困難な時ほどリーダーの真価が問われる。
困難な時ほど、真の同志は、結束する。
いずれにしても、困難な時に遭遇した時、逃げ出したら、お終いである。
人としてお終いである。

平時は、人の真の姿は、見えない。
なぜなら、平時、人は装う事ができるからである。
平時、本当に実力のある人は、装う事を拒む。
力のない者は、自分を装って自分の弱さ、短所、欠点を隠そうとする。
経験のない若者は、外見に惑わされ、偽者を見抜く事が出来ない。
良薬、口に苦しというけど、力のない者は、口当たりのいい事を言って若者を誑かす。
純真であればあるほど、たやすく騙される。

人は、ある一定の年齢を超えると力が衰える。
しかも、年齢による衰えは、不可逆的の事である。
年をとると、自分の衰えを隠そうとして、人は、とかく、狡くなる。
放っておけば、衰えは隠しようもなくなる。
自分の衰えに気が付くと人は、恐怖する。
人は、、生まれた時、一人では生きられない。
同じように、年老いたら、一人では生きられない。
だから、自分の衰えに気が付いた時、人は、年をとる事を恐れるようになる。
なぜなら、赤ん坊の時の弱さは、成長と共に、克服されていくが。
老いによる衰えは、取り返しようがないからである。

年寄りは、若者当てにするしか生きていく術を見失う。
だから、上手に、年をとらないと、人は醜くなる。
綺麗に年をとった人は、装わなくとも美しい。
美しく年をとるのは、難し。

平時に真のリーダーを見出すことは難しい。
難しが、不可能ではない。
それは、その人の仕事を見ればわかる。
偽者は、うろたえ、ごまかし、言い訳しかしない。
そして、手に負えなくなると人の性にして、全てを投げ出して逃げ出す。
だけど、逃げたらお終い。

ここで死ぬと踏み止まらないと。

真の指導者、同志は、黙々と、自分に与えられた責務をこなしていく。
飾ることなく。常に向上心を失わない。
自分に正直であり、他人に誠実である。
言い訳もしない。
力ある者は、つつましく、謙虚である。
実力があるから飾る必要がない。
昔は、男らしくしろと叱られたが、今は、セクハラと窘められる。
しかし、苦境の時は、男らしさが求められる。
それが矜持だ。何も、差別しているわけではない。

困難の時にぶつかった時、真の指導者に巡り合えなければ不幸である。
なす術もなく、逃れる事も出来ずに、破滅するしかないからである。
不遇の時に、真の同志がいなければ、不幸である。
逆境を、共に耐え忍ぶ者がいないからである。

年をとる事を恐れる事はない。
衰えによって失うものもあるが、得るものもある。
それは、経験と知恵である。
全体を受け止める胆力である。
年と共に、衰えることなく、磨かれるものもある。
時と共に、心を磨き、鍛えれば、人は、綺麗に年を重ねる事も、あながち不可能ではない。
困難に、立ち向かう時にこそ、経験と知恵、そして、何よりも、胆力が求められるからである。

リーダーは、退く時、殿(しんがり)を務め。
先が見えなくなったら、先頭を行く。