母親というのは覚悟して子供を躾ている。
それは、母親でしかわからない。
だから、母親が子供を叱る時は常に真剣で、全力。
他人の子にはできない。
自分の子だからできるし。妥協もしない。
それは、その子を守るため。
大人になった時、社会で生きていくため。
恥をかかさないため。

母親は、子供が、急に道路に飛び出したら、凄まじい勢いで叱る。
子供が泣いても、喚いても、嫌がっても叱る。
その時、その場で叱る。
外聞なんて気にしないで叱る。
後で叱っても、子供に通じないのがわかっているから。

叱ると言うのは相手の嫌がる事、辛い事。
嫌がる事、辛い事でないと効果がない。
だから、母親も、厭で辛い。
身が斬られるほど辛い。
泣きたくなるほど辛い。
しかし、叱らなければ身に染まない。
身に沁みなければ、子供は守れない。
だから、𠮟る。
叱らなければ育てられない。

それは、上司も同じ。自分の部下を覚悟して育てる。
その覚悟がなければ部下は叱れない。
部下を叱れなければ、育てられない。
だから、覚悟して部下を指導する。

指示しても、行動に移さなければ、わかったとは言わない。
母親は、子供に、片付けなさいと指示する。
厳しい母親は、自分では片付けない。
自分で片付ければ、甘やかすことになるから、自分で片付けさせる。
子供がわかったよといっても、片付けるまで納得しない。
要は、行動が伴うまで、言い続ける。
やれと言ったら、やるまで、しつこく言い続ける。
子供は、当然、しつこい、くどいと責める。
反発もする。
それでも母親は、動じずに言い続ける。
なぜなら、その時、やらなければ、できなくなると思っているから。
安易に、指示を撤回すると子供は許されたと思い、甘えるから。
母親は辛いけど貫こうとする。

いい先輩、いい上司は、声を出せと言ったら、小さくても声を出すまで帰さない。
ここで声を出さなければ、声を出せなくなると覚悟して指導しているから。
いい先輩は、言い訳や、誤魔化しをさせない。
いい訳や、誤魔化しを許したら、言い訳や、誤魔化しをする事を覚えさせるから。
だから、いい先輩、いい上司は覚悟して指導する。
母親は、外聞なんて構っていられない。
真剣なのだ。
その真剣さがわからなければ、母親の気持ちはわからない。

今の日本人にその覚悟があるのか。

叱られる者に同情する者はいてもいても。
叱る者に同情する者はいない。
だから、勇気をもって叱ったり、注意している者を孤立させてはいけない。

叱るのと怒るのは、根本が違うのだから。
叱る時は感情を交えない。
怒るのは、感情に任せて怒る。

息子をカナダに出す時、家内は、覚悟して育てたけれど、遠く、離れて暮らす覚悟はしていなかったと泣くのですよ。今でも。でも、僕は泣けない。旅立ちに涙は禁物と躾けられたから。