民主主義国家が、成立するためには、多くの要件を満たす必要がある。

民主主義国家は、理念的国家である。無思想の国家ではない。思想的な国家である。

国家は、理念的空間が物理的空間に結びつくことによって成立する。しかし、国家は、基本的には、理念的空間である。特に、民主主義の土台は、人民の意志である。人民の意志とは、統合化された個人の意志である。個人の意志を統合する為には、常に、根本の理念を明らかにしなければならない。そのためには、民主主義国は、国家理念の基づいて構築されなければならない。故に、民主主義国を建設するためにまず必要なのは、国家理念である。そして、国家理念をまとめたのが、憲法である。

次に必要なのは、主権である。

主権とは、国家から付与された権利である。民主主義国は、この主権者の意志に基づいて設立される。故に、民主主義国においては、主権の所在が明確でなければならない。

民主主義は、自立した個人の意志を集約した人民の意志に主権をおく。故に、根本的に自由主義である。つまり、民主主義国の主権者は、自立した個人である。ただの個人ではなく。自立した個人である。なぜ、自立した個人でなければならないのかといえば、主権者は、与えられた権利を行使する義務があるからである。故に、主権者は、与えられた権利を行使するだけの能力を要求される。自立していなければ、権利を行使する能力がない。故に、自立した個人でなければならないのである。

主権者を明確にするためには、自立した個人を定義しなければならない。逆に言えば、自立した個人とは、主権を付与された個人である。

民主主義が成立する前提として、倫理、価値観を確立していて、主体的な意志を表現できる事が要求される。それが、最低限の条件である。民主主義国家において、主権が付与される要件、条件とは、主体性の確立と一定水準の価値基準である。

現代の日本で、一定水準の要件、条件を満たしているかをどこで判断するかというと、教育の水準と年齢である。

個人として自立しているか否かの判断は、現在の日本では、一定の年齢に達しているか、否か、一定の教育を受けているか居ないかによってなされる。以前は、収入や納税額によって判断された時代もある。この様にあくまでも、この基準は、絶対的なものではなく、相対的なものである。そして、それは、人民と国家との契約に基づく。

社会は、人間が、個人として自立できるまでの間、養育する義務がある。翻って言えば、人間は、生後一定期間、何らかの庇護がなければ生存できない存在だと言う事を前提としている。民主主義を考える時、この事は、決定的な要因となる。つまり、民主主義社会においては、人間は、生まれながらに個人としての権利や義務を有しているのではないという事である。また、民主主義は、自由は、生得のものではなく、後から与えられるものだと言う事である。

個人主義や自由主義が充分に発達していないと民主主義は育たない。

人民の意志を基礎にして、民主主義国は、成立している。人民の意志は、個人の意志が集約されたものである。自分の意志を司っているのは、個人の意識とモラルである。故に、民主主義制度を支えているのは、個人の意識、モラルである。つまり、民主主義を育て、育むのは、個人の意識であり、モラルである。個人の意識が低下し、モラルがなくなればとたんに、民主主義は、腐敗し、崩壊の危機にさらされる。

外形的に民主主義の制度は導入することは出来る。しかし、民主主義を実際に機能させるのは、人民の意識、価値観である。故に、充分に個人主義や自由主義が発達した社会でないと民主主義は成立しない。