証である。

下から提案、上申、(ボトムアップ)決定、指示、(トップダウン)の形がきれいなので。

一人で提案して決めるていては組織は機能しない。
大体、独断専横を防げない。
だから、あえて担当を置き、下から提案させ、打ち返すように決め、指示する形を取る。
よく、任せるのはいいが、決めるのはお前だよと躾けられた。

一人で提案して決めるていては組織は機能しない。
大体、独断専横を防げない。
だから、あえて担当を置き、下から提案させ、打ち返すように決め、指示する形を取る。
よく、任せるのはいいが、決めるのはお前だよと躾けられた。

部門長も、プロジェクトチームのリーダーも、リーダーなの。
リーダーは、人の集団の束ね。
チームのメンバーに自分の考えや方針を示し、指示を出さないリーダーはいないの。
トップや会社の方針や考えを理解しようとしない、リーダーもいない。

仕事は、なんだかんだ言っても結果を出さなければならないんだからな。
世の中には、話の分からない人、通らない人は、どこにでもいるの。
だからといって、結果を出さなければ、潰れてしまうの。
そうなったら、話の分かる人間と話し合ってやっていくしかない。
話せば、話がわかる相手か、どうか分かるだろう。
話の通じない人間といくら話しても無駄だよ。

起案、提案、決定、指示によって、組織は、決定を認識する。
一人で、決めただけでは、組織は認識できない。
提案と決定を分担する必要がある。
それによって、一人の人間の限界を補っている。
何もかも一人でやったら組織は機能しない。

トップは下からの上申がないと原則決められない。
だから、自分の発案でも、一旦、担当に落とし、提案、上申する形を取る。
そのために、自分の考えに近い、或いは、理解できる者を担当として決めるのである。
トップや会社の考えに反するものには、大切な事は任せられない。

起案(提案)、決定、指示(通知)の一連の過程を分担する事(組織的決定)で組織は決定を認知できる。
基本的に組織決定は、起案、決済、承認の一連の行為によって成立する。

決定の共有は、提案、決定、指示、通知という行為、作業によって検証され。
情報は、報告、説明、確認等の一連の目に見える行為、作業によって検証される。

それが手続。

組織にも仕事にも工程がある。

組織は三階層。
トップが決めて、マネジャー(部門長)が仕事にして担当に指示し、担当が、指示に従って仕事をする。

担当者に指示が伝わらなければ仕事にはならない。

仕事は、指示された範囲内なら担当者間で打合せて進めていい。

監督が自分が打つことばかり考えていたらチームはまとまらない。

とりあえず、担当だけは決めておけよ。
そうしないと、仕事にならないからな。
それとなるべく早い時期に顔合わせだけはしておけ、そうしないと組織が動かない、起動しないからな。
いつでも始動できるようスタンバイ状態にしておけよ。
後は、本格的に始動するまで、繋ぎつなぎだなと。

そう言われて育ったし、そう言ってきたのだけど、本当に、無視されたものな。
先輩が、常識がない、常識がないとこぼしてたけど。
常識のない人間が指導したから。
その上、学校で、強制は悪だ強制は悪だととんでもない教育するから。
若いのは、かわいそうだよね。
自分達の力で組織、社会を纏めていかなければならないのだから。

担当を決めて、指示さえしておいてくれれば、担当者間で打ち合わせて仕事を進めていけばいいの。
その上で、担当者間で決められない事を上に行って決めてもらう。
そうしないと、仕事にならないよ。
実際の仕事をするのは、担当者なんだから。
だから、我々の感覚では、実際に、仕事を推進したのは、担当者だし、担当者会議。
プーチン大統領が、前線の部隊の指揮を執ると思う。
仮に、そんな事があったらお終い。誰が考えてもね。
だけど、担当を決めていないと言うのは、目鼻、手足がないのと同じで、それこそ、手も足も出なくなる。
仕事にならなくて、できなくて当たり前。

監督が、自分がバッターボックスに立ちつもりになって、打つ事ばかりで頭がいっぱいになったら、監督の仕事はできない。
トップは、細かいことわからなくても、実際の仕事は担当者がやるのだから、問題ない。

東日本大震災の時、総理が、自ら、前線に行ったために被害が拡大した。
阪神淡路の時は、総理が決断できずに同様に、被害が拡大した。
事後に、いくら自分を責めても、現実は現実。

上が何もわからないと言っても結果は出さなければならない。
だから、事件は下に下に、現場の近いところ、担当者に委譲していくのが好ましい。

自縄自縛にしておいて仕事ができないはない。
担当者間で打ち合わせてドンドン仕事が進められるようにする。
その前に、担当を決めろ。

要するに、チューナーとアンプとスピーカーを買ってきて並べれば音がでると。
パソコンを買ってきてじっと見ていれば、パソコンは動くと。
テレビを、壁にかければ、テレビが見えると。
コードを繋がないと、家電製品は動かないし。
コードのつなぎ方を間違えたり、初期設定をしなければ正常に作動しない。
電源を入れないと動かない。
テレビは、魔法の箱ではない。
そう言い続けたのだが、未だに、決戦は誰かしてくれる、あるいは自然にできると。
きちんとコードを繋いだうえで、電源を入れないと、動かない。
組織も、仕組み。情報によって動く仕組みだと言う事を忘れないでほしい。

あいつに、聞けばわかる、できると思う。
十分話せばわかるでしょう。
具体的に、何を、いつまでに、どのようにしたらいいか聞き取れなかったら、基本的にわからないと思っていいよ。
わからない原因は、自分にあるか、相手にあるかはわからないよ。
ただ、仕事ができないと言うことだけは確か。
だったら、わかる人に聞けが原則。

いくら話してもわからないものは、わからない。
そう言う人間に注意したところで聞く耳を持たない。時間の無駄。
俺を馬鹿にするのかと逆恨みされるだけ。

そうなったら、わかる人間、できる人間と組んで仕事をするしかない。
そうしなければ、全体も、自分もおかしくなる。
仕事は結果を求められる。

相手を見て仕事をしろ。

実際に仕事が頓挫したら、馬鹿の、間抜けの、あいつの性だと言われるのは担当者だからな。
担当者間でお互いに協力して仕事にしないと。
いい訳、弁解のできる様に、最初から仕組んでくるからな。

自分で自分の身を護るようにしないと。これからは特にね。誰も守ってくれないよ。

結果を出せばいいんだよ。

だから、それで仕事ができますか。
できないと思うのなら、仕事ができる様にしなければ、替えなければ。
仕事にならないでしょ。
馬鹿の間抜けのといったところで、仕事にならなければ、同じ穴の狢。
駄目な上司は、駄目な部下を求めるものさ。
結果、うまくいかないから。