仕事は、作業の塊である。
噛み砕いて、咀嚼し、飲み下さなければ、事業は実現できない。
塊とは、集合である。仕事は、作業の集合。
作業の塊を解きほぐして、分解しなければ消化できない。
構想を仕事にするためには、一度、ばらばらに、分解し、再構築する必要がある。
だからと言って闇雲に食らいついても歯が立たない。

組織は、人の塊。
仕事は、人と働きと時間が混然一体となて全体を作る。

全体は部分からなる。
木を見て森を見ず。
森を見って木を見ず。

仕事も、組織も生きている。
仕事にも、組織にも、命、魂がある。

仕事や組織というのは、象牙の塔、象牙の玉みたいなもので掴みどころがない。
糸口や入り口が見つからないと、中に入り込むのは難しい。
鍵を見つける事である。
どこかに鍵が隠されている。

どの様な切り口で切り分けるか。
どの様に分解、解体するか。
その辺が、鍵なのである。

仕事を、どれくらいの作業単位までかみ砕き、分解するか。
それが、仕事の粒度である。

段取り、手順のつけ方は、将棋の駒組に似ている。
将棋の展開に序盤、中盤、終盤があるように。
仕事にも序盤、中盤、終盤がある。
序盤で駒組みをし、中盤で体勢を決し、終盤で詰める。

はじめは、発散させ、終わりは収束させる。
テイクオフ。(離陸・上昇、発散)
一定の高度、速度の達したら巡航(平行)
そして、ランディング。(着陸・下降、収束)
成長だけが総てではない。
むしろ、巡航、着陸の方が長いのが一般。
安定的に長く遠くに飛べるようにしよう。

ルールは、はじめに決めるのも鉄則。
麻雀だって、ゲームが始まってからレート決めるのではない。
ローカル・ルールもゲームが始まる前に決める。

将棋に配置があるように、仕事や、組織にも配置がある。
仕事や組織は、多対多の展開になる。
合図によって一斉に動き出す。
動き出したら、簡単には止められない。
つまりは、同時並行作業が、常時、働いている。
形でとらえるしかない。
陣形であり、フォーメーションである。
だから、最初の設定が対峙。
最初のセッティングで決まる。
動き出してからでは、遅いのである。

時間をどう区切るか。
それが鍵である。
野球は、九回で区切る。
九回やった結果を見て延長するかしないかを決める。
一回いっかいごとに攻守を変える。

仕事とは、一歩いっぽ。一段いちだん、進むように、昇るように。
薄皮を剥ぐように進めていく。

サッカーは、攻守一体。
スポーツによって初期設定は変わる。
初期設定はスポーツの個性、性格を定める。

大枠、概要、基本計画ができたら。次に、一つひとつ細目を詰めていく。
まず、一定の条件、方針を定め。
その条件、方針の基に、いつ、誰が、何を、どこで決めるか。
条件や方針に反した場合はどうするかを詰めて、決めておく。

やればわかるけど。やらないとわからない。
やっているうちに、当たり前でなんでもないことになるが、やらないと、何か特別なことに思えて難しくしてしまう。
できる人を見ると簡単でなんでもないように見えるけど、いざやろうとするとどうしたらいいかわからない。

やらせればわかる。
やらせないとわからない。
人の能力は見せかけではわからない。
ただ、できない人は、すぐに、怒ったり、笑ったりして誤魔化そうとするものさ。

何も決めなければ責任は問われないと思っている。
それで、皆、忖度するだけで決められない。
責任を問われるのは、弱い立場の人間。
ふざけるな。

最初の内は、始めるとすぐにわからなくなるから。
手を変え品を変え聞いていく。
その変に一工夫する必要がある。

作業は期間であるから、点ではない。
線、つまり、幅と奥行きがある。
作業は線であるから、単線がより集まり、つながって構成される。
つなぎには、並列と直列がある。
作業には、筋道がある。

作業単位をどの程度に設定するか。
時間を単位とするか、作業を単位とするか、成果物を単位とするか。
それが、作業の粒度の決め手である。

作業は、やる人によって時間や精度に差が出る。
作業に統一性を持たせるのが、標準化、平準化である。

作業には、方向があり、働きがあり、量がある。
故にベクトルであり、テンソルである。

全体は、情報系だから、筋を取す必要がある。
仕事には筋があり。筋を違えると混乱し、全体を制御できなくなる。

一度、ばらばらに分解したら、次に、再構築する。
大切なのは再構築をするための手順や基準である。
先ず、仕事をいくつかの基準で分類する事である。
仕事には、優先順位がある。
仕事には、項目、役割がある。
仕事には、順序、段階がある。
それぞれの基準で仕事を仕訳けて、人や部門に振り分けていく。

パズルみたいなものである。
一つひとつの作業には期間がある。
期間があるという事と始まりと終わりがある。
順序があるという事は、前後がある。
そして、全ての作業は、一つに繋がっていなければならない。
順序があって結びついているという事は、期日がある事を意味する。

試合が終わってから試合に準備をしても意味ない。
食べ終わってから、食事の準備をするのではない。
食事の前に料理は作るのである。
物事には順序があって、順序を間違えると全てやり直すことがある。

無論、卵が先か、鶏が先かと言ったことはある。
しかし、作業の順序は、厳格なルールに基づく。
なぜなら、チームワークだからである。

作業は、重複してはならない。
作業は排他的である。
ワンマン、ワンワーク。
一人の人間が同時に違う場所で、違う作業をする事はできない。
それぞれの役割を明確にして組み上げていく。

捕手と投手を同じ人間が同時にはできない。
審判と選手、監督を一人の人間が兼務する事はできない。

監督や、捕手は、審判にならない。
監督や捕手は、ストライク、アウトの判定はできないのである。
組織とはそういうものである。

一人で何役もやったら、仕事は団子になって、凝り固まる。
一人で仕事を抱え込むのは、組織にとって有害になる。

組織も仕事も、一つ間違えば動かなくなる。

スィッチを入れ忘れても動かない。
コンセントが抜けっても動かなくなる。
前後を間違うとブレーキが掛かる。
些細な事でも全体に影響する事がある。

仕事も、組織もシステムの一種である。
故に、厳格なルールの上に成り立っている。
この点を多くの日本人は、理解していない。

それは、日本人社会が高度なコンセンサス、暗黙の合意事項で成り立っている事に由来している。
それが、他国から見ると島国根性と見えるのである。
日本人は、なんだかんだ言っても、理解し得るという前提でいる。

しかし、世界では、日本人の常識は通用しない。
だから、最後に、武力による解決を国際社会では否定できないのである。

同じ神を信じない者はわかり合えない。
これが世界の常識である。
話してもわからない。
話せばわかると言うのは日本人の常識に過ぎない。
話してもわかり合えない。だから、法を重んじるのである。

警察が、治安維持を目的としているのに対し、軍は国と国との戦いを前提としている。
だから、根本的装備が違う。
この点を理解しておかないと国防はおぼつかない。
国防は現実であって、観念ではない。
消防をなくせば、火事がなくなるわけではない。
医者がいなくなければ、病気にかからなくなるわけでもない。
病気がなくなるのを想像するのは自由だが。
病気のない世界を前提として医者を排斥するのは愚かである。