このままでは、いつまでたってもできない。
なぜなら、責任ある者が、自分ができない事をできないと認めないからだ。
自分にできないと認めないから、何もできないうちに時間ばかりが立つ。
自分でできない事を認めないで、他人の性にばかりしているから、教わる事も、任せる事もできない。
虚勢を張って嘘とごまかしで固める。
できない事、知らない事を知られると、馬鹿にされ、相手に、されなくなると思っているから。
触れられると、癇癪を起し、見当違いの人間い八つ当たりをする。

本当に実力のある人、わかっている人に出会うと、ばれないようにこそこそと隠れたり、逃げ出す。
部下に丸投げし、責める。上司には、自分の話を聞かない、批判ばかりする。
それもこれも、自分びできない事を自分で認めないから。
歳と供に、ますます頑固に、他人から学ぶ事も、任せる事ができない。
哀れな事だが。
他の人から見れば迷惑な事。
やってない、できないという結果しか残されないから。
恥ずかしだの、悔しいのは、私情に過ぎない。
私情で会社を潰されたらたまらない。

戦う相手間違うな。
どっちに向けて鉄砲、ぶっ放しているんだ。

あら方仕事をしておいて、仕上げだけをするように段取っておけば、慌てないで済む。

頭も体も使わなういと、鍛えないと、三十前後から劣化し、回復できなくなる。

自分で他人の指導を拒否し、そのくせうまくできなかったとき、誰も教えてくれなかった、助けてくれなかったというのは、すでに言い訳になっていることに気がついていない。
他人に教えを請うときは、自分から頭を下げていくものだ。

責任者は、やる抜かなければならない、何は、ともあれ結果を出さなければならないという自覚が最初から欠如しているものが増えてきた。
やってません。忘れました。できませんでしたでは済まされない。
誰も、指示してくれなかった。教えてくれない。
引継ぎされていないということ自体、既にいいわけなのであり。

どんなことがあろうとやるべき事はやっておかなければならない。

やってなければ何を言っても言い訳になる。
子供にだってわかる道理である。

私だって、最初からできてたわけでものいし、今でも、納得がいくか、できているかと聞かれたら、まだまだと答えるしかない。
自分が、やていない、できていないのを棚に上げて、若い者に偉そうなこと言う気にはなれない。
大体若いのが聞きたいのは成功話ではなく。
失敗談の方だろう。
なぜなら、失敗の方が参考になるから。
成功なんて自慢話に過ぎない。

何もなく、教えてくれる人もいない中で、自分なりにやってきた。
やるしかなかっただけで。
未熟だから、経験がないからと、仕事を任せられないのは愚劣だ。
偉そうに、自分達はあたかも、できるように言うが、自分でって出来てないし、やってない。

自分ができていないから、任せられないので、自分ができていれば、任せられる。
だからと言って、若者に任せられなければ、若者たちから成長の芽を摘んでしまうだけだ。

気力体力、新し事に対する、知識など、若者にかなうはずがない。
それは、昔だって同じ、だから、組合だの作って、若者は反乱した。
あの時の若者だっ手、年をとり、あの時の大人と同じことをしている。
自分達に何ができて、何ができないか、はっきりさせようよ。

我々は、次の時代を、若者たちに任せなければならないのだからさ。
自分も年をとった事を認めようよ。

嘘つく事や、誤魔化し事ばかり覚えて。
嘘つく事や誤魔化す事ばかり教えて何になるの。

若者たちの為に、身を呈して道を切り拓くのが大人たちの仕事さ。