劣等感てなんだろう。
劣等感は、劣等感を感じる前提と言うか、条件と言うか、状況があるわけで。
劣等感を感じておかしくない状況もあるけど、当人の思い込みである場合としか思えない状況もある。
少なくとも、劣等感を感じさせる相手がいなければ、劣等感は成り立たない。
なぜ、こんなことを言うのかというと、神と対峙すると、神と自分とは一対一でしかないから。
なにも比較すべき相手はいなくなる。
比較する相手がいなくなったら、劣等感なんて感じられなくなる。
意味がなくなる。
劣等感を生み出すのは、所詮、人と人との関係でしかなくて。
劣等感の裏側に、見栄だの、外聞なんかがあって。
それで、なんで俺だけがこんなに惨めにならなければならないんだと思いがあって。
人づきあいができなくなって、引き籠ったりする。
でも、要は惨めにならなければいいので。
それは、自分の感情の問題だし。
人に劣っているというだけでは悩む理由にはならないんだよ。
それでというだけ。
だって人に劣っているところがあるのは普通だからさ。
無論、劣等感を感じさせる実体、制度だの、差別だのが、あれば問題だけど。
制度だの、差別を生み出すのは、人間であって。
だから、神と向き合うと、根源的なことは、霧散してしまう。
だって、人を差別しなければならない理由なんてなくなるからね。
だから、神様と向き合っていると劣等感ってなんなだろうと。
自分を向上させたり、他人の痛みを知るためには、確かに有効だけど。
それで、自分を卑下したり、卑屈になる理由は何もない。
いつだって、堂々としていればいいんだし。
誇りを失う必要もない。
劣等感で自信を無くすことなんて本末転倒で…。
引け目を感じるだけ馬鹿々々しい。
神の前では、なんだって平等に見えるものなんだよ。