仕事の基本は、指示を正確に聞き取ることにある。
考えてみよう。
例えば、レストランでは注文、オーダーを受ける事である。
そんな当たり前な事と思うかもしれないが、当たり前に指示を受けているだろうか。
レストランでは、お客様が見えたら、席に誘導し、メニューを渡して、お客が食べたい物を決めるのを待つ。その上で、注文を受ける。
考えてみよう。
上司が指示をしようとしているのに、気がついていない事はないか。
いつ指示されても困らないよう、指示を受けられる状態に準備できているか。

自分がレストランの客になったつもりで考えてみよう。
レストランに行った時、店員が空いた席に誘導しないで、スマホを弄っていたりしたら、どんな気がするか。
席に座っても、メニューも水も出さなかったら。
何をしに来たんだって態度をしたら。
当たり前な事である。
でも、ちゃんとできているだろうか。

あんた、何しに来たんだと聞く店員がいるだろうか。
「目的がわからないとメニューが出せない。」なんて考える店員はまともだろうか。
「目的を説明するのは客の責任だ。」なんて本気で思っているのだろうか。
目的を言わなければ席に誘導しないのが当たり前な事?
それを、基本だと思っている人に常識があると。

考えてみよう。
自分がレストランの客になったつもりで。
席にも案内されずに、入り口に、いつまでも立たされたら。
何度、声をかけても、無視されたら。
注文も聞かずに、長いあいだ待たされたら。

注文した事を忘れていて、いつまでたっても、料理が出てこなかったり。
注文もしてないのに、料理を出され。
注文なんか聞かなくても、あんたの気持ちはわかると開き直られたら。
注文したはずだと頑固に言い張られたら。

注文したのと違う料理を出されたので注意したら。
注文の仕方が悪いと逆に店員に言われたら。
注文した料理がいつまでたっても出ってこないので督促したら、言い訳されたら。
ドンブリに、指を突っ込んで出されて、態度が悪いと注意したら、プイと横をむいて無視されたら。
当たり前な事である。
まず、お客様が見えたら席に誘導し、注文を聞く。
当たり前なことである。

お客を、ほったらかして、延々と、ミーティングをしている店に、客は寄り付かない。
なぜ、はやらないか、なんて、原因を考えるまでもない。

当たり前な事がね。
当たり前にできないから。
当たり前な事がね、いざやろうとすると難しい。
できない事はできないと言おう。
わからない事はわからないと言おう。
知ったかぶりして、出まかせを言うのはよそう。
基本中の基本だけどね。

嘘はつかない。
その場をとりつくろったり。
曖昧な事や不確かな事を、確認もせずにしていると。
嘘をついてるつもりではなくても。
嘘ついてしまうことになったり。
嘘になる事がある。
曖昧な事、不確かな事は、すぐに確認する。
だから、いつでも確認できるようにしておく。
だって、記録がなければ確認しようがないだろ。
そんなの、理屈じゃないんだよ。事実なんだ。
間違いに気が付いたら速やかに改める。
これも基本。

小学生でも客が見えたら「いらしゃい」と声をかける。
何しに来たなんて言わない。
入口に何時間も立たせたりしない。
注文も聞かずに料理を作ったりはしない。

まず、メニューを見せて、どんな料理ができるかを明らかにして、お客様から、注文を聞く。

注文を取るためにはメニューを用意する必要がある。
メニューがなければ、注文は取れない。
メニューを用意するのは客ではない。店である。
なぜなら、店が何ができるかは、客には、わからないからである。
メニューが用意されたら、メニューにのせた料理が出せるように準備しておく。
メニューは、その店でできる料理と値段のリストである。
注文を受けてから材料を仕入れる店はない。
メニューは、お客に見せ、注文を取るのが目的である。

お客様が席に着いたら、先ず、メニューを見せ。
お客様の注文を待つ。
その際、可能な限りお客様の質問に応え、必要な事項の説明をする。
中には、ビュッフェ形式の店もある。

お客様が何を食べたいかが決またら注文を取る。

注文を、間違わないように、注文伝票やメモを手にして記録する。
自分は記憶力があるからとか。
記録する必要がないとか。
なぜ、記録する必要があるのなんて言う店員はいない。
注文を間違いなく、厨房に伝え、お客様に注文通りの料理を提供するためである。
一品でも記録する。
当たり前である。
記録漏れがあれば、帳尻が合わなくなり。
店員は自分が疑られる。
注文を受けたら、記録に基づいて注文内容を確認し、詳細を詰める。
ミスがあってはならないし、自分のミスを客の性にはできない。
そのために、メニューを用意し、伝票、筆記道具くらいは用意する。
注文を覚えていないのは、客が、悪いわけではない。
注文を記録するのは客ではない。
客が違うというのなら、記録がない限り、違うのである。
注文の細かいところは、適当でいい。忘れていい。なんて店員はいない。
注文を聞いて、仕事の段取りをするのは、客ではない。
気にいらないからと言って注文を後回しにする店員は、最低である。
いちいち、客の注文に口答えしたり、絡んだり、言い訳する店員はいない。
お客様が、水が欲しといえば、出せばいい。
それは、自分の仕事でないとか。
聞こえないふりをしたら、お客様が怒るのは当たり前。

学ぶ気のない者を教えることはできない。
忠告を聞く気のない者に聞かせることはできない。
これは基本。
何事も最初は、修行。
これも基本。最初からできる者はいない。

コーヒーにしますか。紅茶にしますか。
ホットですか。アイスですか。
いつお出ししたらいいですか。
焼き加減はどうしますか。
ライスにしますか。パンにしますか。
詳細を詰めるのは、店員の仕事、客の仕事ではない。
客が料理の事、何もわかってないと笑う店員は自分がわかっていないと言っているようなもの。

料理を作ることだけが仕事なのではない。
お客様を席に案内するのも、料理の仕事をするのも、注文を取るのも、店員の仕事。
お客様に不愉快な思いをさせないのも、店員の仕事のうち。
急病で倒れた客を自分の仕事ではないと放置する店員はいない。
それは人として許されない。
あんた何もわかっていない。
基本ができてないと客をしかる店員はいない。

注文を受けたら、速やかに、厨房に伝えるのも店員の仕事。
注文を伝えなければ料理はできない。あたりまえ。
指示をするのは客ではない。
注文を取るだけが、店員の仕事ではない。
ビュッフェ形式、セルフサービス形式でなければ、料理ができたら、運ぶのも店員の仕事。
後片付けするのも、店員の仕事。客の仕事ではない。
客がわかっていないのではない。
店員がわかっていないのである。

お客の背中で、独り言を言うな、つぶやくな、嘲笑するな、他の店員に囁くなと教えられた。
悪口を言われたお客様が誤解するからと。
誰も見てないからと、手を抜くな。
確かに誰も見ていないかもしれないが。
でも、親父は、お天道様が見ているよ。
自分はごまかせないよってね。

自分は、メニューを全て覚えているから大丈夫です。なんて店員はいない。
自分が覚えていても、メニューを見せなければ、お客には、店が何ができるかわからない。
メニューは客が用意し、何を作るかは店員が決めるという店はない。
メニューを暗記しない客が悪い。なんて店員はいない。
店に来る前に、何を食べたいか決めてこない客は悪い。なんていう店員もいない。
なぜ、その料理が食べたいか説明してくれないと注文は受けられない。なんて言う店員はいない。
それは、ほとんどやる気がないと言ってるのと同じだから。

昔、大衆食堂は、変に、店員に気兼ねして、最初から基本ができている、常識があるとして店に出し。
お客様から文句を言われてから注意する。
そうすると、店員は注意された事だけを記憶して、態度は改まらない。
高級料亭は、年齢も、経験も、学歴も関係なく基本、立ち振る舞い、戸の開け閉め、挨拶、口上の仕方、帳面の書き方、身だしなみと一通り躾ける。
注意されても、どこが、悪かったのかに気が付く。口答えしない。
だから、基本がしっかりしている。
最初から、基本ができてるとか、常識があるなんて思うなと。

客の注文なんて聞く必要はない。自分が出したい料理を出せばいい。
客の注文より、店の都合が優先する。
客に文句を言われて店員が辞められたら困る。
文句を客がいったら、謝りもせず、一致団結して説き伏せよう。なんて店はない。
客の了承なしに、注文を変更する事も、キャンセルすることもできない。
注文を注文を受けた店員以外に確認してはならない、店長に確認するのは失礼だ。
なんて、店もない。
自分達が正しくて、基本がわっかていて、客は、常識がないなんて、決めつけている店は、潰れる。
考えてみよう。お客様と店員どちらに基本を求めるべきか。
無論、寿司屋に来てラーメンを注文する客にも困るし、全て客が正しいとは言わないけど。
基本だけは身につけておこう。

キャッチボールもできないうちに変化球を覚えようとするな。
基本ができてないうちに応用は考えるな。
上手にできなくなったら、初心、原点に返る事だよ。
数学は、数を数えることから。

皆は、百歩先の事をいきなりしようとするからできない。
いきなり百歩先へ進もうとするから、進めなくなるのだ。
千里の道も一歩からというだろ。
百歩先のことで、思い悩むから、最初の一歩が踏み出せないでいる。
脚下照顧。
まず、足元から。
できる事から始めよう。
最初は、何事も一歩一歩。

基本は、基本だから、大概、誰でもできることだ。
だからこそ、皆、馬鹿にして基本を忘れる。
基本なんて注意するのも憚る様な事なのである。
それで、人に聞くこともできない。
教わっても、馬鹿にするなと聞かない。
教わろうとしない者に教える事はできない。

一定の年齢を過ぎたら、社会に出たら、基本・常識はできているとされるが。
基本ができていないから、常識がないから問題なのではないか。
基本を尋ねることを恐れるな、恥じるな。
いつまでも、基本ができない事こそ恥じるべきだ。

基本だから、常識とされることだから、却って、面倒くさいのだ。

考えてみよう。
基本なんて当たり前なこと言うけれど。
本当に自分は基本ができているだろうか。