僕は、昭和二十年を境に、日本の文学も思想も断絶していると思うのですね。
でもその断絶を戦後の知識人は認めていない。
それでも、僕らの世代は戦前の思想をどこかで引きずっている。
残像みたいなものですね。
この辺の事情が、今の若い世代に理解しにくい。
僕が学生時代は、左翼一辺倒で、マルキストか、アナキスト以外知識人になれない。
だから、右にしろ左にしろ反体制、反権威、反権力。
その癖、一般に共産主義に対してはアレルギーがある。おかしな話ですよ。
それは、芸人でもね。タケシにしろ、タモリにしろ、所にしろ、アウトサイダーですから。
それが今の芸人と違う。

戦後の日本人は、反米、反戦と言えても、鬼畜米英とは言えない。
鬱屈している。

要するに、誰も、太平洋戦争を総括してない。
ある意味で無視しているんですね。
俺達にはかかわりがなっかたって。
あれは、親父たちが、しでかしたことで。
俺達には関係ない。

真っ向から、欧米的なものを否定なんてできない。
負けたのですから。

僕は、まだ、戦争を経験した人の話を直に聞けた。
彼らは、口は一様に重いですけれど、心を許せば結構話をしてくれて。

父は、工兵で、満州に最初派遣され、終戦は、宮古島で迎えました。
宮古島では、煙が立てられないから、戦死者の手首を切って七輪で焼いたと、淡々と話しくれたことがあります。空襲が激しくなると、それも、できなくなり。石を骨壺に入れたと。
そんな親父も軍歌は終生唄っていました。
宮古島にわたる時、親父の乗った輸送船は、ぼろ船で。
新鋭艦は、魚雷の攻撃を受けて沈んだけど自分の船は、攻撃されなかった。
船が沈没するのは、まるでシネマを見てるようだったと。
祖母は、三月十日の空襲や、関東大震災を経験し。どちらも九死に一生を得たと。
その祖母が、空襲の時、綺麗だったよと。大きな花火みたいでと話してくれました。
逃げ込もうとした防空壕が、いっぱいで他の防空壕に逃げたけど。
いっぱいで逃げ込めなかった防空壕を焼夷弾が直撃して。

話は、悲惨な話なんですけど、彼らの話は、一様に経験なんですね。
それも、遠足の時の思い出を話すような調子で。
だけど、あの戦争をどう考えているかは言わない。それは誰も言わない。
親父たちは何を言いたかったのか。
負けたという悔しさ滲ませていたけど、戦後は、何も語らなかった。
なぜ、何のために、誰の為に戦たのかって。
誰も言おうとしなかった。

ただ、信じて戦たとしか。
でも、何を信じて、何を守ろうとしていたのかは語ってくれなかった。

戦後、ちばてつやや、横山光輝の初期の漫画は、戦前の残像を引きずっていて。
でも、だんだんに、残像も色褪せて。

親父たちが沈黙していたのに、戦後の、知識人は、雄弁だった。
自分たちは、戦争に関わっていなかったかの如く、被害者みたいに。
下手すると、俺達は、戦争に反対だったと。
だから、戦後の知識人に違和感を感じる。
右にしろ、左にしろ、あの戦争に決着をつけようとしていない。
逃げている。
ただ戦前の日本とは、無縁なところで、反戦とか、反米だとか。

だから、虚しいのです。

僕は、漫画の方が、ずっと哲学的に感じる。

大義は勝者の側にある。敗者は、勝者の憐憫に縋るだけ。
たった一発の爆弾で十万人以上の無辜の民が死んでも。
日本は何も言えない。

皆、忘れているんですよ。
白人支配に最後まで自力で独立を守った唯一のアジアの民だという事を。
最後は、力尽きましたけど。
でも、植民地支配を終焉に導いたのも事実です。

多くの名もなき人々は、夫や息子、父、友と言った大切な人、愛する人を失ったというのに。
何も語ろうともせず。
ジッと運命を受け入れ。黙々と生きてきた。耐えてきた。
その心の底にあるものを明かそうともせず。我慢して、我慢してきた。

三島の事を言うけれど。
三島にあるのは、美学であって、思想ではない。
文学であっても哲学ではない。

だから、若い人の方がクリアーに本質を見抜いている気がします。

戦後の知識人ていったところで大本のところがハッキリしない。
要は、根無し草なんですね。
だって、あの戦争を総括してないんですから。それは、司馬遼太郎にしてもですね。
結局、反米だとか、歴史問題なんかでお茶を濁している。
自分の思想に立脚していない。
マルクスとか、ケインズとか。
ドイツ観念論がどうのと言ったところで海外の思想を移植したに過ぎない。
無批判に。
日本的といったて日本に根差してるわけではないんですよ。
自分の言葉で語っていない。
どこか、借りてきた言葉の様で。
正義と言ったところで、誰かに言わされているにすぎず。

夏目だって、鴎外だって、藤村だって、自分の言葉で作品を書いていたけど。
戦後の日本は、文学だって、思想だって、教育だって借り物に過ぎなかった。
もう、そろそろ自分の言葉で語ってもいいのではないか。

そうしないと、日本の文化は実体のない雲か霧のように霞んで、霧散していくように思えて。

夏。
見上げると、青い空。
もくもくと湧き上がる入道雲。
セミの鳴き声。
滴る汗。
幾たび、日本の夏が来ても、その記憶の底に、英霊たちのうめき声が。
深く深く、沈んでいく。
なぜ、何のために、誰のために、俺達は、戦ったのかと。