何が問題かって。

自分にできない事が問題なんで、自分にできる事を問題としているわけではない。
それを忘れない事だ。
それゃ誰だって、できる事もできない事もあるさ。
わからない事もわかっている事もね。
できる事は、自分でもできるし、わかっている事は、聞かなくてもわかるけど。
できない事は、できる人に任せなければ解決しない。
わからない事は、調べるか、知っている人を探す必要がある。
確かに、できない事や、わからない事は、任せればいいんだけど…。
誰に、任せたらいいか、誰に、聞いたらいいかが解らない。それが、問題なのだ。
任せると言っても、一人ひとりのできる事できない事、わかっている事わかってない事が、最初からわかっているわけではない。
とにかく、やらせてみないと、わからない。
誰を、信じたらいいか。それが、わからない事からして問題なのだ。

知らないなら、知らない。
できないなら、できないと言ってもらえば、やりようがあるし、先にも進める。
知らない事、知ってるふりをされたり、できない事をできないと認めないと、結果的に、判断を間違ったり、決められた時間までに、仕事が、仕上がらなっかたりする事になる。
だから、知ったかぶりされたり、できない事をできると言い張られると、誰を信じっていいか、任せっていいか、わからなくなる。

わからない事がわかってない。
できない事を認めようとしない。
それをどうわからせるか、どう認めさせるか、それが問題なんだよ。
わからない事をわからない。
できない事をできないと認めないと何も始まらないからね。

少なくとも一人では何もできない。
その事を先ず認めないとね。

俺だって一人では何にもできない。
それくらいの事、わかっているさ。
自分にできないのを承知の上、皆を、信頼して任せているんだからね。
信用できなくなったらお終いさ。
皆の協力、助けがあったからこそ、ここまでやってこれた。
それを忘れたら、一日だって、自分を保てないよ。
自分できない、わからない事を任せているんだから。
自分でも、いい度胸しているなと、感心するよ。

お互いに、相手のできない事を、責めたところで、感情的になるだけだし。
できない理由なんて、聞かれない限り答える必要はないさ。
何を知りたいかといえば、どこを任せたいか。
何をしてもらうかだからさ。
できないなら、できない。
どうしてもやってもらわないと困る場合は、別だけどね。
理由を聞かれたら答えればいいさ。

自分が人より優れている事を言い張ってもね。
自慢話なんて、誰も聞きたくないよ。
冷静になると自分だって惨めになる。
知りたい事は、自分ができない事、わからない事を、どうしたらいいかだからね。
その人が、できる事、わかる事は、その人に、任せればいいんだ。
その人ができない事、わからない事を、どうしたらいいかが、問題なんだよね。

だから、簡単な事をやらせてみる。
当人が言っている事を鵜呑みにして、いきなり任せる事はできないからね。
だから、簡単で、短期間でできる仕事をやらせてみる。
別に試験するわけではないからね。
試していると言えば、ためしているんだけど、所謂、学校の試験の様に合否を決めるわけではない。
実際にどの程度、仕事ができるかを見たいわけね。
例えば、エクセルの事、解っていますと言ってもね。
どの程度わかっているかは、当人の自己申告、主観でしかないからね。
任せる側は、鵜呑みにするわけにはいかない。

責任者は、確実に一定の期間で、一定の成果を出す事が求められているからね。
一番困るのは、できないのに、いつまでも、任せてくださいと言い張る人間ね。
できないなら、できないなりに手配をする必要が、責任者にはあるからね。
要は、何がどの程度できるか。
裏返すと、何が、どの程度できないかを知りたい。
そうすれば、どこまで任せて、何を当てにしていいかわかるから。

一番困るのは、できない事や、わからない事を指摘されると感情的になるタイプね。
何か勘違いしているんだよな。
馬鹿にしているわけではないの。
仕事なんだから、一定の期間に一定の成果を出さなければならないから、当てにできない、期待できない、信用が出来なくなるのが困るんだよ。

できないとか、わからないというのは、限界だからね。
その人の限界ギリギリまで追い詰める。
その上で、何を任せられるかを見極める。
それは責任者は、仕事全体に責任を負っているから。
一人のミスも全体の破綻につながる。
できない事を見極めないと段取りも、予定も組めなくなる。わかる。

頭に血が上ったらお終いとよく叱られた。
できなかったら、お前ひとりが困るのではない。
全員が責任を取らされることになる。
それに一か所の作業が止まっても影響は全体に及ぶんだ。
できないなら、できないで何とかしなければならないからね。
面子の問題では済まないんだよ。
私情、感情の問題ではない。

自分にできない事、わからない事。
弱点、欠点、短所、過失、失敗を指摘されて頭にくるのは私情。
私情を仕事に持ち込んではならない。
わからない事は、わからない。
できない事は、できないと認めたうえで、どうするかを決めてもらう。
冷静にね。そこで突っ張っても意味ない。

仕事は、通しで覚える。途中で、失敗しても、最後までやらせる。
いきなり、本題に入らず、支度や準備から教え、後片付けまで、自分でやらせる。
それを一定期間させてから、本題に入る。
断片的な事を、いくら教わっても、全体を掴んでいないと、自分のやっている事の意味もわからないし、自分の位置、自分がどこにいるのか、何をやっているのかも分からない。
だから、モチベーション、やる気や意欲が保てない。
特に、長丁場になる作業は、最初に、目的や、やる事の意義を、説明して、やる気が、途中で萎えないよう、持続するように、最初に、納得させておく。ここが肝。

筋道、筋書きはわかる事は、教えられるけど、筋道、筋書きのわからない事は教えられない。
それと、その人その人の考え、構想、センスによる部分。
筋道、筋書きがない典型なところが、入口までの道筋や終わった後の処理。
この部分は、その場、その時にならないと状況がつかめない上、道案内する者、先導する者の考えやセンスに左右される。
だけど肝心な事なこと、鍵は、、筋書き、筋道が決まっていない部分。
アドリブでやらなければならない処にあるんだよね。
だから、師匠や先輩のやっている事を見よう見まねで覚えるしかない。
兎に角、一度でもいいから、先輩の言った事、教科書に書いてあることを素直にやってみる。
やる前から、ああでもない、こうでもないと言っていたら始まらないよ。
わからなくて当たり前、できなくて当然だから、最初は、教える側もそのつもりでいる。

大概、いい先生は、簡単な事をやらせてみてから指導に入る。
野球なら、走らせたり、バットを素振りさせたり、キャッチボールをさせるのね。
いきなり個人指導には入らない。

筋書き、筋道がないところが出だしにあるからね。だから出だしで躓く。
仕事にとりかかろうとして、すぐに行き詰る。
どうしていいかわからないし、誰に聞いていいかもわからない。
泣きたくなるよね。
それで、絶望して、外へも出られなくなる。
この辺はね。
いい指導者に巡り合えるか、どうかなんだけどね。
巡り合えても、素直になれるかどうか。

筋書きのないところは、形で覚える。
形の典型は、礼儀作法ね。
それを形式とか、封建的とかね。
下手すると今の学校で、形は悪い、礼節は封建的と教えるからね。
だから、卒業したらすぐ困る。
社会人としての常識がないからね。

まあ、最初は素直に教わる事よ。
そうしないと、いい年をしても、仕事を纏められなくなるからね。
歳をとれば、とる程、基本を身に着けるのが、肉体的にも精神的にもきつくなる。
最初は、若いうちは、できなくて当たり前だけど、一定の年齢が過ぎると、できて当たり前になるからね。いい年して挨拶もできないではしゃれにもならないよ。
お前、いくつになったって聞かれるからね。

できて当たり前と言われる年になる前までに、
一通りできる様にならないと、
歳をとってから恥をかく。
人に聞けなくなって、いつまでたっても、仕事が始められない。
当然、仕事を取り仕切る事が出来ない。
責任をとれなくなる。
だから、基本は若いうちに身に着けろと厳しく仕込まれた。

勘違いしないでね。
実際に仕事をする者が、悩んだり、迷ったり、決められないのは、細かい事。
いざ実行という段階になったら、全体を束ねる者は、仕事を管理する者は、実際に仕事をする者の話、担当者の話をよく聞いてやれとよく忠告された。
いざ仕事をしようとしたら、
例えば、何を着ていったらいいとか。
何時までに言ったらいいのかとか。電話で済ませられる事か。
メールでいいのか。
それとも、出向いかないとまずいのか。
手土産は必要か。何がいいかなとか。
その人のセンスが問われる事ね。
食事に誘った方がいいか。
食事に誘うとしたら、どの程度の店、予算したらいいのか。
だから、最後の詰めは厳しく確認し、また、入念に話は聞いてやる。
最後の結論はね。
当事者、実際にやる人間に出させる。
これ原則ね。
そんな細々とした事で悩むし、迷いだしたらきりがなくなって、決められなくなるからね。
実際、怒られたり、文句を言われるのは、決まって細かい事。
態度や、口の利き方が悪いとか。
拙いとか、嫌いなもの出したとかね。
兎に角、細かい事、どうでもいい事で叱られるんだよ。
だから腐る。
ホトホト困る。
泣きたくなる。

だから、せめて話は聞いてやる。辛抱強くね。

但し、実際に判断したり、やるのは担当者だから、そこは勘違いしないよう。
最終的な判断は当事者にさせなければならない。
管理する者、監督する者は、寸前、直前、周辺の事、間接的な事で。
実際にやる事、直接的な事は、手が出せない。
実行するのは、ボールを投げるのは、捕球するのは、バットを振るのは、バッターボックス、フィールド、マウンドに立つのは、選手、当人だけ。
試験を受けるのは、当人。
世話を焼けるのは、試験場に行くとき迄。
試験場に入ったら、試合が始まったら、舞台が始まったら、傍にもよれなくなる。

一番、肝心な事は、見様見真似で覚えさせるしかない。
実際にやらせてみないとわからない。
その場、その時に教えるしかない。

だから、朝の打ち合わせ、ミィーティング、始業点検。
前日の支度、報告、聴き取り、確認が大切なんだ。