目を閉じては駄目。目を背けてはいけない。

現実を直視しなければ…。
真実から目を逸らしては駄目。
自分から目を背けては駄目。
目を瞑って現実から、自分から逃避したら、自分は守れなくなる。だから、しっかりと眼を開いて、現実を直視しなければ生きていけない。

目を閉じたら、危険を察知する事はできない。飛んでくるボールから目を離さなければ、ボールを避ける事が出来るけど、目を逸らせば、ボールを避ける事は難しい。
ボールから目を逸らさなければ打ち返す事もできる。

本当の自分の姿から目を逸らしてはいけない。

人間なんて、ちっぽけで、弱くて、裸では生きていけない。
人間以外の動物は、身に何も纏ってはいない。いつだって裸で生きている。
それだけ人間なんて弱い存在なんだ。その弱さが人間を強くした。

人間は、弱い。人間である自分も弱い。自分を生かし、自分の身を守るためには、本当の自分の力を知る必要がある。自分の実力がわからなければ、怖くて外も歩けなくなる。

虚飾を捨てて素の自分に戻ろう。裸の自分を見詰めよう。
あるがままの自分を知ろう。良いところも悪いところも、強いところも、弱いところも、綺麗なところも醜いところも、あるがままに受け入れないと、自分を生かす事はできない。

良いところばかり見てうぬぼれても、劣等感に負けて自虐的になっても、自分を本当の力を引き出す事はできない。
人間は、全知全能の神にはなれない。森羅万象、あらゆることを見透かす事はできない。
この先、何があるかわからない。だから、目を凝らして先を見ていないと予期せぬ出来事から自分を守ることはできない。

本当の自分とは何か。

自分というのはね。わかっているようでわかっていない。
一番自分の事がわかっていないのは自分なのかもしれない。
自分の顔は、自分で直接見る事はできない。
母親や友達や兄弟の顔を直接見る事は出来ても、自分の顔を直接見る事はできない。
自分が今、どんな顔色をしていて、どんな表情しているかを知ることはできない。
水に写った顔や鏡に映った姿を見るしか自分を見る事はできない。

人に笑われて、はじめて、ご飯粒が顔についている事を知ったりする。顔色が悪いと人に注意されて自分の体調に気が付いたりする。

自分を知るとは、外界に投映された自分の姿や影から推測するしかない。自分の見ている姿は幻に過ぎない。自分の事をわかっているつもりでも、実際は、投映された像なのである。自分を知るためには、自分以外の存在に働きかけなければならない。自分一人では、自分の事を知ることはできないのである。
自分に対する認識は、外界に依存している。鏡が歪んでいれば、歪んだ像になる。だから、自分の正しい姿を知るためには、外界を歪みのない社会にする必要がある。
自分の内面の世界と外界とは相互の働きによって正されていく。この点を忘れてはならない。

世の中を正し、自分を正す。自分を正して、世の中を正す。自分を誤魔化せば、世の中も誤魔化される。自分が嘘をつけば、世の中も嘘になる。だから、現実を直視し、自分を偽らない。根源にあるのは、素の自分。裸の自分。

自分とは、他者に対する働きかけによって知るので…。そこで得られる自分の価値観は、他者との関係を投映した事に過ぎない。
逆にいえば、自分の意志が働かなければ、自分を知る事も、価値観を生み出す事もできない。この世界の意味も見いだせない。生きる事の意義も見いだせない。それは、他者とのかかわりあいの中でしか見いだせないからである。
この世の全ての源は、自分の意志なのである。

何だって、始まりは自分。自分の考え。覚悟。
打てば響く。強く打てば大きく響き、弱く叩けば小さな音になる。

大切なのは、自分の考え。
自分の思い。自分が感じた事。
他人がどう感じ、どう思ったかではない。

自分の目。自分の目を通じて外界を知り、外界に映された自分を知る。

自分勝手というけど、それは、他人から目から見て、何が勝手気ままだというのかは、本当のところわからない。自分に正直な事が我がままと言うのなら、盲目的に他人に従えばいいのか。
自分勝手見える行動だって、実際のところは、本当の自分がわかっていないだけ場合が多い。なんたって一番分からないのは自分だから。他の人の言う事を気にしだしたら、皆目(かいもく)、自分の事が見えなくなる。
まず自分が感じたことを正直に受け止める。厭な事は厭だ。好きな事は好きだ。嫌いな事は嫌いだ。
自分を誤魔化さない。その上でなぜだろうと考える。
他人の言うなりになっていたら、いつまでたっても自分が掴めない。
他人が言うから美味しいと思うのではなく。自分が美味いと思うから美味いので。不味い物は不味いのである。
自分があって他人と比較できる。自分がなければ他人と比較の仕様がない。自分と他人との関係がなければ、自分を知る事もできない。
大切なのは、始まりは、自分の意志である。

自分の考えがなければ、どうしていいかわからない。他人が正しいとしている事を鵜呑みにしている限り、自分の価値観は生れない。素直に相手の考えに従うにしても、自分の考えがなければ従えない。自分の尺度が持てないからである。

従う事も、改める事も、反発する事も、抵抗する事だってできない。
自分の考えがなければ、他人と正常な関係は作れないのである。
最初から、確固とした自分の考えがあるわけではない。自分の考えは、他人に対する自分の働き掛け、自分と他人との関係の中から形成されていくのである。
それが自分を知る事。