願望と現実とは違う。
科学が進歩する事と神の意志とは無縁だ。
人は神を越えられない。
神を信じぬものに、科学が万能だなんて言われたくはない。
科学者も、技術者も人としての倫理観が問われないことはない。
科学者も、技術者も、人なのである。
人として、犯した罪から逃れることはない。

科学が発展したからと言って、人は神を越えられない。
人は、神になれるわけではない。
科学の発展は、人の犯す罪は帳消しにはならない。

ハラリが言うように、近代科学が発展しだしてから、人は、死後の世界について語る事が少なくなった。
神を侮るようになった。

植物であろうと、動物であろうと、人は、生き物を犠牲にして生きている。
だからと言って、命を粗末にする言い訳にはならない。
そのこと、忘れてはならない。

遺伝子を組み替えたり、命ある生物を、まるで木石のように扱い。
人間を絶滅するがごとき。核兵器や、生物化学兵器を生み出して、何が、科学の発展だ。
それで、神に挑戦するがごとき錯覚に陥るのは、愚かさの極み。
人が犯した罪は、人に報いが来る。覚悟する事だ。
どんなに科学が発展しても人は神を超えられない。

誰も戦争なんて望んでいないんだから、戦争なんて起こらないんですよ。
だから、武装なんてする必要がないなんて、なんの根拠もない。
平和を守りたければ、それだけの覚悟が必要だ。
自分たちの手で、自分たちの力で、外敵と戦う覚悟がなければ、平和は保てない。
平和を維持するためには、コストがかかる。
無制限に金をかければいいというのではない。
だからこそ、国際社会の状態を直視する必要がある。

誰も悪い事は望んでないんだから。
病気なんて、誰も、望んではいない。
誰も望んでいないからと言って病気にかからないとは言い切れない。
なぜなら病原菌と、期待願望は、関りがないからである。
聖人君主といえども、生病老死の、四苦からは逃れられはしない。
況や、医者がいるから病気になるわけではない。
医者は、黴菌ではない。
火事は、消防署が起こすわけではない。
消防があるから、火事になるわけではない。
消防署は、火災の原因なのではない。
法は、犯罪を作るという。確かに、法は、悪事を規定する。
法は、悪事を規定するが、法が悪事を起こすわけではない。
警察があるから、犯罪者がいるのではない。
犯罪をなくすために、警察をなくせというのは暴論である。
人の悪事は、人の世の問題。
戦争も貧困も、人の世が生み出した。

人は、皆、個性がある。それを否定しても仕方がない。
現実を無視して、何もかも同じにしてしまえというのは乱暴だ。
だからと言って、言われなき事を理由に差別するのは、理不尽である。
根拠なく神の力をあてにして、何もせずに、放置すれば格差が生じる。
それを是正するのは、人の意志だ。
人の世の仕組みだ。

起こさないよう、起こらないようにしなければ。
争いも、貧困も、悪事もなくなりはしない。
格差も生じる。
それは、神が悪いからではない。
人の問題だ。
神を呪っても、侮っても、解決はできない。