自分が変わらなければ、何も変わらない。

ああ、もう駄目だと思ったところから、本当の仕事が始まると教えられた。
虚勢を張っているうちは駄目だよ。
虚勢や虚飾を棄てなければ、その人の本領は発揮できない。

断崖に立たされた時、後がないと思えば踏ん張れるが、まだ一メートルあると思えば踏ん張れない。
火事場の馬鹿時からというだろ。

ああ駄目だと、もうできないと諦められるのは、まだ、ゆとりがある証拠。
やらなければ、生きていけないと思えば、できるできないで悩んだりしない。

狭き門から入れと言うように。
チャンスは限られている。
だから必死につかまない限り。チャンスをものにする事はできない。

年配の者が、仕事もしないで、虚勢を張ってふんぞりかえっているのを見ると腹が立つ。

変わるためには気力体力がいる。
歳を取るとどうしても保守的になる。

若い時に度胸をつけろ。
三十歳でやれない事を五十過ぎてできるようになると思うな。

上手くやろうと思うな。
ぶっ潰すぐらいの覚悟でちょうどいいんだと、口癖のように言ってきた。

やらなければ。
一度もバット振らずに三振するな。
同じ三振するなら、フルスイングをして三振しろ。

年寄りにできるのは、若者に勇気を持たせることで、臆病にさせる事ではない。
歳を取ると気力体力で若者に劣るようになる。
それを虚勢を張って誤魔化し、自分お経験を絶対化していたら、若者が育つはずがない。
その結果が今の日本の現状だ。

マニュアルにできるのは、マニュアルにできる仕事。
マニュアルは、過去の経験を洗練し、一手の形、手順、段取りに整理した事。
つまり、過去の経験に基づかなければ作れない。
それは、マニュアルは、特定に人間の過去の経験に囚われている事を意味する。
つまりは、過去の遺物である。
大体、最初から、マニュアルが作れるわけではない。
今の様に、変化が激しい時、先端技術は、マニュアルに囚われているとあっという間に、時代に取り残されたしまう。

親父たちは、焼け野原の中から、這い上がって日本の繁栄を築いた。
だから、親父たちの時代にはマニュアルなんてなかった。
マニュアルを作り始めたの、次の世代、つまり、我々の世代だ。
それは、親父たちの仕事を継承する必要があっての事。
しかし、そのために日本の技術は、時代遅れになってしまった。
本当の技術は、マニュアルでは伝えられない。

仕事には、手順、流れがある。
節を作るな。
仕事は、大きな丸い石を転がすようなもの。
転がしているうちは、惰性でも動かせるが、一度止めると次に動かそうとした時、何倍もの労力を必要とすると。
最初に、軌道に乗せ、動き出した節を作るな。

打ち合わせた結果や、調査した結果、何らかのイベントなどで得た情報をどうするのか。
それを考えるのが部門長や、マネジャーの仕事。
報告を受けたらどうするのか。
メールしました、チャットに貼りましたで責任が果たせるわけではないでしょ。
レストランで、調理する前の生肉を出して自分の責任を果たしたと思う調理人はいない。
少なくとも、客が食べられるようにして提供するのが世間の一般常識。
テーブルに、ポンと生肉出してさあ食えはないだろ。
悪いのは、調理できない客か。
そんな事、客の性にしてどうするの。

何も、山坂越えて話に行けと言うのではない。
目の前にいる人と話をしろと言ってるだけ。
当人を目の前にして、ああだこうだ言っても声をかけなければ始まらない。
持って回った言い方はやめろ。

責任者が段取らないと下は動けない。
別に、難しい事を言ているわけではない。
何が何してなんとやらでは、わからない。
いつ誰と何をするのか。
支店長という名の支店長は、わが社にはいない。

部門長を無視して勝手に担当者は、話を勧められない。
責任者以外のところに話を持っていても頓珍漢になるだけ。
誰が、キーマンなのか考えろ。
そして行動を起こせ。

肝心な人間に話を通さなければ仕事は進まないの。
親に口説いたって、妹にプロポーズしたって、友達に仲立ちを頼んでも、当人に話をしなければ、結婚はできないの。
肝心の人間を後回しにし、遠回しに話すから、頓珍漢になる。
何を、びっびているなだ。
当たって砕けろとぶつかっていかないと。

決めてほしければ決められるように知って持って来いとよく叱られたよ。
簡単に決めれらる事を、難しくして決められないようにされてたら、やる気あるのかと。
自分でこねくり回して決められなくしておいて、あなたが決めないからはないだろ。
そのうち、総理大臣もマニュアルがなければと言い出すぞ。
一つひとつ決められるところから決めて、できるところらやっていけば。
十日やれば、十日だけ進み。百日やれば百日分進む。
千里に道も一歩から。