学習障害というが、学習障害というのは、学習不適合症であるから、学習者だけでなく、教育者側や、教育の仕組みの問題もある。
なんでもかんでも、学習障害とレッテルを張って当事者に原因を帰そうとするのは、合点がいかない。
学習障害というのは、学習障害にしてしまう方にも原因はある。
昔は、学習障害という言葉さえなかった。
何でも一年で学習度合いを計測する方が問題。
一年でものにしなければ、一時間で解答できなければ、正常でないなんて誰が決めたのだ。
長い年月かけて悟る事もある。
短ければいいなんてことは、どこにもない。
試験の結果に現れる事ばかりではないし。
人生の深遠なる哲理なんって一生かけても体得できるものではない。
むしろ、学習障害などと名前を付けて、物を学ぶ事の意義を見失わせる方が問題だ。
私は、学ぶのが下手で、多少人より時間がかかるかもしれないが、それで、不自由な思いをしたことはない。
それよりも、そんな事で住みにくくなる世の中の方が病んでいると思う。
確かに、鬱な人間が増えてはいるが。
鬱な人間が悪いのか、人を鬱にしてしまう社会が病んでいるのか。
何も、鬱は、現代に突然、発生した病ではあるまいに。