民主主義的な体制というのは、セレモニーが大切で。
事を起こす前、事前に、セレモニーによって意思統一をし、心を一つにし、ベクトルを合わせておく必要がある。

昔から、有史以前から、つまり、人間の文明のは決まりは、冠婚葬祭。
つまり、結婚や、葬式ね、
それを儀式にしたことで、文明が起きたと言われる。
その時から、冠婚葬祭を仕切る者が司祭で、
そして、司祭が組織の長とされた。
難しく言うとね、世俗的リーダーではなく。
精神的な指導者ね。
人類の原始から、セレモニーは、社会をまとめるための重要な手段だった。
戦後、それを徹底的に軽視馬鹿にするように教育をした。
誰だろうね。そんな事を画策するのは。
お蔭で日本人社会は、まとまらなくなった。
匠だね。
今でも、日本を脅威だと感じる国は、何が脅威かというとね。
日本人の規律正しさ。統制のとれた集団活動。
大震災の時も、暴動を起こすことなく統制のとれた行動をした。
日本を見習えと。
ところが、学校であは、規律や統制は悪だと。
ちなみに、自由主義国も、社会主義国もセレモニーを重視する。
自由とか、平等とは関係なくね。
構造主義というの現在の哲学の最高峰と言われるけど。
その構造主義が研究対象とするのは、祭礼と儀礼、儀式ね。
セレモニー、儀式を軽く見ないように。
やくざだって、僧侶だって、儀式の重要性はわかっている。
インテリぶっているのに、儀式は封建的だなんてね言う奴いるけど。馬鹿だね。

先日、テレビのニュースで、最近の若い女性は、結婚式をやりたがらないと。
面倒くさいし。大勢に人の前に出るのは、恥かしく。鬱陶しい。お金もかかるし。どうでもいい。
ここまで来たかて感じ。

結婚式の目的は、知らしめる事であり。
女性にとって晴れの舞台だった。
喜びの儀式だった。
知られたくない、億劫だと言われればそれまでである。

人と人の関係に背を向け。
そこには、社会がない。

人生は、生病老死で、冠婚葬祭です。

敵対する勢力は、相手を弱体化する為に、相手の優れたところを欠点と思い込ませ、自分から改めさせようとするのは、戦略の常道手段。
敵対する者が、ひたすら、悪い悪いとすることは注意した方がいい。

日本人は、勤勉だと言われたのは、今は、昔。
今は、勤勉は悪徳であり。働かない事、休む事は美徳。
親父たちは休むことを嫌った。
なぜ休まないのかと聞くと。
仕事の流れが途切れる。
集中力が続かない。
段取りが狂う。
気持つが続かないなど、いくつも上げた。

今は、仕事そのものを悪。
なるべく、楽して儲ける事がいい事として教える。
アリとキリギリスの寓話など、過去の話。
日本が衰退するわけだ。

仕事の段取りもけじめも、信義もどこ吹く風。

いつ、どこで、誰が、誰と、何を打ち合わせた。
それを繋ぎ合わせて見れば、仕事の大枠、全体なんて見えてくるの。
それを要件定義という。
個々の、内容や結論は、当事者に任せればいい。
個々の内容は、その時にならなければわからないし、結論は、その時にならなければ出せない。
だけど、段取りや予定は、事前に組める。
だから、事前に決めるのは、段取り手順であって、結論でも結果でもない。
個々の内容に囚われたら、全体像が見えなくなって、何も決められなくなる。
木を見て森を見ずというだろ。
詳細は、任せればいい。
先ず、段取り手順を間違えないように。

通常は、引き取るではなくて、任せてもらえないかという。
任せると言うの、通常、責任をもって処理をするという意味と権限を与えると言う二つの意味があるから。
引き取ると言った場合、単に引き受けるという意味合いが強いから。
責任を持つと言うなら、任せてくださいだよね。
それなりの覚悟をしないと。
それに、ああいう会議は権限の争奪ね。
任せてもらうと言うのは権限を勝ち取る事にもなるから。

任せられるという事と自分勝手にやるという事とは違う。
どうもその辺の事を錯覚人が多くいる。
以前も、任せられたんだからと、まったく、報告もせず、話を聞こうともしない者がいた。
報告くらいせいと注意したら、任さてくれたんじゃないですかと、のたまわった。
任せられた事を、何でもかんでもすべて独断できる事と、思っているらしい。
とんでもない誤解である。

任せられると言うのは責任を持たせられるという事で。
責任を持たせる以上、権限も与えられる。
結果に対して責任を持たされる以上、途中で放り出す事も許されない。
ただ、出た結果に対して評価されるからチャンスでもある。
この点を間違わないように。
だから、任された以上、依頼者、ユーザーの話をよく聞き、都度つど報告をしなければ安心できないものだ。

家の建築を任されたからと言って、顧客の要望を聞かないで、報告もせず、家を建てたらどんな結果になるか火を見るより明らか。
任せられた、先ず、任されと事を正しく理解する事が先決。

任されると言うのは、組織、チームを任されるので、組織を動かすための権限を与えられたと言うのが本筋だと考えた方がいい。

任されたらすぐに着手した方がいいよと言われた。
オーナーの気が変わらない内に。
オーナーは、気持ちが変わり易いからと。

人として生まれたら、一軍を指揮してみたいと。
オーケストラの指揮をしてみたいと。
オーケストラの指揮者は、自分は、楽器を持ってないだろう。
指揮棒、一本、持ているだけだ。指揮官とはそういうものだ。

ああ言えばこう言う。
こう言えばああ言う。
なんだかんだ、理屈を言ってやろうとしない。
昔も、今も変わらない。
母親が早く片付けなさいといくら言っても片付けないようなもの。
ただいい大人が、変に反抗するのは見苦しい限り。

注意されると、その是非とは関係なく、注意されたことに腹を立てる。
あからさまに顔に出る。
それでは指導者なんてなれやしない。

人から学んで、勤勉努力するなんて阿保のする事。
労働は苦役だ。働くなんて、無能な人間、奴隷のすることと刷り込んでいる。

世の為、人の為なんて言うのは偽善者で。
この世をよくしようなんて思いあがりも甚だしいと言うけれど。
誰が自分を守り、俺達の家族を守り、俺達の会社を守り、俺達の郷土を守り、俺達の国を守るのか。
自分で自分を守れないのなら。
自分で自分の家族が守れないなら。
自分で自分の会社が守れないなら。
自分の郷土が守れないなら。
自分で自分の国を守れないなら。
なにも、自分で守れるものなどありはしない。
ただただ、他人に隷属するしかない。
自分が自分でなくなってしまう。
ウクライナの国民は、誰のために、なんのために戦っているのか。
少しは、考えてみよう。