相手の言っている事や指示が理解できない理由の多くは、内容が難しいというより、聞いていない事である。わかる、わからない以前に、聞いていない。あるいは、聞いてもすぐ忘れる。
確かに、内容が難しいという事もあるが、それ以上に、話を聞いていない。聞けない。聞き取れないのが原因であることが多い。
聞けないというのは、聞き返せないとという事もある。
相手の言っている事や指示が聞き取れない。聞き取れないけれど、聞いていないと言えない。
聴き返せないうちに時間が過ぎてしまった。
それで、聞いたつもり、聞いたふりして、憶測、推測で仕事をしてしまう。
出来上がった仕事が違っても、笑ってごまかすか。
そう指示したと開き直るしかない。

大体、一回、聞いたけで理解できない。
親父たちは最初からそのつもりでいたから、
「よく、わかったか。」と聞かれって。
「わかりました。」と答えると。
「嘘つくな。一回聞いた程度、わかるわけなだろ。
今は、話をきておけばいい。やっている値にわかる様になるよ。」と諭してくれた。
ただ、そう言われても聞き返すのは難しい。
最初に確認しておかないと、時間ばかりが無くなって、やっつけ仕事になる。
「確認もしないで、やっつけ仕事はするな。」と叱られる。
「なぜ、わからなかった聞きに来ない。」とどやされる。

我々は、単純に、同じことを繰り返し聴けるのは三度まで。
言い換えると、指示する者は、三度までは、同じことを聞かれても、丁寧に答えろと指導された。
しかし、三度までだぞとも。

だから、聞き返すのには工夫がいる。
紙に書いて確認させる。
わかる人に聞く。
他の人に聞かせる。
一つひとつ、行動に移しって確認する。言われた事をやってみる。

年をとって仕事ができなくなるのは。
相手の話が聞けなくなるからだ。
だから、新しい事が、わからなくなる。
それを聞き返す事ができない。
自分が解らない事を見とれれば楽だし、やりようもあるのに、わからない事を認められないから、やりようがなくなる。
なぜ、聞けないのか。
恥ずかしいとか、馬鹿にされたくないとか、沽券にかかわるとか、見えとか、くだらない感情であある場合が多い。
だから、歳をとったり、偉くなると馬鹿になる。
要は、謙虚になれというのは、単に、精神論だけでなく、実利的意味もある。
謙虚にならなければ、馬鹿になる。

仕事の基本を身につける、単純反復繰り返し。
野球で言えば、どれくらいボールを投げるか、捕球をするか、バット振るか。
一回で、身につけるか、十回で身につけるか、百回で身につけるかが、問題ではなく、身につくまで繰り返す。
問題は、途中で、諦めて投げ出す事で。
身につくまで、根気強く繰り返すしかない。
はやく身につければいいというわけではない。
時間をかけて身につけた方が、然り身につく事もある。
はやく身につける者は、飽きも早い。
大切なのは、本当の勝負は、基本を身につけてからだから。

物理とか、数学とか、会計とか。
難しく考えたらできなくなる。
1+1から。
一枚一枚の伝票から。
勉強ができなかった原因は難しい問題から解こうとしたから。
その事に気がついたのは、学校を卒業して随分経ってからだけどね。

だから、諦めるな。
簡単な事を軽んじるな。

恥ずかしい事だけど、会計の初歩的な事もわかってないなと気がついたのは、四十過ぎてだよね。
それから、CDの三級簿記の演習問題を十年近く毎日一時間、解き続けて、やっと、会計の話がわかる様になったかな。
それでも、この間、試算表の初歩的なことが分からないなと、再学習を覚悟したんだけどね。

一度で百%わかるわけではないけど、かといって、全然わからないわけでもない。
三十%理解できる人がいるかと思えば、十%も理解できない人もいるし。
理解できてる個所や理解の度合い、質も違う。
だから、チームで仕事するためには、リーダーは、そこが知りたいから確認する。
馬鹿か、利口が知りたいわけではなく。
それぞれの能力、適性、経験、知識、理解度、練度、技術力等がわからないと責任や分担ができないからで。
学校で試験するのとはわけが違う。
メンバーのランク付けしたところで意味がない。

これは、自分の経験だけど。
成績の悪い原因の多くは自分にあって、すぐに諦めたり、逆に、負けん気が強くて、自分がわからない事、できない事を認めたくない。
自分に向いってないとか、やったて無駄だからとすぐ諦める奴。投げ出す奴は、何をやっても駄目ね。
それと根気が続かない奴。
それに気位が高くて負けん気が強い奴。
自分より優れた人やできる人を認めないから、協調性が持てない。
他人を受け入れられない。ついつい相手を見下した態度をとるから、そいううつもりはないと言っても相手に伝わる。
だから、いつも俺は、自分に敗けるなと言い聞かせている。
特に、人に褒められたりすると図に乗るから我を失う。
本心から、反省するようにしている。
だから、人を指導するというのは、本当に怖い。自分との戦いに過ぎないから。

自分にできない事、わからない事に気がつくから、聞くので、また、聞いて学ぶので、わっかったと思った瞬間から、わからなくなる。
自分が何がわかっていて、何がわからないのか。
何ができって、何ができないのかを知らないと、思わぬ恥をかく。

哀しい事にね、年をとるとわからない事、できない事が増えていく。
自分の子供から学べるようになれたらいいなといつも思っている。
だからいまだまだ勉強が指定と。
知ったかぶりしたり、できないのに、虚勢を張って威張っているやつ見てると哀れだよね。

若い頃は、わかっていない、できない事を思い知らされた。
少しでも、知ったかぶりをすると、徹底的に叩かれた。
ただ、これも、よし悪しで、若者を委縮させてしまう。
だから、指導は、難しい。

一番、辛いのは、たとえ、わからくても、できなくても、決める時には決めて。
やるべき時にはやらなければならない事だ。
だから、自分の限界を知り、覚悟しなければ、決断なんてできない。
結論は、やってみないとわからない。
やる前から、決断が解った風に言うのは、最も愚劣だ。

出来ないから、わからないから困っているので。
出来たら、わかったら、助けなんていらない。
それは、医者に行って、どこも悪いところはない、助けを必要としていないというようなもの。

出来もしないことをできると見栄をはったところで、わからないことをわかっていると、知ったかぶりをしたところでなんにもならない。
困っているから、助けてほしいので。
できると、わかっているど自慢した、意味がない。

自分一人ではできない。
自分に代わって仕事の一部を任せられる人がないと、潰れてしまう。
できれば、自分にできないこと、自分より優れた人に任せたい。
そう気がつけば、他人をリスペクトする事、認め、受け入れる事を覚える。

出来ないことが問題なのではなく。
できないことを認め、受け入れられないことが問題なんだ。

リーダーは、何でも、人より優れ、できることを自慢するのではなく。
自分より優れた部下がどれくらいいるかを自慢すべきなので。
野球の監督は、総ての選手が、自分より優れていることを理解しないと勤まらない。
自分が一番優れていると選手と競うようでは、監督は務まらない。
自慢にもならない。

できないからわかることもある。できるからわからないこともある。
できなければなぜできないかを考える。
できれば考えられない。
何でもできる者は失敗から学べないから。
だから、時間をかけてできるようになるのも悪くはない。
ただ、諦めなければ。

自分に何ができるか。
卑屈になるな。
駄目な事が悪いんではない。
駄目な事を認められない事が悪いんだ。

キックオフは、キックオフである。
試合の終わりではない。
試合の始まりを宣言(指示)すること。
キックオフまでに試合が始められるよう、全員が準備を終え、配置につく。
キックオフをしたら、選手は一斉に試合を始める。
キックオフをしてから、準備を始めても遅い。
かといってキックオフした直後にベンチで休むのは早い。

わかってやるのと、わからないでやるのとでは天と地ほど違う。

かつて先輩たちは、指示をしたら、相手に動きに合わせて、仕事の詳細を詰め、或いは、軌道修正をした。
そのために、指示をしたら一拍おいて対応したもの。
それは次に自分が何をしたらいいかわかっていたから。

ただ、次の世代は、一拍おく意味がわかっていない。
少し間を置く事だけを覚えてしまった。
結果、間おくのではなく、やりっぱなし。
つまり、確認したり、詳細を詰め、必要に応じって軌道修正しない。
結果的に、仕事の初期設定、連続性、継続性、統一性が保てなくなる。

だから、先輩たちは、指示した直後少し間をおいて指示の確認を促していた。
最初は、指示した直後に。
少し慣れたら、自分から、確認をするように。
ある程度、仕事を相手が覚えたら、確認と共に、どうしたらいいか自分の考えを聞くようにする。
自分の考えを言えるようになったら、一つに仕事を任せ。
一つの仕事を最初から一貫してできる様になったら。
部下を持たせ。
部下を任せられるようになったら、一つの部門をというように。
一人ひとりの個性や、能力、練度、適正に合わせて指示を調整した。
それを、現場で仕事をとして教育伝承してきた。

今のマネージャーの多くは、経験的に理解していない。
その原因はいろいろある。例えば、時代や環境の変化、技術革新、情報通信技術の発達など。
ただ、きちんと仕事を繋げられなくなったことも現実である。

指示命令の出し方、うけ方ができていない。
できていない事を自覚しないと、指示命令系統が断線、寸断されてしまう。
それは、情報社会の今日、致命的になる。

難しい、高度の技術、知識を必要としてる事が出来ないのではなく。
基本、簡単で単純な事が出来なくなっているから、深刻なのだ。
情報、システム、技術が進歩すればするほど、基本が問われる事を忘れないようにね。

初歩的な事、基本的な事で、注意を受ける度に、頭に血が上っているようでは、どんどん時代に取り残されるよ。
アマチアのゴルファーは、すぐに、ドライバーを振り回すが、プロほど、基本練習を大事にする。

俺達は、指示したり、指示されたら、しばらく間を置いて、必ず確認を求められた。
確認はどちらからでもいい。
何かミスしたら、必ずと言っていいほど、
「確認したか。確認してなかったら、言い訳するな。時間の無駄になる」と。
指示された事を一拍おいて確認し、詳細を詰めて、はじめて、仕事に着手する。
これは、身に付けば無意識でもできるようになる。
仕事の詰めをしなければ、指示命令の出しっぱなしになる。
やり放しにするな。確認しろ。
だらしない仕事、ケジメのない仕事、いい加減な仕事、適当な仕事はするなと、いつも、叱られた。
頭だけで理解しようとする者は、この道理がわからない。
頭で理解し、体に覚えさせてはじめて体得できる。
水泳も、野球も、剣道も、本を読めば理解できると言うわけではない。
最初はとにかく言われた事を素直にやる。
基本のマスターは年をとると習得が難しくなる。
プロスポーツの選手には、成人するまでに基本を体得していなければなれない。
プロとアマでは、ボールの投げ方一つ違うのである。
兎に角、基本は、なるべく、若いうちに身につける。
若いうちに、言い訳、口答え、手抜き、誤魔化し、楽する事をおぼえたら、末路は悲惨だ。