おい、開けろよ。
話したい事があるんだからさ。

なぜ、方針や目的を立てるのかって。
それは、仲間だから。
一人で仕事をするなら方針や目的を立てる必要ではないよ。
仲間と一緒に一つの仕事を共有するためには志や方針が統一されてなければ。
方針は、結果でも結論でもない。
結果はやってみないとわからないさ。

やってみてできなければ、変えればいいの。
はじめに予定してたことができないと分かったら。
自分たちが、今何ができるかって考え、目的に応じって、自分たちが今できる事に仕事を絞ればいいの。
その中でさ、一生共にできる道をね、探ればいいの。
そのために金もうけもするし。
一緒に子育てもする。
なんだってやってみなければわからないじゃない。
やって駄目なら、方向転換もするし、修正もする。
それでいいの。
困った事を助け合うから仲間なので。
困ったときに助け合えなければ仲間じゃないの。
自分ができない事、困ったことに気が付いたところから、始まるの。
さあ、どうしようと。
困るのは、困っている時に、困ってるって言ってくれない事さ。
仲間なんだからさ。

不平、不満というのではなく。今、自分が困っている事、苦しい事、苦境を語ってごらん。
腹が立つこと、頭にくることも。
そして、皆の考えの何に共感したのかね。
共鳴共感し、分かち合う。そこから始めよう。
現状を正しく認識し、方針を共有するところから始まる。
怒りだよね。
自分を奮い立て、限界に挑戦させるのは、怒りだよ。
怒りを前向きな事、建設的なものに向けられたら。
爆発的な力を発揮し、
新たな創造の時が始まるのさ。
怒りを向ける先を間違えると、破壊的で、破滅的になる。
お前の人生を否定しようとすりもに対する怒りさ。
今お前が置かれている現状に対する怒り。
それがね、これから、始める旅の起爆剤になる。

批判や評論で終わっているからだめなんだ。
批判も評論も思いを供するため、皆の思いを少しでも実現に近づけるためにするんで。
そうでなければ、反対は反対するだけで終わってしまう。
評論や批判は、それ自体が目的化してしまう。

お前ら、いい加減、妙な、言い訳したり、庇ったり、隠したりするのやめろよ。
わけのわからない言い訳しているのに、事情も分からず庇ったて意味ないだろう。
どうでもいい事で言いわけしてさ。
つまんないことで頑固に言い張ったら大ごとになるぜ。
言い逃れできなくなってごまかそうとしてるのに。
なぜ、周りの人間が、なぜ、かばうのか、その意図が解らないよ。
現状の問題点を明らかにして対策を立てようとしているのに。
現状をごまかしたら対策なんて立てようがないだろ。
物事には順序があって、その順序や筋を違えたらなる事もならないだろう。

大体、自分が決めたら、何も報告もしないで伝わるなんてことはないの。
テレパシーなんて俺は持ていないし、仮にあったとしても、正式には認められないんだからな。
それできれたら、子供じみているよ。
俺たちは共同で仕事をしているの。
情報や、考え方を共有しなければ、共同作業はできないの。
助け合いなんだからな。

一方的、方針を伝えても、方針を共有した事にならないの。
何でも、プロセスが肝心なの。
自分の考えをどう浸透させるか。
それが難しい。
一度、話したら伝わるか。
一度、聞いたくらいで相手の真意が理解できると思う。

任せるといてもな。
決めるのはお前だからな。
任せるのと、丸投げするのはわけが違う。
任せても、最後に決めるのはお前だからな。
特に、細かい事は、なるべく決めてやれ。
任せたといって何も決めない奴いるけど、それは、、任せたというのではなく、丸投げしたの。
無責任なだけ。
担当者は、細かい事が決めにくい。
なぜなら、クレームがつくのは、細かい事が多いし、細かい事は、責任をとるのが難しい。
だから、細かい事ほど、上の者が決めてやる。
そう言われて育った。
細かい事は任せろ、口出しするなというのは、決めるまでの間で。
最終的段階に至ったら、上の者が決めないと決まらなくなる。