人に嫌われる神の筆頭は、死神と貧乏神だと思います。
だから、死神というと、大きな鎌を持った骸骨のような姿で描かれ。
貧乏神は、それこそ、粗末でみすぼらしい、貧相な姿で描かれる。
でも、僕のイメージは違うんですね。
死神は、本当に穏やかで、優しい、慈悲深い姿をしていて。
貧乏神は、上品で、妖艶、魅惑的な姿をしている。
そして、死神も貧乏神も、偉大な神の化身の一つに違いないんですね。
死神だって、貧乏神だって、人の心を映しているに過ぎない。
その裏に潜む本質は一つなんですね。
それが、わかれば怖れる事も嫌う理由もなくなるのです。
貧乏神というのは、ある意味、豊かさや欲望の裏返しでしかない。
死は、生と表裏をなしている。
貧乏神を貧乏神にしているのは、人間の方であって。
付き合い方を間違わなければ、人を豊かにしてくれるのも貧乏神だと思うのですね。
僕からすれば、商売繁盛を祈願する神の影に貧乏神の姿を見るのですね。
現世利益を願い。
願いがかなわないからと言って、神様に、恨み言を言うその心に貧しさが潜んでいる。
貧乏神というのは、心の豊かさをこそ象徴しているのだと。
貧乏神が、純真無垢で、質素、清潔なお姿をしておられたら、それこそが豊かさの本質を表している。
だからこそ、粗末で、飾り気のない姿の神様を貧乏神だと思っているのなら、心が貧しいと言うだけなんですよね。
飾り気もなく、粗末で、清潔な姿をされている神こそが、豊穣の神。
それこそが豊かさの本質を表している。
足らざるは貧なり。
足るを知れば豊かなり。
何によって満ち足りた気分になれるか。
その心の在り様によって、貧乏神の姿は、変わってくる気がするんです。
貧乏神は、無欲で飾り気のない、素で裸な魂を意味しているだけです。
そうみえたなら貧乏神を怖れる事も嫌う事もなく、共に語り合える仲になれるのだと思います。

一人で生まれて、一人で死んでいく。
死を恐れるのは、一人になるのが恐ろしいからなのか。
だから、神を信じて。
神は、一人にはしない。
待っていてくれる。
皆で待っていてくれる。
だから、迷わないで、信じて。

ここから先は、話です。

昔々、ある街道筋に小さな宿場町があって。
その宿場町の町はずれに大きなお社があった。
なんでも、商売繁盛の神様が祭られていて、たいそうな御利益があるとのことで、連日、大勢の参拝客で大賑わいだった。
その大きな社の横に、小さな社があり。
粗末な身なりの年老いた神主が守っていた。
神主は、かなりの高齢で、身なりは、粗末だが、清潔で、高貴な顔立ちをしたお方だった。
境内は、社に比べて、かなり広く、何本もの大木が生い茂り。
厳粛な雰囲気を漂わせていた。
中には、樹齢が何百年もたった桜の大木があり、春には、それはそれは、見事に花を咲かせていた。
また、タンポポやレンゲソウ、スミレなど、四季折々の花が咲き乱れ。
鳥たちの囀りは絶えたことがない。
暖かくなると花々の間をトンボや蝶は舞い。
夏には蝉の鳴き声が喧しい。
境内は、野生の生き物の住処になっていた。
また、社の脇には、小さな池があり、澄み切った清水が絶えず湧き出ていた。
人づてにあの神社は、「貧乏神が祭ってある。」と聞かされたが。
そんな事お構いなしに居心地がよく、さわやかな気分になれるので、私は、大きな社より、小さな社に惹かれ、毎朝、お参りをするのが、いつの間にか、日課になっていた。
社の真ん中には、これもまた、粗末な木槌が一つ安置されていた。
欠かさずにお参りをしていると、いつしか、神主と話をかわすようになっていた。
ある時、安置されている木槌は何かと神主に尋ねたら、「あれは、打ち出の小づちだ。」と言う。
「冗談でしょ。」と、私が言うと。
神主は、笑って、「振れば小判が出てくるよ。試しに、振ってみるか。」と誘われたので。
気まぐれに小槌を振ったら、確かに小判が出てきた。
「出てきた小判を、もっていくか。」と神主に言われて。
「いや、いらない。」と答えた。
神主が、「御奇特な方だ、本物だよ。もっていけばいいのに」というから。
「そんな得体のしれない物をもっていったら、却って災いの元になる。それこそ泡銭だ。」と答えたら、神主は、大声をあげて笑い。
「無欲な方だ。」というから。
「何のなんの、今は、お金に困っていないから、余計な金をもつと碌なことがないと断ったが、金に困ったら、忍び込むかもしれないぞ。」と脅したら。
神主は、ケラケラと笑いながら、「その時は、充分注意しよう。」と答えた。
神主は、傍らにいた猫に小判を投げ与えた。猫は見向きもせず、魚にかぶりついていた。
「猫に小判というが、猫は小判のために仲間を裏切ったりはしない。人と猫、どちらが本当の価値を知っているというのやら。」と神主はつぶやいた。
それから、私の方を見ると「ならば、小槌をくれてやろう。」と神主が言うので、「そんなものあてにしたら、却って、貧しくなる。」と答えたら。
「然り。然り。余計なことを。」と神主はうなづいていた。
「それより、一杯の水をいただけたらどれ程、ありがたいか。」というと。
満面の笑みを浮かべて柄杓で水を汲んでくれた。

ある時、いつものように、小さな社にお参りに行ったら、隣の大きな社の神主が金の無心に来ていた。
大きな社の神主は、私の方を見ると少しバツの悪い顔をしたが、それでも、かまわずに、小さな社の神主にお金の無心をしていた。
小さな社の神主は、大きな社の神主に、「たいそう繁盛しているではないか。」というと。
「何のなんの、社が大きければ大きい程、物入りが多くてな。
先日も家内がもう一つお社が欲しいと言い出したのだ。」と愚痴をこぼす。
小さな社の神主が、「たいそうな別嬪さんじゃないか。」というと。
大きな社の神主は、「あいつは、大変な貧乏神だ。」と言い出した。
それを聞いて、「お前様から貧乏神だなんて聞くとは思わなんだ。」と小さな社の神主が言うと。
「なんのなんの、金がいくらあってもたらんのだ。」と大きな社の神主は、愚痴をこぼす。

「金が欲しければ、そこの木槌を好きなだけ振ればいい。」と小槌を小さな社の神主は指さす。
「そうか、そうか。」と、大きな社の神主は、木槌を持ち上げようとするが、ピクリとも木槌は動かない。
大きな社の神主は、「何と重い木槌か。」というと。
小さな社の神主は、「なんのなんの、木でできた粗末で軽い槌よ。」と笑いながら言う。
大きな社の神主は、汗だくになって、木槌を持ち上げようと長い時間、悪戦苦闘したが、しまいには、悪態をついて、あきらめて帰っていった。
小さな社の神主が。「木槌を持ってきてくれ。」というから、私は、木槌をとってきて神主に渡した。
木槌は、驚くほど軽かった。
小さな社の神主は、「木槌の重さは、欲の重ささ。」と笑っていた。