死後の事なんてわかりませんよ。
だから、神を信じて今日を生きるしかないんだと思います。
一日一日を生き生きと、最善を尽くして生きる。神を信じて、それが信仰だと思うのです。
死後のために生きているのではなく。
今日、有意義に過ごすために生きている。
一日一日、神に近づければ、何を怖れる必要があるのでしょう。
それ以外何を信じたらいいのですか。
正しい生き方をしていたら、その結果、死後が問われるので、それは、死んでみないと、わからないじゃないですか。
俺は一度死んで生き返ったんだなんて言われても、それが真実だと確証が得られますか。
そんなこと、信じられないじゃあないですか。
それよりも、今日一日を、一生懸命生きればいいのです。
神を信じて。それこそが、真の信仰です。
嗚呼、自分は神の祝福によって生かされている。
そう感じ続けられれば、幸せではないですか。
神は、赦し、神は救いです。

私は、生き甲斐は死に甲斐だと言っているのです。
死に値する事こそ生きるに値する。だからこそ、死を乗り越えて生きる事が出来る。
必死に、命がけに生きる。死中に活を見出す。
生きるか死ぬかの状況に置かれるから、生きる事の意義が鮮明となる。
死神こそ、神の本性だと思うのです。
ですから、死神を恐れる必要はどこにもない。同様に、悪魔もです。

生きる事を考える事は死を考える事なんですね。
死を考える事は、生きる事を考える事。
死神は、人を活かす事を考えていると思うんです。
生きていない者を、死なせることはできないですからね。
死神が欲しいのは命であって骸ではない。
死神にとって骸なんて何の価値もない。
だから捨てていきますよ。
朽ち果てるに任せる。
死神が欲しいのは純なる魂。
だから、死神はいつも人を生かす事を考えている。
そして、生を中断させたところで死神にとっては何の価値もない。
死神にとって戦争なんて迷惑千万な事なんですよ。
まだ死に至らない生々しい命なんてね。
死神にとって最も価値ある命は、人生を全うした静謐な魂なんですよね。
だって、人生をヤッケパッチになって途中で投げ出したり、恨み辛み、後悔や未練でドロドロとした、未熟な魂なんて価値ないでしょう。
野良犬にでもくれてやれみたいな。
そんな、不純な魂は、死神が望む純粋無垢な魂ではないですよ。
だから、生きる事は死に通じていて、純粋なんですよね。
人生のゴールで、ご苦労様でしたと手を合わせて、微笑み、優しく導いてくれるのが死神ですね。
不幸な死には、心から同情し、慈悲深く優しく包み込んでくれる。
それが僕の思い描く死神ですね。
死は、怖いと思うから怖いので、生き抜いた到達点と思えば安らぎ、証ですね。
生きにくい理由はいくらでも上げられますが、死ぬ理由にはならないんですね。
生きにくい理由は、生きる為の課題でしかないですから。
生きにくいからこそ生きるのです。
よく言うではないですか、無期懲役囚は、自堕落になり、死刑囚は、生と向き合うと。
人間は、無期懲役ではなくて、死刑囚みたいなものですよ。
死を覚悟して生きているのか、いないのかの差に過ぎない。

死は、生きた証、結果であって動機ではない。
基にあるのは生きることであって、人生の意義は生きることから生じるのです。
魂の根源は命であって、結果である死にはないのです。
大切なのは結果ではなくて、動機、志ですよ。
結果は出てしまえばお終いなんです。
死後に怯えて生の意義を否定するのは、死を恐れて死ぬようなもので、本末転倒です。
死んでしまえば全てが無に帰すとしても、それが、自堕落に生きる言い訳にはならないのです。
なぜなら、死は結果であって、生きる事の動機ではないからです。

死んだらどうなるか、はっきり言ってわかりません。
しかし、だからと言って、今、生きているという事実や思いは消せないのです。
不確かな未来に怯えても仕方がないのです。
それより、確かな今を神を信じて誠実に生きるしかないじゃあないですか。
僕は、人の一生は、修行だと思うのです。
修行、だから、答えを与えられず、誠実に全うするしかない。
天国も地獄も現世に存在する。
現世に存在する天国も、地獄も、人間の心が生み出したのです。
神を否定するものは、自らを神とする。
物理を学んでいると、神の偉大さを、思い知らされるのです。
何億光年も離れた星々にも、何ミクロンという小さな世界にも、神の力が潜んでいるのです。
自分を超越した、何者かの存在を受け入れる事によってのみ、自らを律することができるのだと思います。
現代人は、驕り高ぶり、自らを神としようとしています。
だから、真の信仰が、求められているのです。
物理を探究すれば、する程、謎は深まり、全てを解明することができない事を悟らされるのです。
わからない事はわからないのです。
だから、無条件に神を受け入れ。
信じて、今を自分に対して、誠実に生きていく以外にないと思います。
神は、今、ここにおられるのです。
いつだって、傍らで優しく微笑んでいてくれるのです。
そう私は信じています。それが私の信仰です。