日本人は、なぜ、我が国が、ウクライナを支援しなければならないのか。
なぜ、ウクライナを支援する必要があるのかわかっているのだろうか。

侵略は、悪いからとか。
自由主義国だからとか。
欧米が支援しているからとか。
アメリカに追従しないといけないからみたいな。

その根本的な問題を曖昧にしているから、各国の温度差が見えてこないし。
政策も、中途半端にしか見えない。
他国が、国是、存亡の危機に従って行動していると言うのに。
日本の国民の主体性が見えてこない。

仮に、アメリカ大統領選挙の結果、ウクライナから手を引こうと言う事に、アメリカが傾いたら、日本はどうするのか。
台湾問題で、米中が最悪な事態に堕ちいったら日本はどうするのか。
北朝鮮が、日本を敵国として攻めてきた時。
アメリカが、アジアから、撤退しようとなった時、日本の国防は誰が担うのか。

それは、日本が出すべき結論で。
それが、独立国、主権国家に当然求められる事で。
アメリカや、中国、ロシアが出す答えではない。

国を守るといことの意義。
それは、日本人、日本の国民、一人ひとりに問われている事で。
俺は、関係ないなんて言ったら、国民としての権利を自らが放棄する事になる。
そんな発言を、公の言論機関、擁護したら。
この万国共通の常識を、日本人は持っていないと言う証になるだけ。

自衛隊の意義は、その延長線上にある事。
それは、人として、どのような価値観、信条に基づくかの問題。
思想信条の自由といったところで、思想信条ない人に、思想信条を守れと言ったところで、意味がない。

だから、何から、何を守らなければならないのかがわからなければ、自衛隊の存在意義など問いようがない。空疎だ。
平和だの、自由だのと言ったところで。

言論の自由としながら、愛国心とか、忠誠心などというと、やれ軍国主義だ、独裁主義だと決めつけて、喧しく糾弾する人が多い。
それでは、真の言論の自由など夢のまた夢。
言論の自由は、特定の勢力、特に革新勢力の為だけにあるわけではない。
愛国心といっただけで軍国主義者と排斥する様では、言論の自由なんて守れない。
言論の自由というなら、どのような考えも公平に扱うべきであり、差別用語だと勝手に決めつけ言葉狩りをするのも言論弾圧の一種であることを忘れてはならない。

誰が敵で、誰を味方にするかを語れなければ、国防など語りようがない。
日本人は、敵という言葉自体を禁句としている。
日本人、否、日本の知識人には敵は、存在しないらしい。
そうは言っても、現実に敵は存在する。
だから、暗黙に敵を想定する。
暗黙だから、始末が悪くなる。

今、世界中がウクライナ問題で揺れているのは、世界中の人々が、自らの存在意義を問われているからで。

ロシアの行動を悪と言うのなら。
今、ミャンマーで起こっている事。
中国との関係。
台湾だけでなく少数民族や。人権問題。
香港の事だって。
北朝鮮とどう向き合うのか。

中東で起こっている事。
難民問題とどう向き合うか。
亡命者どう扱うか。

日本人は、こう言った事をご都合主義でしか見ていない。
日本のメディアは、民衆を見下していて、自分達だけが、良識を持っているかのように振舞うが。
その根源的な思想が曖昧だ。

いわゆる、アメリカとか、欧米の良識派といわれる人たちを頼っているようだが。
その良識派のルーツも、革新派、なのか。保守派、なのかも定かでない。
何せ、自由とか、平等といったところで、何を指しているのかすら自分達で明らかにしようとしていない。
ただ、漠然と、自由とか、平等とか、平和とか称えているに過ぎない。

国益とは何か。
単に、経済的損得だけ考えればいいという訳にはいかない。
国家の存在意義に関わる事であり。
建国の理念に根差しており。
歴史や伝統の源。
国家の正当性を問う事。
国民のアイデンティティーの問題。
だから、どこを敵とし、どこを味方とするかの問題なのである。

我が国は自由主義を国是としている。
だから、言論の自由を国是としている。
それを悪用する知識人がいる。
自分の思想を明確にせず、自由主義を装って自由を退廃化する。
自分た全体主義者であり、言論の自由なんて最初から守る意志がないくせに敵対的勢力を誹謗中傷する時は、言論の自由を盾にする。
言論の自由を武器にするなら、本心から、言論の自由のために戦うべきだ。

言論の自由はエロ、グロ、ナンセンスを守るためだけの武器ではない。
言論の自由はもっと高潔な精神に基づいている。

だからこそ、自由を標榜する者は、自らの思想を明確にすべきである。
報道の中立性などという欺瞞は捨て。

自分が共産主義を信奉しているのか。
資本主義者なのか。
自由主義者なのか。
全体主義者なのか。
個人主義者なのか。
国粋主義者なのか。
グローバリストなのか。
無政府主義者なのか。
共和主義者なのか。
独裁主義者なのか。
軍国主義なのか。
君主主義者なのか。
民主主義者なのか。
独裁主義者なのか。
無神論者なのか。
唯物論者なのか。
一神教徒なのか。
自分が何を信じているのかさえ自覚できない知識人が多すぎる。

憂うべき事は、隠れマルクスだの、隠れ国粋主義だの、隠れ全体主義だの、隠れ無政府主義者等が、隠れ反国家主義者が、自称知識人に、多すぎる事だ。
もっと怖いのは、無自覚な、反体制、反権力、反権威、反米が、反自由主義者が多い事だ。

独裁的な反権威主義者、暴力的な平和主義者、全体主義的反体制主義者、差別主義的人道主義者、非暴力的革命家、反倫理的慈善家、権威主義的反権力主義者等々。

愛国心とか、忠誠心とか、国防などというと、軍国主義者か、国家主義者か、全体主義者のように思われそうだが、私の根本思想は、個人主義、自由主義、民主主義である。

ウクライナが、誰のために、何とと戦っているのかを理解もせずに。
やれ和平だの、停戦だのと叫んでみても。
何様なのかと言い返されるばかりである。

人として、何を守るべきかが曖昧なままでは、損得、欲得でしか判断できなくなる。
結局、日本人は、損得、欲得でしか何も決められないと思われても仕方ない。
それでは、日本人に対する根源的な信頼が失われる。
大切なのは人として何を守るか、何を信じているかである。

自分が何によって立っているのか。
それを明らかにすべき時である。

この世の中には、自由な人間と奴隷しかいない。
いかにして自由を実現し、守るかを考えるのが自由主義である。
この事を、頭の片隅に置いておいてほしい。

僕らはね。就職する時、その会社に骨を埋める覚悟で就職しろと教えられたの。
骨を埋めろというのは、その会社で、一生、生きていけという事で、終身雇用という意味とは違う。
雇用というのは、あくまでも、雇用関係しか意味してないけど。
骨を埋めろというのは、その会社と共に生きていけという事で。
仕事というだけでなく、全人生、全人格を意味していたから、結婚も子育ても。

それはね、家族主義というのとも違う。
ヨーロッパの民主主義は、市民革命に端を発していて。
つまり、市民を中心にという事で。
その市民は、志や思想を同じくする同志を中核にしてろいう事でね。
だから、誓約であり、契約を基とする体制を言うのね。

その市民を社員に置き換え替えたのが、近代的会社ね。
だけど日本人は、市民とか社員の意味わかっていなくて。
誰でも市民になれるわけではなくて。

市民以外に、奴隷と異邦人がいて。
欧米では、労働は、もっぱら奴隷がしてきたことで。
その奴隷や農奴が、労働者の基だから。

だから、労働者は組合をつくって自分たちの権利を主張するようになった。

この点を正しく理解してないと、会社の意味も資本主義の意味も解らない。

市民というのは、参政権を与えられ、政治に参画する権利がある。
だから、株式会社の社員とは株主を意味している。

会社というのは、誰の会社かということが大切なので。
ユダヤの会社もあれば、アングロサクソンお会社もあり、ドイツの会社も、華僑の会社も、印僑の会社も、アメリカの会社もあるので。

日本以外は、階級世界だという。資本階級、経営者階級、労働者階級が存在する。
今でも、階級闘争をしている。
日本には、支配階級が存在しない。
奴隷階級には、リーダーや集会、結社はいらない。存在してはならない。
なぜなら、叛逆するから。

奴隷や植民地の住人は、自分の考えも、リーダーも必要ない。
言われたままに、言われた事を黙ってやればいい。
指示する者はいらない。文句を言わず、指示された事に従えばいい。
指示する者はいらない。つまり、リーダーはいらない。

日本以外の国には、支配階級が存在する。
アメリカにも、中国にも、ロシアにも、イギリスにも、ドイツにも、フランスにも支配階級が存在する。
日本にも支配階級が一部存在するが、彼等は、実質的にこの国を支配しているわけではない。
なぜなら、彼らは国防になっていない意から。
自分達を守ろうとしない者の支配を人は受け付けない。たとえ奴隷でも。

軍は、自分達を守ろうとしない勢力を守ろうとはしない。

自衛隊は軍か、否かを問う前に。
軍は、悪だと決めつける事が問題だ。
軍は、軍国主義国だけに存在するわけではない。
軍というだけで、民主主義国の軍なのか。
独裁国の軍なのか。
独裁者をも守るための軍なのか。
国民を守るための軍なのか。
軍の目的も性格も理解しようともしない。
それでは、議論そのもが成り立たない。
たんに、感情論。嫌いだから悪いと言っているに過ぎない。
病気は嫌だから、医者が嫌いと言っているような事。

現実に、自衛隊を解体できるなんて思っている人間がいたら、余りに現実離れしている。
今や、自衛隊抜きに国防は語れない。
それが現実だし、国防も現実なのである。

自衛隊員は、命がけで戦っているのだし。
安易な気持ちなわけでもない。
現実は、空想ではない。

共産主義国は、暴力を否定してないし。
なぜなら、彼らは、根本的に革命勢力なのであるから。
自由主義国も、革命によって成立したのである。

どこの国でも、頭から軍は悪だなんて思っていない。
無論、ミャンマーの様に軍事独裁の場合は別だけど。
それでも軍事政権は悪だとしても、軍そのものまで否定してはいない。

戦前の支配階級だった武士階級は徹底的に解体された。
問題なのはその後の事。
一方的に、リーダーや指導階級を否定し、新しい、統治体制を構築できないようにされた事。

その先兵になったのが、官公労と日教組、民放連だと言う事で。
この事は陰謀とかではなく、あからさまにされた。

日本以外の国では、基本的に、労働は、奴隷がする事。
日本は労働者だけの国にすればいい。つまり隷属すればいい。
独自の政策や戦略を持つ必要はない。持たれては困る。

日本人は、自分たちの国が労働者階級の国である事、奴隷状態にある事を自覚させない事。
日本人に自分の意思を持たせない事。
これは、陰謀でも何でもない。
日本以外の国の根本戦略である。あからさまな。

こういう事を念頭に置いて僕の話を聞いてほしい。
日本人は、労働を卑しみはしない。
だから、経営者も共に働く。
大切なのは、経営者と一緒に、会社の経営や制度の事を考え、社員の生活の向上を考えられる立場をとるか。
ただ、決められた仕事を決められた時間内にやり、決められた賃金をもらえればいいと考えるか。
それによって、自分で、社員になるか、それとも雇用者になるかを選べる会社にする。

かつて日本企業が強かったのは、社員が心を一つにできる体制だったからで。
ホンダや、松下、出光、ソニーと世界に冠たる企業群があった。
日本は心を一つにすることのできる組織が作れる。
その強みを日本人は自分の手で葬り去ろうとしている。

いい加減、日本人は目を醒まさないと、国を失うことになる。