同じ場所、同じ事故を繰り返す人が、往々にいる。
わかっているのに、同じ失敗を繰り返す。
あれほど叱られたのにである。
そういう経験はないだろうか。

人は、不思議な事に、たとえ失敗するとわかっていても、経験した事を取る傾向がある。
だから、同じ失敗を繰り返す。
最初に間違った事を覚える、変な癖がつく。
変な癖がつくとなかなか、とれずに後々、祟る。
その癖、人から教わることを嫌がる。
頑なに我を通そうとして失敗する。

かといって、教わった事、ただひたすらやっていればいいと言うのでもない。
最初から、何でもかんでも教えられる事に馴らされると、自分で考える事が出来なくなる。
教育の難しさは、その点にある。

ゴルフなんか、典型的である。
結局、立ち位置とか、構え方、姿勢と言った一見どうでもいいような事から、事を矯正しないと普通にプレーする事できない。
基本的な事だから、自分で認めて治すことが難しい。
自分の悪いところは、自分では気がつかない。
かと言いて教わった通りしていたら上達はしない。

人に教わる事は、悔しとか、恥ずかしいとか、負けたように感じたり、卑下したり、屈辱的になったりしていたら、いつまでたっても真実は見えてこない。
過剰免疫反応が時には病の原因になるように、自尊心は、毒となる事がある。

自分を見る目が変わらないと、なかなか、変われない。
逆に、自分を見る周囲の目が変わると自分も変わっていく。
先ず、自分が変わると同時に周囲にも自分が変わったことを印象付ける事である。

自分が理解できない事は、悪。
自分が理解できない事は、悪だなんて狭量な持ち主はいるものだ。
そんな料簡では、人は育てられないし、人の上にも立てない。

なぜ、人類は、同じ失敗を繰り返すのか。
無慈悲に人を殺戮し。
平和な日々を打ち壊す。
なぜ、新しい秩序を築こうとしないのか。
信じてはいけない人を信じて。
守るべき道義を捨てるのか。
だから、人は神を必要としているのに。
何故に神の慈悲に背を向けるのか。
幾たび、神に背き、欺こうとするのか。

人は、幸せな時、神を侮り。
不幸になると神を罵る。

しかし、神は、神だ。
神を、必要としているのは、人間であり、
神は、人間を必要としていない。

神に祈るしかないではないか。
神を信じるしか。
神に許しを請うしかない。