日本人は、敗戦後、いろいろな勢力によて、雑多な、価値観を刷り込まれたきた。
日本人は、世界の人々は、善意で自分で受け入れてくれると思い込んでいる。
しかし、世界は、日本人が考えているほど甘くない。
日本人の中には、本気で、武装放棄をしたら、他国は攻めてこないと信じているお人好しがいるみたいだ。
日本人は、戦後ありもしない幻想に囚われて、現実を直視する事が出来なくなっているらしい。
北朝鮮にミサイルを撃ち込まれただけでその時だけオタオタするが。
のど元過ぎればなんとやらで、その場かぎりに終わってしまう。
しかし、脅威は、常にそこに存在している。

ベトナム戦争反対、反戦の名目で、言われたことを言われた通りしてはいけない。
言われた通りにするのは、馬鹿か、臆病者。
無言の抵抗、叛逆の美学。
社畜になるななどと刷り込まれた世代がいる。
ベトナム戦争は、アメリカの敗北で幕を閉じたが、その時、刷り込まれた価値観が潜在的に働いてある世代がいる。

そして、学園紛争も浅間山荘、安田講堂、早稲田大学生の殺人事件、連合赤軍、内ゲバなど、惨めな結果で終焉する。
我々、二八世代は、団塊の世代と三無主義世代の分水嶺に立たされているからよくわかる。
一級上の先輩は、三日三晩徹夜してはじめて本音が出ると嘯いていたのに、一級下の後輩は、三十分議論に耐えられない。
紛争世代が、文部省や、学校に入り込み、そして、その後、教育を継承したのが、三無主義世代。
今のゆとり教育の原型は彼らが作り上げた。
だから、彼らの教育思想は鵺のよう、過激派の考えと、日和見主義、事なかれ主義が、ごちゃごちゃに混在している。
まともではない。

そして、その隙間に入り込んだのが。オームに統一教会。

何も信じるな。
信じられない。
でも信じたい。

若い者には信じられないかもしれないがね。
今なぜと考えると歴史を振り返る必要がある。

歌の歴史を見ればわかる。
団塊の世代は、ロックにフォークソング、どっちにしても主張がなければ、見向きもされない。
ビートルズに、ボブディラン。
三無主義になるとアイドル全盛。野口五郎に郷ひろみ、タノキントリオ、ジャニーズ。
その間を埋めるのが、ユーミン、矢沢永吉。

彼等はあからさまな抵抗をしないが、消極的な抵抗を無意識にする傾向がある。
即ち、指示に従わない。指示を無視する。指示通りのことをしない。指示されたことを少し変えるというようなこと。
そして、極めて冷めた反応、なにごとにも冷ややかで、斜に構えている。
どこかに、諦めがあって、何をやったって無駄。
何をやっても変わらないよ。
熱中するだけ馬鹿を見る。
皆、同じだよといった自虐的、諦観がある。
だから、事勿れ主義、日和見主義、三無主義に陥る。

無責任で、やる気がなく、いやになったすぐに投げ出す。
子供には、自分の好きな生き方をしろと言いながら、どこか依存している。
何事もにも醒めていって、表面的には、要領よく合わせるけれど、芯がなく。軽い。
そんな生き方と、俺は思うけど、彼らはそれでいいと信じている。
何でも、ほどほど、適当。
事あるごとに、人を批判する。
その癖、見栄坊で。他人の目を気にして、自分がない。
自分では何も決められない。
他人を批判しているくせに自分がないから、他人に依存する。
だから、鬱になる。

若い世代に、微妙に影響し、若者が、何を信じていいのかわからい状態になっている。
まっすぐ前を見るがいい。
正しいと思う事を言っている人に素直に従えば、間違いないよ。
澄んだ目で見るんだな。

準備は、実施する前にやる。
試合が終わってから、練習しても意味がない。
結果が出てから慌てても、手遅れ。
結果が出る前に、諦めるのは早計。
勉強不足、準備不足を結果が出てから、後悔しても遅い。

守備位置や打順は、試合が始まる前に決めるので。
指示は、作業を始める前に出す。作業が終わってから指示しても意味がない。
作業が始まった後に指示しても混乱させるだけ。
マネージャーは、組織の束ね、要でマネージャーが指示しなければ仕事は、まとまりが欠け、統制が取れなくなる。
監督と選手は役割が違う。
監督が、常に、全体を掌握していなければチームは成り立たない。

指示をだせるものは予め決められていなければ、組織の統一性は保たれない。

選手だけで野球は、成り立っているわけではなく。
一人では野球はできない。
投手と捕手を一人で兼ねることはできない。
選手は部分を担っている。

仕事には、全体がある。
組織にも全体がある。

全体を代表するのが責任者。

組織を統括する者は、常に全体が見えるところに立たなければならない。
一選手の間違いは、個人の間違いで済まされるが、全体を統括する者の間違いは、全体に、影響が及ぶ。
だからと言って、決断を遅らせる事はできない。
不決断は、最大の誤判断だからである。

監督が書斎にこもって一人で仕事をしてもチームはできない。

時は待ってくれない。
ただ過ぎ去っていく。

相手の事と気にして指示できないのではない。
指示しないのは自分が可愛いからだ。
自分が傷つきたくないからだ。
自分が責任を負いたくないからだ。
指示をしても、正当な理由があれば、断る事もできる。
しかし、指示をしなければ、断る事もできない。
何かあった時に、謗られるのは担当者だ。
弁明も許されない。
一般に指示されていると思われるかだ。
責められるのは、担当者。
指示すると言うのは、自分が責任を持つと言う意志の表れ。
指示しないのは、保身にすぎない。

仕事が始まってから、守備位置、役割分担を決めるのではないからね。
仕事を始めてから、準備するわけではないから、試合が始めたら訓練したって遅い。
仕事を着手してから、指示しても遅い。
ボールを投げた後にサインを出すような事。
後だしじゃんけんは卑劣。
結果を見て決断するわけにはいかない。
責任を取る覚悟をして決断する。
子供は、欲望に敗け作るものではなく。
親になる覚悟があって作るもの。
結婚は惰性ではない。決断に基づくもの。