寂しい。

寂しいか。

去年の暮。友を失った。

寂しいか。
そりゃあ寂しいさ。

それは、悲しいと言うより。寂しい。

なぜ、寂しいかって。
そう聞かれてもね。
記憶かな。
寂しさって。
記憶を共有する者がいなくなるからかな。

あいつに会えないから、寂しいのではない。
もう最後に分かれてから何年もたつし。
今更あっても、話すことなどない。

その時は、無我夢中で、いい事ばかりでないはずなのに、思い出すと妙に懐かしくて。
その思い出を共有していた奴がいなくなることがね。
俺を、寂しくするの。

寂しいというのと悲しいというの違う気がするな。

そりゃあ、時々、親父に会いたいと思う時はあるさ。
親父の声が聞きたいってさ。
こんな時、親父ならなんて言うかなって。
でも、会えないから寂しいんではなくて。

親父と伴に生きていた記憶がさ。
蘇ると、たまらなく、寂しくなるんだ。

生きている時は、何でもなかったのにね。
元気な時の親父の声がするようでね。
それは、かすかで、淡い記憶なんだけどね。

潮風に乗てくる汐の香を嗅ぐとね。
微かに聞こえる潮騒を聞くとね。
父や母、姉、妹と行った海水浴場のこと。
人々のさんざめきをね。
今はもう、冬の浜辺のように、誰もいなくなってしまたけど。

子供の頃は悲しいと言って泣くけど、年をとると寂しくて泣くの。
寂しくて、寂しくて泣く。
悲しくて泣くわけではないさ。
それは、思い出が積み重なるから。
だから、年を取ると涙もろくなる。

時は無情さ。
過去を記憶の闇の中に埋没させてしまう。
取り返すことができない事を思い知らされる。
楽しかった日々。幸せの思い出。
でも、思い出は、思い出さ。
それが、輝いて見えれば、見えるほど。
鮮やかであればあるほど。
寂しいさが募る。

時はね。無慈悲なんだ。
若々しい、命の輝きすら奪っていく。

昔の歌を聞くとね。
蘇ってくるんだ。若いころの記憶が。
懐かし人たちの顔がね。友の、笑い声がね。
それがね。寂しくさせるんだ。
あいつ、今どこにいるんだろうと。
でも、会いたいというわけではない。
ただ、寂しんだ。

伴に語り明かした夜の記憶。
喧嘩した事。
告白。情熱をぶつけ合ったこと。
愛し合ったこと。
笑ったり、泣いたりしたこと。
罵りあったこと。
エトセトラ、エトセトラ。

その記憶が…。
ただ、遠い彼方に消え去っていく。

祭りが終わると寂しさがまた一つ増す。
冬の浜辺は寂しい。それは、夏の日の記憶がそうさせるのか。
涅槃は寂しく、静かなところだそうな。
記憶と伴ににあるところなのか。
侘び寂びは、寂しく。
何かを思い出させるのか。
寂しさは胎内で宿るのか。

子供が独り立ちし、いつか、僕たちのところから、
旅立っていってしまったとしても。
僕の記憶の底には、生まれたばかりのあの子の残像が。
公園で、はしゃぐ声が。
パパと呼ぶ声がさ。
それが、無性に、俺を寂しくさせるだろう。

だから、寂しさというのは、記憶とともにある気がする。