先ず、みんなが学ばなければならないのは、学校で教わらなかったこと。
学校が教えなかったこと。

それは、問題を自分で設定する。作る事ね。

学校は、当たり前に教えない。
教えないどころか禁じてしまう。
だって、自分勝手に、問題なんか設定されたら学校は困るだろ。
でも、社会に出たら真っ先に求められるのが、この問題設定。
学問は、きちんと問題設定が出来たら、八分かた、終わる。
物理だって、数学だって、問題は設定されていて答えのない事を探究するのだから。
物理学者だって、数学者だって、答えがわかっている問題に関心はない。
答えが出ていない問題、検証されていない問題だから研究するので。

学校では、問題の設定の仕方を教えない。
だから、学校生活が長くなると、問題の設定の仕方を忘れてしまう。
学校では、問題の解き方ばかりを教える。
答えは、学校が予め設定した事。
正解は一つしかない。
だから、学校教育が長い人は、いきなり問題を解こうとする。
そして、答えを求めようとする。

問題がハッキリしない、わからないのに、答えは何と。
問題設定がされていないのに答えばかり求めれば、手詰まりになる。
当たり前な事で、問題がわからなければ、答えなど出しようがないからである。

いきなり、教育をするとか、計画を立てるとか、会議をする、食事会をすると言われても。
何が問題かを見極めないと。

先ず、問題を最初に意識しよう。
それが、問題意識。
問題意識を持とう。

自分で問題設定するのだから、当然、答えはない。
正解は自分で考える。
でも、問題設定は世の中に出たら、真っ先に求められる。

例えば、お前はどんな仕事をして生きていくのか。
あなたは、どんな生き方をしますか。
なぜ、結婚するの。どうしたら、結婚相手に出会えるの。
自分は、どんな仕事に向いているか。
こういう問題は自分で設定しなければ、誰も問題にしない。
学校ではないのだから。試験問題ではないのだから。
問題は自分で探す。

こんな設問は、学校では教えないけど、人生を考える上では必須の設問。
先ず、自分で問題意識をもって。問題を設定する事を学ぶ。

問題というのは、前文と条件文と設問からなる。
設問だけでは、問題は解けない。
重要なのは、条件文で、どのような条件文にするかが、鍵を握っている。
条件文は、前提条件を明確にする必要がある。
設問は、何を求めているかを明らかにする。
条件に必要要件が含まれていないと正確な答えは出せない。

いい加減、適当な問題では、いい加減、適当な答えが出る。
条件は、基本的に制約条件となる。
満足な答えが出せなければ、問題そのもの見なおして作り替えていい。
学校では、問題は与えられる事と刷り込まれているが。
世の中では、問題は、自分でつくる事。
学校では、問題と解く事しか教えられていない。
だから、自分で問題意識をもって、問題を作る事から取り組む事が出来なくなる。
それでは、何も始められない。
自分で問題を作る事を学ぶ。
一般に前文(問題文)には、問題の主旨、目的も含まれる。
文で、何が問題なのか、問題の核心や問題点を明らかにする。

物理を学ぶとき、先に問題設定をしなさいと教えられた。

その時、教授たちに、今まで、学んできたことは忘れなさい。
特に暗記した方程式は、邪魔にこそなれ、なんの役にも立たないと。

エ~だよね。

挙句、答えはないと。
でも冷静に考えたらそうだよね。
誰を、好きになり、どんな家庭を築きたいか。
それは、問題であって、答えじゃない。問題が先なんだよね。

今度、電子帳簿保存法になる。
何をすべきか。

教育を任された。
どうする。

これも答えが先ではない。
問題点をハッキリさせないと。問題。

それで、前文が大切で、そんな経緯でとか、目的はとか、背景とか。
なんの教育。どのような教育が必要なの。
何が問題なのか、問題点の抽出。
これは、学校の試験問題では、まったく、問題にされないで。

次に、条件ね。
誰からの指示。
対象は。
人数は。
年齢は。
場所は。
目的。
方針は。
履歴。
そして、いつ。時間は。日程は。
予算は等々。

ハッキリしていない項目、未定な部分は、設問に切り替えていく。

条件には、前提条件、制約条件、原則、基準、方針等がある。

この辺を明確にして作り込んで。
それで、設問に一工夫が必要。

いきなり、主題に入るのではなく。
誰に相談したらいいかとか。
実際に、できる事は、何かみたいに。
答えが行動に結び付くように設問を設定する。

皆、「問題は何か」と言っていながら、答えを探してない。
問題がハッキリしてないのに問題を解こうとしてない。
先ず、問題から作る。いきなり答えを出そうとしても無理なの。
問題が先さ。それを順序という。

答えにたどり着かないとか、焦点が合わないとか、道筋がつかない、意見がかみ合わないなどと症状が出た時。そもそも、問題設定、間違ってないと考えるのも一つ。

問題がハッキリしなとか、問題を共有できていない、問題がわからない、そもそも、問題がないなんてこともあるからね。
問題をキッチンと設定する相手だと、指示された側は、問題を確認しないと、いつまでも、かみ合わないと思うよ。

問題は、問題なんだよ。

わからなくなったら問題を見直せと言うけれど、そもそも、問題が曖昧模糊としていたら。
だらしない、問題設定したら、だらしない答えしか出せないし。
いい加減な問題設定したら、いい加減になるし。
適当な問題設定したら、適当な答えになるし。
問題を明確にするためには問題を書きださないと。
それに、問題を共有したければ、書いた問題を皆に見せないと。

見せるのは、共有するのは、問題であって答えではない。
なぜなら、答えは結論で、出したらお終いで、皆で共同して解くのは問題だから。
問題を共有しなければ、共同作業は始まらない。

例えば、この度、新人が配属されたので、新人教育をしなければならなくなった。
条件 名前、年齢、経験、経歴等々。
設問 目的は何か。どのような体制で臨むか。
役割分担は。何を教えるのか。いつまでに教えるのか。
どのように教えるか。
支店と本社の分担は等など。

例えば この度、電子帳票保存法が施行される事になりました。
条件 わが社の現状。担当。保存法を志向するための条件。
設問 どのようにして、全社員に周知するか。施行後の問題点は何か。
現場に何を期待するか。
施行までにやっておくことは何か。手続きは何か等々など。

一致させるべきなのは問題であって答えではない。
だって、世の中では答えは一つとは限らないし。
一致させる必要もない事が多い。

幸せになるために何をすべきかという設問は一致できても、答えはマチマチ。
成功するために何をすべきかと問いは一致できても、答えは一つではない。
勝つために何をすべきかという問題は共有できても、監督、投手、捕手、マネジャーでは答えが違う。

設問は、今、問題とすべきことは何か。
今、出せる事は何かを落としどころ、ねらい目にして切り出すといい。

例えば、教育を任せられたけど、今だすべき結論は何か。

例えば、今は、方針しか出せない。方針を出さないと次のスッテプに着手できないとしたら。
方針は何か。これが直接的すぎるのなら。また、結論が出せなければ。
どうしたら方針が出せるか。
方針を出すために何をすべきか。どうしたらいいか。
どんな情報が欠けているか。
次回までに何をやってくるか。用意するか。
それぞれの役割は何かと言った間接的な設問に切り替える。

こう言った問題設定の仕方が、組織的に問題解決する鍵になる。
そして、その時点、時点の答えが出たらよしとする。つまり、その場で方針が決められなければ、次回に方針を決めらるために。
各々が、次回までに何をやってくるかが分かればいい。
この様に設定の仕方によって、その時点、その時点の結論が出せれば、仕事はつながっていく。

問題を設定する際のコツは、何が問題なのかを明らかにする事と問題点を摘出することである。
何を問題とするのかは、最終的に何をしたいの、知りたいのかであり。
問題点というのは、今、何が知りたいかだと考えればいい。
今、何を問題としているのか。
問題には、方向性があり。問題にも解く順がある。

例えば、病気の治療を例にすると、診察、診断、処方を決め、治療をして、観察をすると言う手順で進むが、それぞれの、段階で問題点が違ってくる。
プロっジェクトやイベントなら、一般に目的の確認、方針の決定、基準・制約条件の背って、組織化、調査、基本計画の立案、要件定義、詳細計画の立案、準備、実施、後処理という手順で進む。
定例会のマネジメントなら、前回の会議の結論を核にする。次回の会議の計画を立てる、次回の会議に使う資料を確認する。次回の会議までにやっておくことを確認すると言った手順で進む。
その時点、その時点の問題点を正しく把握していないと、問題を解決するどころか混乱を煽る事になる。

設問は、今、何が知りたいか、問題点の切り出しが重点となる。

何が問題なのか、最終的にどうしたいの、何がしたいの、何が知りたいのかを明確にしないまま、問題を解決しようとしても、問題そのものが、不明確なのだから、すぐに道に迷うのは、目に見えている。
何が知りたいのは、問題の方向、目的地を指し示している。

きちんと問題設定していな癖に、何かにつけ、問題だ、問題だと叫ぶ人がいるが、こう言う人は、却って問題を拗らせてしまう。
先ず、何らかの症状が現れたらそれを診察する事であり、この段階で、軽々に治療を始めるとかえって症状を悪化させてしまう事が多い。

問題が起こった時、あいつが悪い、やり方が悪いと個人攻撃に終わる事が往々にあるがこれでは、問題を、悪化させるだけである。
先ず、原因を見つけて病気を特定する事である。

野球で例えれば、チームの成績が悪いと言う症状が現れた時、単純、監督や、選手の責任に帰すのは簡単だが、それでは、なんの答にもならない。
先ず、何が問題なのかを、特定する事が問題であり。その時点の問題点である。
問題そのもは、いかにして、チームの成績を向上させるかであって。責任の追求にあるわけではない。
まず何が問題なのかを明らかにする事で。
つまり、冒頭の設問は、「何が、問題なの。」

その時点での問題点は、原因を特定する事で。
設問は、チームの体制、配置に問題はないか。
環境状況に問題はないか。
監督が問題なのか。コーチが問題なのか。選手が問題なのか。
監督の方針、考え方に問題はないか。
コーチの指導が問題なのか。
選手に問題はないか。

原因を明らかにするのは、診断をして、処方を決め、治療を開始する事にある。
ただ、原因ばかり問題にしていると個人を誹謗中傷する事で終わる。
原因の目星がついたら、その時点、設問の方向は、その原因をいかに検証し、診断に結び付けるかであり。
その為に、各々が、何をしたらいいかである。
それを意識して設問を、順序良く、並べる、

設問にもタイミングがある。

年末の挨拶どうするの。
それぞれの部門の方針は。
基本的優先順位は。
役割分担はどうするの。
日程は誰が管理する。

これらの問題点を更にかみ砕く。
例えば、役割分担はどうするの。
役割って何。どんな役割がある。
誰が、責任を持って役割を決める。
どういう手順で決める。
 素案を誰かに作らせる。
 それとも一度、関係者を集めて打ち合わせをしてからにする。

この様に、設問をかみ砕いて、順序よく並べ。
それから、先に手順を決め、手順に従って決めていく。
手順が悪かったり、決めてないと、ドツボに嵌る。

【問題の例文】
〈前文・問題文〉
 前文は、問題の前提や目的を書く。この部分は、何が問題なのか、問題点は何かを明らかにするための下地になるので起承転結をつけてシッカリ書き込むことが肝心。問題意識はどこに置くか。

私は、この度、ある高校の野球部の監督を引き受ける事になりました。
私は、高校、大学と野球部に所属し、全国大会にも出場した経験もあり、それなりの成績も残したのですが、三年生の時にけがをし、それからは監督の補佐役として後輩の指導をしてきました。
その時の監督が認めてくれて、今回の仕事を推薦してくれた。
チームは、地方の弱小チームで、どちらかというと問題児の集まりと言っていい。
チームの成績は、出ると負けの状態で、選手も負け犬根性が滲みつき、投げやりになっている。
学校は、チームを厄介者扱いにしている。
このままだと廃部されかねない。
ただ過去においては全国大会でいいところまで行った事があり。
一部の父兄、OBの中には過去の栄光をとりもぼしたいと言う人もいる。
自分は、チームを立て直す事で、選手たちのやる気を呼び戻し、チームワークや、仲間の大切さを教えたい。
その為には、先ず、負け犬根性を払拭する事。

〈条件〉 チーム編成に必要な客観的データ
所在地 静岡県清水区△△
     〇〇高校

校長 □〇

監督 ✕✕
選手 三十名
 一年生 十一名
 二年生 十名
 三年生 九名

顧問 □△

部長 △△
副部長 〇△
マネジャー・会計 〇✕

守備 投手三名 捕手 二名 内野手 七名 外野手 八名 控え 五名 マネジャー 一名

過去の成績
個人の記録
年間予算
部費

設問〉設問では、その時点で何が問題で、何をすべきかを特定する。
設問 1,何が問題か。
   2,最初のミーティングの目的はなにか。
   3,最初のミーティングの方針をどう定めるか。自分の方針。
   4,最初のミーティングを、いつ、どこで、どうするか。
   5,最初のミーティングで何をするか。
   6,最初のミーティングまでに用意するのは何か。
   7,最初のミーティングまでにやっておくことは何か。
   8,最初のミーティングまでに調べておく事は何か。

この場合、設問の問題点、ねらい目は、最初のミーティングに的を絞っている。
要は、実際に、問題を解決するために、何を知りたいのかである。
この辺を間違うといつまで問題が空中に浮いてしまい、現実的な話に降りてこない。

よく、「あの人は、よくわかっていないから、話の話になってしまう。
なんてケースがある。
この場合、考えがわかっていない事が、問題なのか。
分かろうとしていないのか。
話の話にしてしまう事が問題なのか。
話の話になって実行されない事が問題なのか。
どうしたら、話の話で終わらせないようにできるかが、問題なのか。
問題を見極め、問題の焦点を合わせないと、求める階が得られなくなる。
話が通じないのは、問題を取り違えているケースが多々ある事を念頭に置いておく必要がある。

ところで、何が問題なの。

あの人が、自分の考えを理解していない事が問題なの。
それとも、自分の考えをどうしたら理解させるかが問題なの。
理解していないと言う事がわかっただけで、問題は解決できると思う。
理解していないと言う事がわかっただけで、解決には至っていないよね。
問題が解決できないと言うのならば、わかっていないと言うのが問題なのではなくて、自分の考えが理解していない事による不都合な事が問題なんだよね。

不都合な事がなくて、困らないのなら、問題ではない。
場合によっては困らないのが、問題だ。
ここで問題なのは認識の違いが問題なので。
自分は、こんなに困っていると言うのに、相手は、何も不都合を感じていないとしたら。
それが、問題だ。

そこが問題点で、問題点を明らかにしないと、問題は解決しない。

最初に「何が問題だったの。
その問題設定では、自分が望む答えが出ない。

じゃあ、問題設定が間違っていない。
問題設定から見直せばいい。
そうやって、深くふかく問題の本質に近づいていく。
問題そのものが絶対ではない。
問題の設定がおかしければ、問題設定から見直せばいい。
学校ではないのだから。
自分が問題意識をもって取り組めばいい。

何でと言う部分が、結構、問題意識を考える時、有効である。

何が知りたいの。
旅行したいと言う思いが知りたいの。
どこにいきたいか知りたいの。
誰に相談したいか知りたいの。
どういうふうに話をもっていったらいいか、話しかけたらいいか、知りたいの。
問題を、解決したいなら、今、何をしたらいいのか、知りたいのかを明らかにして。
一歩いっぽ。一手いって、進んでいく事だよ。

問題というのは疑問の塊なんだよ。
その塊を解きほどきながら、階に導いていく。

問題文の書き方
この部分は、問題提起の部分でもある。
何が問題なのかもハッキリしていない場合もある。
その事を前提として書き出す。

問題文は、極力、事実に沿って書く。
問題は、問題。問題は現実であり、事実に基づく。
あまり創作や市場を交えず、事実を淡々と書く。
そして、何が問題なのか、何に取り組もうとしているのがわかるようにメリハリや起承転結をつけて書くのがコツである。
問題文は構成が鍵になる。

出来れば、関係する全員で、一緒の問題文を作る。
一緒に作れば、問題を共有できるようになる。

問題文は、私情を交えず、客観的事実だけを淡々と書く。
思惑や、主観、私情が入り込むと、偏りや囚われが生じ、本来の問題点が見えなくなり、公正な解決策が導き出せなくなる危険性があるからである。
解決策に偏向が生じると関係者の合意、納得を得られなくなる恐れがある。
また、後々の禍根を残すことになる。

嘘偽りがあると、最初から、答えは間違う。
正直に書く。隠し事があったら、問題なんて解決の仕様がない。

問題文の書き出しは、その時、感じた事や、見た事をそのまま書けばいい。
難しく考えないで。

自然に、自分が悩んでいる事、困っている事、解決しなければならない事を、そのまま、書けば問題化するのである。書き出している事が問題なのである。

まず、自分の悩み、困っている事をありのままに、正直に書く。

出だしは、最近仕事がうまく行っていないとか。
教育を担当させられたんだけど、何から手を付けていいかわからないとか。
ただこれだけではわからないから、事情を説明する。つまり、背景とか、経緯ね。
そう、相談したくても、問題がはっきりしないと、相談しようがない。

問題を解く前に、聞きたい事、知りたいことが一杯出てくる。
また、また、自分はわかっているつもりになってない。
まず、問題を解く前に知りたい事、聞きたい事を、書き出して設問にしよう。
その時は、なぜ、どうしてで。
いきなり、どうする。どうするでなく。
聞きたい事は聞くだし。
知りたいことは調べるだから。

質問するとピントはずれの事聞くなというが、聞いた側のピントがズレているというより。
聞かれた側が、聞かれたことの焦点が合わない場合が多い。
ピントが外れるより、臆病になる事を恐れるべきだ。

わからない事、あったらドンドン聞いていいからな。
というか聞かないとだめだよ。ビッビちゃあ駄目。
それは、指示された側の権利で、俺達は、聞かないと何で聞かないとしかられた。
後で聞いても困るから、聞けるときに聞いておけと。
わからない事をそのままにするなともね。
特に、指示された直後に聞けるだけ聞く。
これ当たり前なんだけど、聞くと怒る奴いるけど、怒る方が悪い。
正直、話にならないけど、こういう人は、わかっていないんだから。
聞いてもわからrない。
聞くだけ野暮だから、違う手を考える。
俺に聞け。

会議なんか、勇気だしてドンドンは質問しろよ。
多少、的外れでもいい。
度胸試しで。

恥はかいてしるもの。
恥をかいた事のない者は恥知らず。
だけど、どちらかというと、発言しない方が恥だけどな。

その場で応えられない事は答えなくていい。
それを無理して応えなくていい。
それより今何をすべきか。
何ができるかが分かればいい。

わからなければ調べればいい。
知りたいのは、誰が、しらべて、いつ、どのように報告するか。
わからない事を憶測、推測で応えられ、終わってしまう方が困る。

あの人、やってないじゃんない。
たぶん、やってると思いますよ。
これじゃあ、答えにならない。

わかりました、だれだれに言って、裏をとらせますよとか。
自分が行って確認しますとか。

知ったかぶりされて片付けられるのが一番悪い。

できないのが悪い、わからないから悪いではなく。
なぜ、できないのか。なぜわからないのか。
と問題点を探し。
次にどうすると解決策を見つける。

すぐには解決できない。答えの出ない問題もあるけど。
その時は、何度も、何度も、問題を見直し。
問題を見直す。
問題は、答えでなくて、問題にある。

何を、どうすれば解決するかがわかれば、答えが出る。

わかっている事、わかっていない事を振り分けする。
今、出来ること、できないことも振り分ける。

条件
条件は、問題解決に結び付くと思われる情報を総てあげる。
目的や方針といた事。
問題解決の前提条件と思われる事を挙げる。
この段階では、情報に対する評価は控える。
とにかく、問題可決に結び付くと思われる情報は総てあげる。

この部分は、いわゆる、犯罪捜査の証拠集めのような部分である。

【設問の設定の仕方】

問題は、疑問の塊なんだよ。
「なぜ、なぜ」って。
その疑問の塊を一つひとつ解きほぐして問いを設定していく。
それが設問。
聞く時、聞く場所、聞く順番、聞き方、聞く相手が決め手となる。
筋を通して聞く。問う。

設問には、その時々の問題点を切り出し、解答に結び付ける役割がある。
故に、設問の設定の仕方を間違うと頓珍漢なものになる。
例えば、問題点を洗い出そうとしている時に、解決策の問いをすると、答えの方向性にズレ、ブレが生じる。原因を追究しようとしているのに結果を求めたら手詰まりになる。
入り口を探しているのか出口を探しているのか。
練習の話なのか、試合の話なのか。
照準を定めて問いを発するのが肝心。

【問題の解決の仕方】
問題点は、今、困っている事、困っていることの原因、悩んでいる事、悩みの原因、問題となっている事、問題とされる事、解決すべき事、解決できる事。

問題そのものが問題点なのか。
問題と問題点は違う。
この点に、注意する必要がある。

遅効する事が問題として、問題点は、遅刻する原因である。
だから、改善する事が出来る。

なぜできないのと考える前に。
何が、原因でできないのかを考えてみる。

遅刻するなと叱っても、遅刻する原因が改善しないと解決しない事もある。
例えば、遠距離通勤とか。低血圧で朝起きられないとか。
しかし、原因が分かれば対処のしようがある。

一般に、問題そのもを直接変えようとしても変えられない。
だから、問題なので、問題を改善しようとした場合、問題の原因に働きかける必要がある。

故に、問題を解決する為には、問題っ点を洗い出す事が有効である。
ただ、問題点を明らかにするのは、改善策、対策に結び付ける事で、通過点である事を忘れてはならない。

ヒアリングというのは、意見を聞くと言うより、事実を聞くようにする。意見を聞いても、解決に結び付かない事がある。
あいつは、よくやってます。あいつは、計画通りのやっていないと言うのは意見。
残業、一日平均、三時間以上かかっている。一日の訪問件数が七件で支店の基準の十軒より三軒少ない。内訳は、クレーム処理が、五件で、新規が五件。赴任してから二か月。持つ件数が八百件これは、事実。

お腹が痛いのは症状で、問題と言えば問題。
お腹が痛いと言うことが分かっただけでは
お腹の痛みは治癒しない。
何故お腹が痛いのかの原因、病名がわかってはじめて対策が立てられる。それが問題点。
しかしそれはまだ診断であって処方には至っていない。
処方箋に結び付ける事で、はじめて、治療する事が出来る。

「お前は。胃潰瘍だ、胃潰瘍だ。」と叫んでいるだけでは、却って、心身を弱らせるだけだ。
診断が下っても治療法がわからなければ、ただ。患者を苦しめるだけである。

痛み止めを飲ませとけでは、抜本的解答には至らない。

先ず問題点を洗い出し、書き出してみる。
そして、問題点を整理し、できることからやっていく。

問題点とは、改善点である。

先ず、問題点を洗い出す。
次に、優先順位を決めて。
できることから分担して着手する。

どこから、何から着手したらいいか決まったら、やるべきこと、作業を洗い出し、どこから着手するかを決め、分担して始める。

リーダーというのは自分の問題をメンバーに共有させて、分担させ、解決させるのが役割で。
つまり、自分の悩みや、困っていでる事、自分一人でできない事を、メンバーに手分けしてやらさせる事が使命なのであり。
困っていることの多い、悩み多き人には向いているのかもしれない。
逆に、なにも困っていない、わかっています、できますと言う人は、余りリーダーに向いていないかもしれない。なぜなら、なんの問題もないと言っているようなもので、メンバーからしてみれば困ったリーダーだ。だから、リーダーというのは、わけはない事で。
ただ、自分をさらけ出せれば。

大谷翔平のような人が現役時代にいい監督になれるかというと疑問符がつく。
仮に、いい監督になれるとしたら、歳をとって現役時代にできた事が出来なくなった時かもしれない。

リーダーには、総てができる人より、総て劣っている人の方がむいているのかもしれない。
そうでも思わなければ、リーダーなんてやってられない。
人は、万能な神にはなれないのだから。
皆の手本になろうとか、全てにおいて優れていなければなどと、無理する必要はない。
ただ、素の自分を出せればいいのである。

答えは、一つではない。

その証拠に、「それがお前の出した答えか。俺の出した答えとは違うけどな」と言われたものだ。
その時、どちらの答えが正しとは言わなかった。
社会に出てからの答えなんてそんなものさ。

うまくいかない。どうしたらいいかわからない。相手が言っていることがわからないといった背後には、必ず、問題が潜んでいる。
問題を正しくとらえなければ、正しい答えが出ない。なぜなら、問題、そのものがわかってないからだ。
「何故、皆、わかってくれないのだろう。」
「定義しろと言われたけど、定義の意味がわからない。」
そう、それが、問題だ。
心のつぶやきに耳を傾けよう。
わかったつもりになると、そこから躓く。
問題は、根っこにあるからだ。
「まあ、いいか。やっているうちにわかりだろう」では、問題は、放置されたままで、いつまでも苦しめる。
「何故できないの。」「何故わかってくれないの。」

※ それが問題だ。
失望から絶望へと、やがて、怒り、悲しみ、苦しみ、悩み。
「馬鹿にするなよ。」「馬鹿じゃないの」と劣等感になり、焦り、いら立ちが積もる。
弱音、愚痴、泣き言、悩みの陰、には問題が書きされている。
心の奥に刺さった棘のように、やがて、精神を蝕んでいく。
まず、何が問題かを正しく理解しよう。

気になる事、面倒くさい事、鬱陶しい事、煩わしい事にも、問題がある。
そうこれは、精神疾患の症状。
これらの症状は、対処療法ではなかなか治癒しない。
なぜなら、問題は、問題の根源にあるから。
問題を解決しなければ抜本的な解決にはならない。

与えられた問題を解くのではなく。
自分の問題を解く。

なぜなら、与えられた問題は、どこまで行っても他人の問題で自分の問題ではないから。
解くのは、自分の問題。ほしいのは自分の答え。
答えは自分で出す。
だから、自分の問題にする。
自分の問題にするには、自分の問題として設定し直す。
問題は、自分の問題であり、答は自分の答えなんだよ。
それに気が付かなければいつまで経っても、自分の答えは出せないよ。
答えが、悪いのは、いつだって他人事にしてしまうことだ。
問題は、自分の生き方なんだよ。

自分は、答えを出したつもりでも、解決したつもりになっても、問題が、わからなければ、自分で検証できない。それでは、自分の問題が解決できたかどうかもわからない。

その場で応えられない事は答えなくていい。それを無理して応えなくていい。
それより今何をすべきか。何ができるかが分かればいい。
わからなければ調べればいい。

知りたいのは、誰が、しらべて、いつ、どのように報告するか。
わからない事を憶測、推測で応えられ、終わってしまう方が困る。
あの人、やってないじゃんない。たぶん、やってると思いますよ。
これじゃあ、答えにならない。

わかりました、だれだれに言って、裏をとらせますよとか。
自分が行って確認しますとか。

知ったかぶりされて片付けられるのが一番悪い。
出来もしない事、できると言ったり。
やる気もないのに、やりますと言うのはなお悪い。

学校では、常に、問題は、決められていて、与えられている。
問題は、見直すことは許されても、書き換えたり、いじるなんて許されない。
問題に触れることさえできない。問題は聖域なので。
況や、自分で問題を設定するなんて、とんでもない事。
問題意識を持てと言われても、問題意識なんて持ったら学校にいられなくなる。

学校生活が長くなると、問題は常に与えられていて、明白だと錯覚する。
こう言いう人は、与えられたこと、決められた事、前例のある事しか解けない、答えが乱せない。
しかも自分の答えでとしてではない。すべて、他人事。
その何が悪いの、何が問題なの。

自分の問題にすることができないから、自分の答えが見いだせない

仕事だって、人生だって、自分の問題。だから自分の答えが出せるので。
他人の問題だとしたら、いつまでたっても他人事で自分の答えが出せない。
仕事も、人生も学校のお勉強ではない。

自分の問題にしないと自分の答えが出せない。
与えられた課題でも、仕事では、自分の問題に書き換えること覚え。
そこから、問題を解く事にしないと、いつまでも自分の答えは出せない。

結婚だって、恋愛だって、ひどい時は、子を産むことだって他人事になってしまう。
自分がなくなってしまうのである。

困っている事、わかっていないことに気がついていないのが問題なんだ。

困っていない人間は問題としないので。
要は、困っている人が問題にしないと問題化しないよと。
彼奴等は、自分が困っていることだけが問題なので。
他人が困っていることなんてなんの問題にもならない。

成績が悪いので、勉強をさせたいのだが、当人は、なにも困っていない。
目標が達成できていないのに、当人はいたって暢気。

問題は、自分の仕事と報酬が一致していなくても困らない。
仕事は仕事、報酬は報酬と結びついていない。
それが困るのだが、当人は一項に気にしない、原因と結果が結びついていないのである。

困らないと言う人間は困る。問題を自覚していないから。

自分の問題として捉えていない。自分の問題にしていない。

要するに、会社としてみれば、コストパフォーマンスが合うようにすればいいんだから。
そりゃあ、自分が困らなくても、コストパフォーマンスが合えばいいんだよ。
だけど、コストパフォーマンスが合わなければ、周りの人間が困る。
そうなると周囲の人間から見て、自分が問題となる。

問題は、問題なので、善悪とは関係ない。
問題は、解決すべきことであって善悪とは直接関係ない。
善悪は、問題を問題として認識しながら放置することである。

「あいつの性だ。」「あいつが悪い。」では、なんの解決にもならない。
なんの答えにもならない。
いい加減、一人では解決できない。答が出せない事を認めなければ。
他人の力を助けを必要としている事を認めなければ、答えは出せない。

問題が悪いとか、いいとか言っているわけではない。
解決しようとしなことが悪いので。
見て見ぬふりする事は許されない。

時がたてば、自然に問題は、解決すると思いこんでいる人間が一番困る。問題だ。
それは、問題意識が欠落しているというより、刷り消された人間。
学校ではいい子なんだよ。

問題は、自分が悩んでいる事や困っている事を、あるがままに、正直に書いてみる。
それを問題文に書き改める。

私も、支店長になって、まる五年になる。
仕事もある程度慣れてきたけれど、支店長の役割、仕事が今ひとつ理解できない。
支店長の仕事について、正式に教わったこともないし。
今期も新人が配属されてきたが、どう教育していいか、悩んでいる。
部長や教育担当から、指導目的、方針を聞かれるのだけど。

※いきなり、目的はと聞かれても答えようがない。そうか、問題は、目的か。
じゃあどうやって答えを出す。

問題は目的。

目的の何が問題なの。
目的の意味が解らない。
目的をどうやって決めたらいいかわからない。
これが問題点。

※ それぞれが抱える問題は違うから、チーム等、組織的に問題解決をする時は、それぞれの抱える問題をすり合わせ、整理、統合する必要が生じる。
その時、要となるのが目的である。
目的を一致させる事で、問題を整理統合する。
(目的が、育てると、罰するのでは、問題は整理統合の仕様がない)

※ 同じ課題でも、問題が違う、その場合は、目的を一致させる必要がある。
  最初に課題が与えられている場合でも、先ず、課題を一旦自分の問題に置き換えてから、整理統合する。
  そのために、目的をまず設定する。

目的をどうやって決める。
一人で決めても意味がないものな。目的は皆が一致させなければ。

だからいったじゃあない。
一人では何も決められない。
それが問題だ。

問題は、みんなで解いて解決させるのだから、目的は、みんなで考えて一致させないと皆の問題にならない。

※ 同じ問題に統合されても、社長とは、答えが違う。
なぜなら、問題点が違うからである。
だから、答えを一致させようとすると間違う。
抱えている、それぞれの源にある問題が番うし。
逆に、答えは同じでも、問題が違うことがある。
同じ問題でも、問題の捉え方や問題意識が違う。
その違い、差を理解する必要がある。

大体、目的は、誰が決めるの。
俺、それとも、根上、総務や人事だってありうるし、社長、担当者に決めさせるという手もあるかな。
目的は、自分が決めるにしても、方針は、カリキュラムは、計画は、日程は誰が決めるの。
役割分担は誰が決めるの。
なんの準備もしないで決められる。

こういうの自問自答という。

※ 問題というのは解決しなければならないという事で、悪い事とは違う。
じゃあ、何が問題かと言うと、何を解決すべきかという事で、解決しないとどんな不都合があるのかという事。
悪いのは、問題があることがわかっていながら、放置する事だ。

※ 問題があるから悪いというのではなく。
問題は、問題。解決すべき事があるというだけ。

できないのが悪い、わからないから悪いではなく。
なぜ、できないのか。なぜわからないのか。
と問題点を探し。
次にどうすると解決策を見つける

※ 短絡的に答えに出さない。
「なんで彼奴等わからないの。」「彼奴等、馬鹿だから」
それじゃあ身も蓋もない。
短絡的すぎる。
問題の解決にはならない。
答えを出すの焦らない。
まず、ちゃんと問題を設定し、問題を整理しよう。
事情を聞かせて。

自分は、答えを出したつもりでも、解決したつもりになっても、問題が、わからなければ、自分で検証できない。
それでは、自分の問題が解決できたかどうかもわからない。

問題が悪いとか、いいとか言っているわけではない。

問題点は、目的の決め方。
誰と決めるか。

※ こうやって問題を深堀して、問題点を明確していく。
問題を深堀りして、問題点に分解し、それを要素毎に再構築し、答えに導いていく。

何を教育するの。
教育しなければならないのは何。
誰が教育するの。

質問の意味や答えがわからないとき、誰に相談したらいいか。
するかそれすらも、わからない。それが問題点だ。

問題点を整理する。

※ 何を、どうすれば解決するかがわかれば、答えが出る。
徐々に問題点を絞っていき、解決に結びつけていく。

聞かなければわからない事は、聞く。
調べなければ分からない事は、調べる。
見なければわからない事は、みる。
やらなければ、わからない事は、やる。
行かなければわからない事は、行く。
書かなければ分からない事は、書く。
言わなければわからない事は、言う。
忘れてしまうなら、記録する。

解決策を作業単位に分解し、それを、再度構築する。

目的をどうやって決めたらいいか、わからないから、
とりあえずみんなの意見を聞こう。
皆って誰だろう、先ず誰から話を聞こう。
こういうふうに話を詰めていく。
出来れば、話し相手を決めて。

問題が設定できたら、今度は、問題を解いていくんだけれど、これも、学校で教えてくれた解き方とは違う。

試験問題を口で言われただけで解けると思う。
問題は読めるように見えるようにする。
最低限、書き出してみる。

だいたい、答えが決まってるわけでも、一つしかないとは限らない。
だから、答えに至る道筋も一つではない。
問題を深堀りして、自分でつけなければならない。

答えの出し方も、答えも一つではない。

現実を直視し、何が問題なのか、問題を正しく捉え、問題点を洗い出し、優先順位を定めて、できるところから着手する。
設問の仕方は、より具体的、現実的なことに的を絞る。

例えば、在庫管理には、どんな作業があるかみたいな。

問題を解くにも準備が必要。
いきなり答えを出そうとしても無理。
短絡的な答えしか出せない。

問題を書きだし、整理して、問題化する、

考える。
考えるためにも、何が問題かをはっきりさせておく必要がある。

一体、俺のどこが悪い方のか。

同じ問題でも、問題の捉え方や問題意識が違ってくる。
その違い、差を理解する必要がある。

同じ問題でも、社長とは、答えが違う。
なぜなら、問題点が違うからである。
だから、答えを一致させようとすると間違う。
逆に、答えは同じでも、問題が違うことがある。

同じ課題でも、問題が違う事もある。その場合は、目的を一致させる必要がある。

同じ結論でも、問題が違うと言う事さえある。

社長と同じ事を言っているはずなのに、内容が理解できない。それが問題だ。
言っている事を暗記すれば、言っている事の意味が理解できるわけではない。
記憶する、覚える、暗記する事と理解する事は違う。

問題は同じでも、立場によって問題点が違う。

社長の目的と自分の目的は違う。
立ち位置と条件が違うから、捉え方、問題点が違ってくるからね。
だけど、一緒に仕事をするためには、全体の目的は、統一、一致させておく必要がある。

問題は、問題なので、善悪とは関係ない。
問題は、解決すべきことであって善悪とは直接関係ない。
善悪は、問題を問題として認識しながら放置することである。

いきなり、結論を出そうとせず、設問によって問題点を洗い出し、整理することから始める。

「あいつの性だ。」「あいつが悪い。」では、なんの解決にもならない。
なんの答えにもならない。
いい加減、一人では解決できない。答が出せない事を認めなければ。
他人の力を助けを必要としている事を認めなければ、答えは出せない。

よく言われたよ。
問題というのはもつれた糸の塊を解きほぐすような事
いろいろな要素、事柄が複雑に絡み合っている。
糸口すら見つけられない事がよくある。
先ず、問題を解きほぐし、バラバラに分解した後、仕事へと再構築する。
問題を深掘りし、問題の密度を高める。

頭の中でこねくり回してるだけでは、整理するなんてできない。
だから一度、頭の中にある事を外に出す。書き出す。絵にしてもいいし。
ワープロで書いてもいい。

試験問題を口で言われただけで解けると思う。
問題は読めるように見えるようにする。
最低限、書き出してみる。

問題を問題点に分解し再構築する。
問題点を箇条書きに書き出し、整理し、項目ごとに並び替え。
そして、要素ごとに分類し。
その上で、具体的にやる事、作業におとしていく。

いつ
どうする
何を
誰が

すぐには解決できない。答えの出ない問題もあるけど。
その時は、何度も、何度も、問題を見直し。
問題を見直す。
問題は、答えでなくて、問題にある。

問題を深堀して問題点を洗い出していく。

ここが悪い。直せではなく。
ここが問題だ。どう改善するかだ。
勘違いしないよう。

誰も悪いなんて言っていない。

「何が問題なの」と聞かれたら、「俺のどこが悪い」と逆上する者がいる。
悪いと言っているのではない。
お前の問題は何か、いいしょにかいけつしよう。
だから、困っている事、悩んでいる事、解決しなければならない事を、教えて。
出来れば書き出して」と言ってるんだ。

そうしなければ助けられないだろ。

「ほっといてくれ。他人お助けなどいらない。」というのならそれが問題だ。
チームなら、メンバーが困っている事は、チーム全員に影響するから。
ワン・チーム。
ラグビーで、チームワークを考えない奴は最低だ。

問題は、解決すべき事であって悪い事ではない。

困っていて、解決しなければならない事は、問題であって不平不満ではない。
不平不満だって、中には、深刻な問題が隠されている事がある。
苦情は、問題の宝庫と言っていい。
文句だと決めつけていると、後で深刻な問題に巻き込まれる事がある。

相手が問題だと言ってるのに。
自分は問題ではないと思っていたら、それが問題だ。
自分が問題ではないと言っても。
相手が、問題視しているのなら、問題なのでしょう。
先ず、それを、問題だととらえて、例え、それが誤解だとしても、どう解決するかをみんなで考えて実行しなければ改善できない。
だとしても、「お前が悪い治せ」では解決しない。

問題点は、問題を正しく認識できないで、解決策が見だせるわけないではないのか。
なんか変だ、うまくいかない、いらいらする。
だとしたら、先ず、何が問題なのかを明らかにし、それから、解決策をみんなで検討しできるところから解決していかないと。
お前が悪いの感情論にすり替わり、収拾できなくなるよ。

問題点は、問題設定時に可能な限り出し切っておいたほうがいい。

最初に洗い浚(ざら)い、問題を上げておく必要がある。
結論が出て、対策に着手してから、「実は」と、小出しにされたり、途中で問題がボロボロ出てきて、都度つど修正が求められたりすると、結局、最初からやり直しになる。
問題を解決する段階で、新たな問題が、後からあとから、追加されると解決策が土台から崩れてしまう。

だから、最初にとことん聞くのが当たり前で、聞かないと怒られたものさ。
今は聞くと怒る奴がいるけど、わけわかんない。
応えられない事は、後でもいいからちゃんと答えるようにする。
そうしないと間違いを犯す。
後で聞いたりすると。
「何で今頃、はやく聞け」と怒鳴られた。
最初にとことん聞きつぶす。
わからない事があったら、聞かなければだめ。
それが作法。最初に話を詰める。

感情的になっていたら、それが問題だ。
どうしたら冷静になれるかを考えよう。それが応え。

リーダーは、解決策を決めていくのが役割で、解決策を考えたり、作ったりするのはメンバー全員でする。
そして解決するのは、メンバー全員で分担し、協力し、助け合ってする。
勝手にやれよ、俺関係ないなんて言う奴がいたら、問題は解決できない。

リーダーが一人で、総て問題を解決してくれると思っていない。
そんな事、リーダーが一人でできるわけないじゃない。
問題を解決するのは、皆。

問題(困っている事)を共有して一致団結して解決していく。
それが、ワン・チームだ。ラガー魂だ。

一人で解決しようなんてリーダーが思ったら。その時、チームは破綻する。

問題の解決段階では、出来ない事は、できない。わからない事は、わからないと申告しなければならない。
当てにならないのが一番困る。
弱点や、欠点は誰にでもある。
だから、助け合うのである。

チームワークで一番困るのは、できなことをできない、わからない事をわからないと言わない奴。

できないとか、わからないとは口が裂けても言いたくない。
況や、助けてなんて。
特に、自分より弱い立場、弱者には、女子供に、言いたくないと。

人は歳をとれば、若い者にかなわなくなる。
女性だって男より優れたとこいくらでもある。
何が言いたいのか。

問題は、解決する事で、できないならできない。
わからないならわからないと認めてくれたら、やりようがある。

知りたいのは事実だ。

出来ないのにできないと言わない。
よくよく、聞くと、いつかは出来るとか。
できると思います。
仕事には期限があって、無期限な仕事はやらないと言ってるのと同じ。
できると思ってたのですが、やったらできなかったでは困る。
仕事で求められるのは確実性である。

人には一長一短がある。
自分できないからと言って、劣等感を持つ必要はない。
それより自分は何をチームの為にできるかを考える。
それがメンバーシップだ。

互いに互いを必要しているから組織は成り立つ。

助け合う事は組織の大前提。助け合う必要がなければ組織なんていらない。

知ったかぶりや、虚勢こそ、恥だ。

大概の事で、一番の問題は、当事者に、問題だとわからせる事。
つまりは、困っていると認めさせること。
問題だと受け入れてくれないと、助けようもないし、手も足も出ない。
相手が困っていると認め。助けを求めてくれれば、意外とスラスラと問題が解決できつものだ。

困ったと言ってくれればね。片付けられるんだけどね。
困ったって口が裂けても言わないで、本当に困っていることを言わないで、どうでもいいことを問題にしている人がいる。
困っていることを隠してね。
弱味を見せると、付け込まれると思うのかな。

「大丈夫ですよ。」
「問題ないですよ。」
「心配しないで。」
「干渉しないでください」なんて勝手な事言うな。
解決できなかったら、今度は、皆が困るんだ。

しかも、どうしようもなくなってから、問題だと言われてもね。
手遅れになって、手の施しようがなくなっていたら。
「迷惑を掛けます」なんて言ってられなくなるからね。
どうせ、迷惑かけるなら、はやいうちに迷惑を掛けろ。

「なにも困っていません。」
「わかっています」
「一人で、できます」は、組織にとって強烈な拒絶反応なのだ。

自分で「困っています。助けてください」と言わない限り助けられないの。
「誰も、わかってくれない」
「誰も、助けてくれない」と嘆いたって、当人が、自分の口で
「困っています。助けてください」と言わない限り、助けられない。

「困ったから、相談に乗ってくれません。」
「困っているんで、助けてくれない。」と言いてくれれば、やりようがある。
「困っている」「助けてください」と言ってくれない限り、相談にも乗れないし、助けようがない。
なぜなら、問題がないからである。

そう言う人の多くは、問題がない事はいい事だと思い込んでいる節がある。
しかし、組織に問題がないはずがないのである。
なぜなら、組織は、分担して問題を解決する仕組みで、問題がないなら、組織は必要ではないからである。
組織にとって問題は原動力だと言う事を忘れてはならない。

お前の問題は何か。
一緒に考え、解決していこう。答えを出そう。

「困った」とか、「できない」とか、「わからない」と言ったところで馬鹿にしないさ。
出来ないのに、できると虚勢はったり、わからなことを知ったかぶりされる事の方がズーと困る。
大体、人は、歳を足れば衰えるのだし。
最初は何も知らないのだから。

「問題がない」
だから、答えが出せないのである。
「問題がある」
だったら、
「何が、問題なの」と二の句が継げる。
それから、問題を明らかにすれば、答えが、導き出せる。
少なくとも、解答の糸口はつかめる。

答えばかり求められたら息が詰まる。
「いきなり結婚して下さい」はないだろう。
その前にやるべき事はたくさんある。
少し、問題を整理しよう。

問題はどこにでもある。
だから、皆、問題にしている。

「問題はない。」「問題はない。」と言い続けてると問題点が見えなくなって、何も解決できなくなる。
「問題だ。問題だ」と騒いでいるばかりで問題化しないで、解決しようとしないのも、悪いけどめ。
問題は悪い事と思い込むと、問題を避けたり、見ないふりをしたり。
問題ない問題ないと、自分に言い聞かせたり。
問題ないといくらしたって、問題に蓋しても、問題そのものは、解決されるわけではなく、底でくすぶり続けている。

問題ないと、問題から目を背け、問題を解決せずに放置し続けていたら、問題は解決されずに、深刻化していき、気がついたら手の施しような事態になる。
早いうちなら解決もしようがある事も、解決できなくなってしまう。

問題はある。ただ直視していないだけだ。
問題が解決できないと思えば、問題そのものを見ないようになるだろう。
問題がないとしたら、問題の解決しようがなくなる。
すぐに解決できる問題もあれば、解決するために時間がかかることもある。
確かに、今は、解決できない問題もたくさんある。
人は、解決できる問題から一つ一つ解決して。
解決ができなかった問題も解決してきた。

諦めないで、解決できる問題から一つひとつ解いていけば、いつか、今は解けない問題も解けるようになるかもしれない。

問題にしてはいけないのではなくて。
「問題はない」ではなくて。

問題ではないと応えるのではなくて、何が問題なのかを問うべき。

「どこが問題なの。」

問題に気がつかないから悪いので。
問題に気がつかせてくれれば、ありがたいので。

問題ない、問題ないと解決すべき事を隠蔽し、先送りしてきたから、ダイハツだって、財政だって、手の施しようがなくなった。
その後始末をさせられるのは、問題を放置してきた人間でない。若い人達だ。
問題も、芽のうちに摘んでしまえば大過にならない。

問題は、常にある。
気がついていないだけ。
問題がないと言うなら、問題を探し、見つけて問題を設定する。
問題にしなければならないのであって、問題にしてはならないのではない。
問題になるのが良くて、問題にならないのは良くない。
問題がないのは困るので、問題があると助かる。

問題化する。

問題が悪いのではない。
問題を直視しないのが悪い。
問題を避けているのが悪い。

悪いのは、問題と向き合おうとせず、解決を先送りすること。
一人で問題を解決しようとするな。
一人では問題は解決できない。
一人では解決できない問題があるから、仲間や組織ができなたのだから。

問題は、解決できないと思いこんだら悪いことなのだろう。

困ることは、解決すべき事であっても悪い事ではない。
問題を解決する仕組みが組織なので。
問題がないと言われたらそれまでだ。
問題に前向きに取り組む。

問題は、薄皮を剥ぐようにして解決していく。

困っているのに、「困っていない」と言い張り。
助けてほしいのに、「助けて」と言えない。
それが問題だ。

困っているのが悪いのではない。
困っていると言えないで、一人で抱え込んでいるのが悪いのだ。

「お前なんかいなくても困らない」と言われたらおしまいよ。
稼がないと生活が困るので働くので。
生活に困らなければ働きやしない。

困っているから悪い訳ではなく、むしろ困らない事の方が問題だ。

会社は、問題を解決することで成長発展してきた。
問題は、悪いことではなく。
解決すべき事なのだ。

仕事は、簡単な仕事でも一か月、二か月かかる。
ちゃんとした仕事だと一年、二年かかると思っていなければ、途中で息切れがする。
一年、二年かけて建てる建物と同じ、基礎をシッカリさせておかないと、途中で壊れてしまう。
建てた後も不具合が起こる。出来上がった後で改善するのは大変な労力と費用が掛かる。
問題は、あらゆる仕事の基礎となる。
だからこそ、問題をしっかり固めておく必要があるのである。

相手に答えを求める際は、相手が、問題が理解できるように問題を整理し、何が問題なのか。
自分は、何がしたいのか。どうしたいのか。
相手にどうしてほしいのかを、明確に示せるようにしなければならない。
口で問題を言って、いきなり、答えを求めるのは、無茶であり、乱暴である。
少なくとも、文章にして、皆で読めるようにし、読み返せるようにする。

問題を相手がわかるように説明せずに、自分の出した答えを相手に押し付けたり。
答えだけを共用するのは、一種の恐喝である。

問題そのものが未完成である場合がある。
その場合は、問題を完成させてから、問題を解かないと、正しい回答は得られない。
急がばば回れである。
何が問題なのか。正しく理解してなければ、問題の解決には至らない。

指示命令は、ある種の問題提起であるけれど、指示や命令をした者が、問題を正しく理解して指示命令をしているとは限らない
往々にして指示命令は断片的な事だったり、また部分を切り出したものになりがちである。
命令をした者が正しく問題や問題点を理解しているとは限らない。
実際に、指示命令を受けた時は、指示命令の内容を整理し、問題から再構築して、設定し直す必要がある。
要件定義をする場合、ユーザーは、自分の本当の要求をわかっていない場合がある事を前提としなければならない。

いずれにしても、問題を正しく理解する、捉える事が肝心なので、絶えず、疑ってかかた方がいい。
問題というのは絶対的ではなく。状況、環境の変化によって、また、一人ひとりがおかれている立ち位置、受け取り方によって違ってくるのが一般的だからである。
また、段階によって問題が変わってくる。
最初は問題点が問題となり、最終段階では解決策が問題となる。
おかしいと思ったら問題を見直し、必要だったら変える事である。

「ところで、、何が問題なの。」この問いは絶え間なく発する必要がある。
なぜなら、この問いの答えは、絶え間なく、揺れ動いているからで。
繰り返し問い続ける必要があるからである。

問題は、どこにでもある。
問題に気がつかないのが、問題なのだ。

問題は何か。
この点を間違ってはならない。
問題は、自分にあるのか。相手にあるのか。
基本的に、問題は、自分の側にあると考えないと、自分の問題として捉えられない。
問題は、相手の言っていることが間違っているのか。
問題は、相手の言っていることを理解できないことか。
問題は、相手の言っているのはわかるのだけど、どうしたらいいのかわからないことなのか。
問題は、どうしたらいいかわかるが、どこから手を付けたらいいかわからないことか、
問題は、相手の言っていることはわかるのだけど、誰に、どこで、どのように伝えたらいいかわからないことなのか。
問題は、誰に、何を分担させるかがわからない事か。
問題は、何を決めたらわからないことか。
問題は、どうやって決めたらいいか、わからない事か。

​各々が、自分の問題としてとらえ、自分の問題として整理できなければ、問題は解決できない。
まず、何が問題かを正しく認識することがカギである。

今、自分は何をしたらいいのかが、今の最終的問題となる。
この点を理解してないと、直後から困ることになる。

一番の問題は、自分の問題として捉えられないことで、それでは、自分の問題がわからない。
どうしたら、自分の問題とするか、それが問題だ。

最終的な詰めは、何ができないかの問題。
忘れるのなら、忘れないようにするためにどうしたらいいか。
決められないなら、どうしたら決められるようになる。
うまく伝えられないなら、どうやって、どこで、誰に切り出すか。

自分とって何が問題かを正しく捉えることが重要。
他人の性にしたら、自分の問題は解決できない。それは他人の問題だから。

なぜと問うてごらん。
納得のいく答えは返ってこないかもしれないけど、聞く価値はあると思うよ。

僕らの先輩たちは、なぜということを丁寧に教えてくれた。
でも、俺達は、真剣に聞かなかったな。
今思うと。
一つひとつの作業、動作に意味がある。
なぜと問う事は、結構核心を突いていることがる。
挨拶だってね。

でも、マニュアル化してしまうとなぜと問う事が出来なくなる。
赦されなくなる。
ただ、書かれた事を何の疑いもなくやればいい。
だから、マニュアルは、思考力を奪う。

理屈ぽいなんて非難されてもね。
なぜと問う事は悪い事ではない。

入口と出口の問題は違う。
当然、問題点も違う。
その点を注意する。
会議の入口の問題は、テーマ、議題、課題であり。前回の結論、当会にやること、当会までやっておく事、用意する資料。
出口の問題は、結果をどう仕事に結びつけるかだ。
次回、やること。次回までにやっておく事。用意する物。

支店長の問題。
担当の問題。
当人の問題。
総て問題が違う。
何が自分の問題か考えないと、自分の答、解決策は思い浮かばない。

何も、問題がないということはない。
問題がないという人は、自分は何も困っていないと思い込んでいる、困った人なんだ。その人が問題だ。

場所が問題なら場所に問題点を集中すべきだし。
日付が問題なら、日付に。
分担が問題なら分担に。
目的が問題な目的に。
論点や問題点点を絞っていく。
そうしないと出口に到達しない。

問題を誰が解くのかも大切である。
問題を解決に導くのは、当事者たちである。
いくら正しい答え、適切な答えが得られても、当事者が、問題を正しく認識し、理解していなければ、答えは、実施されない。
その場合は、まず、当事者全員が、問題を正しく理解するよう、できるようにすることが先決となる。
故に、いずれにしても、問題を文書化しておく必要がある。

答えは、自分で出すもので、他人が出した答えに難癖をつけるのは筋違い。卑怯だ。
なぜなら、答えを実行するのは自分だから。

仕事をする上でまず、問題となるのは、自分の問題で、自分の問題は、その日の自分の行動や出来事にある。
だから、日報、週報、月報をつける。
つまり、自分の問題ね。自分が解決しなければならない事。
自分の問題と言うのは、自分が弱った事、自分が困った事、失敗した事、自分一人では解決できない事ね。
自分の失敗や困った事、弱っている事、助けてほしい事を書かなかったり、隠したら、日報を書く必要ないのね。
むしろ、問題だ。解決しなければ。
だから、報告には、目的がある。

目的がわからなければ、何を報告していいかわからない。
報告には、目的がある。

ただ、報告しろと言われても、目的や考えがわからなければ、何を報告していいか、わからない。

目的がわからなければ、何を報告していいかわからない。

解決できる問題は、自分の問題。
まず、自分の周りの出来事や、行動で改めなければならに事で。
問題が見つかたらその原因で変えられる事、つまり、問題点を見つけ出し。
その後問題点を整理して、できる事から、整理していく。
とりあえず変えられる事というのは、自分の言動や行動、習慣ね。
要するに、お客様が見えた時どうゆう風にしたらいい方とか、どのように話しかけたらいいかとかね。
最初は、そんな事ね。マニュアル化したらと言うけどそうしたら問題でなくなるだろ。
問題は問題。自分の問題として、まずうけとめないとね。

自分の問題の答えは、自分で出すもので、他人が出した答えに難癖をつけるのは筋違い。卑怯だ。
なぜなら、答えを実行するのは自分だから。

なにが言いたいのか、わからないようなことは言わない。
自分で問題を整理する。
なぜ、どうして、何に困っていて、何をしたいのか。何をしてほしいのか。

問題を相手がわかるように説明せずに、自分の出した答えを相手に押し付けたり。
答えだけを共用するのは、一種の恐喝である。

自分は、駄目だ、馬鹿だと結論付けるのは簡単だけど、それでは、何も変えられないだろ。
それで、先輩たちは、何が変えられるかを考えた。
それで、準備や後始末、作法等を変えるように指導した。
始業点検と、指差し呼称復唱、朝の習慣なんかね。
職人や経営者の多くは、自分なりの朝の儀式を持っていた。

報告する事で自分が得たことを反芻し、自分のものにする。
相手がわかるようにすることを通じて、得た知識や情報を自分も整理する。

学び、学ぶ。

話したい事、聞いてほしい事を、伝えたい事、知っておいてほしい事、知らないと困ること,相談したい事を伝えるのが報告だよ。

報告の目的の一つは反芻する事にある。
何でも、一回、二回では。問題を自分のものできない。
くりかえし、人を変え、表に出すから自分の頭の中や考えが整理できる。

だから、担当者を決めろと。
自分一人では、頭の中整理できないよと。

とにかく、担当を一人決めろ。担当と打ち合わせることで仕事にしていくんだ。
一人では仕事にならんからなと教えられた。

決められない人は単純に決められないんだよ。
決められない人は、簡単なことも決められない。
なぜ、決められないのか、僕には、わからないけどね。決められない。
若い人にはわからないだろうけどね。
決められない人の多くはああだ、こうだ理屈をこねるけどに、要するに決められないんだよ。

決められない人は、追い詰められて極端な決断をする。それをモラルハザードという。
普段、無理のない、簡単な、小さな、常識的な決断を積み上げていくから、極端な決断をしなくても済むので。
決断は、階段を一段いちだん昇るようにしていかにと。
気がつくと何十段もの会談が積み上がって断崖のような壁になってしまう。

リーダーがメンバーを守ろうとし、メンバーがリーダーを守りたいと思ったとき、チームは、最大の力を発揮する。
リーダーはメンバーのために、メンバーは、リーダーのために働くから、組織は成り立つ。
地位がリーダーを育てるのではなく、メンバーの思いが、リーダーをリーダーとするのである。
リーダーが人の目を気にしていたら、自分も、メンバーも守れないぞ。
リーダーたる者、恥も外聞もかなぐり捨てて、メンバーを守ることを考えろ。
親は、恥も外聞もかなぐり捨てて、子を守ることを考えろ。

忠誠というのは強制なんかできない。
いくら、リーダーが強要しようと、お互いがお互いを求めた結果だから。

結論が決まったら、何はともあれ、担当を決めろ。
担当を決めなければ、仕事は、始まらない。正式に誰に何を担当させるかは、正式にスタートしてから改めて決めればいい。
担当を決めるという場合は、分担をすることを意味する。
だから、とにかく、担当を決めないとチームワークは始まらない。
細かい分担は、計画のディテール、詳細が見えてから改めて決めればいい。
担当を決める事で、一人ではなく、分担して仕事をする事を始める事を形で示すのである。

なぜ、担当を決めるのかというと。
担当とのやり取りを通じて、自分の頭の中、考えを整理して、始めにやるべき事を洗い出すためで。
仕事につなぐためと考えていい。
担当を決めたからと言ってすぐに作業に取り掛かるわけではなく。
むしろ、どうしていいかわからないから担当を決める。
だから、親父たち、先輩達から、取り敢えず、担当を決めろと。
そうしないとつかみどころがなくなるから。
極端な話、誰でもいいので。
自分の相談相手になり、足下の作業、何からやるか、その手伝いをしてくれればいいので。
正式の役割分担、担当は、正式に仕事がスタートした時に決めればいい。
担当は、あまり難しく考えない方がいい。
担当の仕事は、選んだ人によって違ってくる。
最初から、エース格を起用するか、調整役にするか、参謀格を使うか、スペシャリストを使うか、自分の理解者にするかは、手伝い程度でいいのか、極端な話、その時の気分みたいな事で決めてもいい。
要は、正式にスタートしたわけではないのだから。
正式にスタートするまでのつなぎ役ぐらいに考えたらいい。
引き続き、担当をさせていくかは、仕事次第で決めればいいし。
それは、正式にスタートするまでに結論を出せばいい。
そてより、担当を決められない方が、深刻な問題を引き起こす。

早い話。
担当を決めたからと言ってすぐに仕事が出来るわけではない
し。
ただ、担当を決めなければ、固まってしまうだろ。

とりあえず担当を決めれば話が進む。
担当を決めるということが、最初の決め、ファースト・ステップではずみがつく。

逆に言うと、最初は、担当者を決める以外何もない。
担当者を決めないと、何も決められない。
決めないと指示が出せ内。
筋が通らなくなる。

担当を決める事で筋を通すのである。

将棋の初手というのは、飛車先の歩を突くか、角道を開けるかが定石で、普通は長考しないで軽く指すのが常道。そうしないと、素人は、すぐに手詰まりになる。
仕事の初手も、担当を決めるが、定石。
担当を決める事で一人仕事になるのを避ける。
担当を決めないとすぐに手詰まりになる。他人との関係が出来なくなるから。
一が二となり三となる。
点で考えるな、点では仕事にならない。
担当は、次を考える、次に誰と繋がるかを考える。
仕事を抱え込むと固まる。
二から三となる。
三は落ち着かない。不安定。
二つに割れない、割り切れない。
だから変化を求める。
変化を求めて動き出す。相対で仕事をしていると展開しなくなる。

誰を先発させるか。誰に四番を打たせるかに監督の考えの実態的に現れるので。
担当を誰にするかで、リーダーが考えをハッキリする。
勝つチームにしたいとしたら、勝つチームの布陣になるはず。
勝つと言っても、誰を先発にするかで、監督の勝つ事の意味が顕わになる。露見する。
本気ならば、なりふり構わず自分の考えるエースを使ってくる。

ハッキリ言って、いい担当というのは、いい質問をしてくれる人で。
悪い担当というのは気分を悪くする人。
一々、逆らったり、批判したり、意味不明な質問を思いつきで聞いたり、問題点をずらしたり、肝心な事を忘れたりやってなかったり、変なところで我を出したり、頑固だったり、投げやりだったり、拗ねたり、不貞腐れたり。
どうでもいいところで自説を推し通そうとしたり、相手の意見を聞かなかったり、素直でない。

すぐやれといったことを、一日遅らせたり。
皆が納得したことを蒸し返したり。
また。打ち合わせたことと違うことしたり。
決められたことを微妙に変えたり。

こういう担当は、鬱陶しい。落ち込ませる。

とりあえず担当を決めれば話が進む。
担当を決めるということが、最初の決めではずみがつく。

言っとくけど、速やかに行動に移さないと、行動に移せなくなるからな。
だから、決めたら、間を置かずに行動に移せと厳しくしつけられた。
下手な間を置くと。間が悪い、間抜けと言われたものさ。

担当を決めると、担当者間の打ち合わせが始まる。
それによって担当者が孤立するのを防ぐ効果もある。
担当者間のネットワークが、仕事の実体的に推進していくからである。
それが組織だ。
実際の、仕事は全員が協力し、助け合って行う。
全員が協力できる、助け合える、体制を予め仕込んでおく。
それが地作り、下地作りである。
組織というの百姓仕事に似ている。

担当は、誰にするか決めたけど、それをいつ、誰を集めて、どこで、どうやって伝えたらわからない。
それが、問題だ。それが問題なの。
それが、片付かなければ、問題は解決しないでしょ。
それが問題だと気がつかないと、詰めの段階に入れない。
だから、それが最終的問題。
それを問題にしないと行動に結び付かない。
それを詰めれば、いよいよ出口だ。
最後はそういう問題になるの。
そう言う問題にならなければ、解決に至らないでしょ。
詰めの問題は、いつ、どこで、誰に、誰から、どこで、どのようにするのか。
ただ、一足飛びにこの問題に至らないと言うだけ。
一つひとつ、一歩いっぽ,一手いって、解決に近づく、薄皮を剥ぐように。

担当を決めるのは、皆の見ている前で、〇〇を担当にすると宣言すればいい。
難しく考えない。
担当というのは正式の辞令をもって決める事ではない。
関係者に知らしめればいい。

担当を決める。
例えば、運転の担当を決めるのに、自分が運転ができるかできないかは、問題にならない。
また、運転がうまいか、下手かも問題にならない。
運転ができるか、どうか。うまいかどうかは、運転を任された側の問題である。

元売りだって、器具メーカーでも、銀行でも、信金でも、うちの担当がいるので。
逆に、うちの仕入れにも、サポートセンターにも、支店にも、器具メーカーの担当がいる。
また、一万軒であろうと、千軒であろうと、百件であろうと、一人であろうと、総ての顧客には担当が決まっているので。
元売りの社長と内に社長が、何から何まで、それこそ価格まで決めていたら、収拾がつかなくなる。
担当が決まらないと仕事は回らなくなるし、担当を決めてくれないと、仕事が出来ない。
だから、取り敢えず担当を決めろと。地区で担当させてもいいし、新規を担当させてもいい。
仕事を決めて、やらせないと辞めるよと。
担当を決めるとはそう言う事。
だから、リーダーの最初の仕事は、担当を決める事。
マネジャーが担当を決めないで、自分が担当したら、マネジャーの仕事は、必然的に、上がやらなければならなくなる。
最終的に、トップに向かう。それを吹きあがると言って、組織の統制上もっとも危惧された。
担当を決めて、下へ、下へとおとしていかないと、仕事は現場から遠ざかり、また、調整機能も喪失して制御不能に陥る。
俗に、下が方針を決め、中間管理者が上に指示して、上司が作業をすると言う逆転現象が起こる。
担当を決めないと仕事にならない。
我々だって、美容院に行っても、医者に行っても、私の担当は誰ですかと聞くだろう。
大体、担当を決めないと指示出せないだろう。
担当を決めて担当に指示するのがファーストスッテプ。

病院に行って、自分の担当医が決まっていなかったら厭だろう。
入院中、看護師が、朝着て、今日の担当の✕✕です。何かあったら私に連絡くださいと。
何で担当を決めるの躊躇する。
担当を決めたら責任が重くなるから。そりゃそうだ、担当を決めるから責任が明確になるので。
担当を決めると仕事が増える。そりゃそうだ担当を決めるから、自分の仕事が明確になるので。
担当を決めなければ、何をしていいのかわからない。
担当を決めなくていいのは、学校のお勉強。
学校では、担当を決めるのは悪い事のように。
差をつけるとか、負担を増やすとか。
それは、横並びのお勉強をしている学校の話。
野球で、担当を決めなければ、野球はできないの。

部門長、支店長、マネジャーが担当を決められなければ、自分が担当する事になる。
そうしたら、組織はできない。
総て一人仕事となり、後の人はお手伝いに過ぎない。
例え、担当を決めたとしても全権を渡すわけにはいかない。
少なくとも決定権は部門長、支店長、マネジャーにある。
何をどこまだ任せるかは担当と打ち合わせて決める事になる。
らだ、その時、当然、具体的な話をしなければならないから、仕事が整理されるのである。
担当を決めたら全て任せて、何もしなくてもいいと言うのは錯覚である。
また、担当は、任されたのだから、何をしてもいいと言うわけではない。

担当を決めて、担当に指示して、担当に任せる。
これが仕事の基本、これが組織の基本。
担当を決められるから仕事が出来る。
担当を決めてくれなければ、仕事ができない。
担当が決められなければ組織はできない。
担当を決めなければ指示もできない。
担当を決めなければ、任せる事もできない。
担当を決めると言う事は、同時に、何をやらせるかを決める事でもある。
やるべき仕事を洗い出して、担当分けするそれが、組織の原点。
何を担当させるか考えろ。
担当の決まっていない人は、ずっと、待機状態に置かれているのと同じ。
それが、どれほど辛いか考えろ。
仕事をさせる事は、悪い事ではない。
理不尽な事をさせるのが悪い事。

学校のお勉強は、横並びなの。
横並びだから、担当を決める必要はないし。
決めると悪い。横並びだから。
みんなただひたすら、同じことをする。
現実の世界で、横並びの仕事はない。
ラグビーだって、野球だって、役割がある。
分担というのは、担当を明らかにして、分ける事。
誰が上か下かの問題ではなくて。誰に何を担当させるかの問題。

部門ごとの担当を決めたら、次に、いつ担当者会議を開くかが問題となる。
そうやって組織を組んでいく。

担当を決めて、担当に指示して、担当に任せる。
これが仕事の基本、これが組織の基本。
担当を決まられるから仕事が出来る。
担当を決めてくれなければ、仕事ができない。
担当が決められなければ組織はできない。
担当を決めなければ指示もできない。
担当を決めなければ、任せる事もできない。
担当を決めると言う事は、同時に、何をやらせるかを決める事でもある。
やるべき仕事を洗い出して、担当分けするそれが、組織の原点。
何を担当させるか考えろ。
担当の決まっていない人は、ずっと、待機状態に置かれているのと同じ。
それが、どれほど辛いか考えろ。
仕事をさせる事は、悪い事ではない。
理不尽な事をさせるのが悪い事。

学校のお勉強は、横並びなの。
横並びだから、担当を決める必要はないし。
決めると悪い。横並びだから。
みんなただひたすら、同じことをする。
現実の世界で、横並びの仕事はない。
ラグビーだって、野球だって、役割がある。
分担というのは、担当を明らかにして、分ける事。
誰が上か下かの問題ではなくて。誰に何を担当させるかの問題。

担当を決めても、自分と担当との糸は切れないからね。
担当は自分の鏡で。
担当を決める事で点から線に変わる。
担当を決めても、自分の仕事がなくなるわけではない。
担当を決める事で、自分の役割を浮き彫りにする。
担当を置く事で、自分の仕事をハッキリさせる。
目的は、問題を解決する事であって、自分で、できなければ、できる人を担当にすればいいので。
自分がわからなければ、わかる人間を担当にすればいいので。
時間がなければ、時間のある者を担当にすればいいので。
恥ずべきことは、自分ができないとか、わからないとかではなく、自分の限界を認めず、問題を片付けようとしない事だ。
問題がわかっていながら、解決する努力を怠る事だ。
チームメートを信じようとしない事だ。
チームワークを乱す事だ。

解決しなければならない事は、解決しなければならないんだ。
解決しようという意志があるか、ないかの問題だ。
解決する意志があるなら、解決できるようにすべきなのである。

トラブルが生じた時、「この仕事、誰が担当してるんだ」と聞かれ。
「決めてません」なんて答えようものなら、火が出るように怒られた。
「馬鹿野郎。担当も決めずに、仕事をするな。
無責任になるだろう。
大体,誰に聞いたらいいかもわからないだろ。
ヘッドは、一々詳細まで首を突っ込めないだろう。
担当を決めるから、責任の所在も明らかにできる。」と。
更に、「担当なんて、その場で即座に決められる。」
「即座に決められる事に、三日も四日も掛けてどうする。
それだけ、仕事は遅滞するし。時間を掛ければ決められると言う事ではない。
時間をかけると、却って、迷いが生じるし、他人からの干渉も受けやすくなり、決められなくなる。
だから平常心
軽く何事もなかったように決めろ。」と。
この手の事は、即断、即決、即行。スピードが命。
情報や状況には鮮度がある。
決断なんて、一秒もかからないんだと。
「今決めろ。この場で決めろ」
決断は、修練が必要。

決められない人は、他人の思惑に囚われ、決められない理由を言うけど。
他人の思惑気にして、根本は、自分で決められないんだよね。

簡単な事が決められないから深刻なんだ。
深刻にしてしまうんだ。

それは自分が出来ないから、それを知られたくなくて、いそいそ流を言うけど、突き詰めると決められないだけ。
歳をとると衰えて、できない事が増える。そうすると、ますます、虚勢を張るようになる。
決められない人は、「若いとか、経験がないから」とか言って任せる事もできない。

若いうちに、責任をもって決める事を覚えないとね。
決められなくなる。

若い人は、決めるの待っていられないから、決められる事から決めて結果を出して、躊躇している人を促すしかないよね。
決められない人は決められないんだよね。
決められないから、ギャンブルに出る。
度胸のある人は、無理をしない。
だから、平常心、不動心で、何も大したこと決めていないように見える。

自分達は今何を問題としてるのか。
それを見失ってしまう事がよくある。
我々は何を問題としてるのか、確かめようよ。確認しよう。
何が問題なんだって。

そして決めるべき時に決めろ。

監督は、あの時、ピチャーを交代させようと思ってたんだよと試合が終わってから言う事は許されない。
決めろ。
決めてコールしろ。
決めて行動に移せ。行動で示せ。

バットを振る、振らないは打者が決める事、監督が決める事ではない。
監督の性にするな。

誰に先発させるかを、監督が決めなければ、試合は始まらない。

決めろよ。簡単に決められることから。
できることから決めていけよ。
いきなり、結婚を申し込めなんて言ってないよ。
声を掛けるとか。話しかけるとか。電話番号を聞く。友達に頼むとか。
サークルに入るとか。
それができないから、襲いかかるんだよ。

扉を開けろ。
決めなければ、決められなくなる。

決め方がある。
大きな決断は、小さな決断の塊。
仕事は、決断の塊。

解答権を得たら、他の人の意見、答えを聞く事だよ。
答えを決められると言う切り札を持ったのだから。
自分の答えと違う答えを聞くいいチャンスだし。
人を知る事にもなる。極端な意見言う人は、そういう人だから。
自分の答えに近い人の答えを採用すれば、その人は、当然協力せざるを得なくなる。
自分よりいい答えがあったら見付けもの。
皆、自分の答えと違えばその時は、解答権という切り札を切ればいい。
それが、リーダーの特権。

今は解決できないかもしれないが、でも、始めなければいつまでたっても解決はできない。望めない。
今、自分のできる事から始めないと、始まらない。
問題がわかったら、まず、自分は、何から始めるのかを考えようよ。
今、解決できないとしても、放置すれば、全体に悪影響が出るとしたら、他人事ではない。
自分の事なんだよ。
ビッグモーターやダイハツがいい例ではないか。
ビッグモーターやダイハツの社員が、俺関係ないと言っても、世間はそうみないんだよ。

チームワークというとラグビーだけど、ラグビーの精神とは何かを調べたたら、次のような事がわかった。
ラグビーの精神。
私の、妹はラグビー一家で、甥っ子たちの話も日頃聞いて、自分が感じた事。

ラグビー憲章において、ラグビーの5つのコアバリューとして「品位・情熱・結束・規律・尊重」が紹介されている。

他人の性にせず。自らの使命、責任を果たす。
「One for All, All for One」「一人はみんなのために、みんなは一つの目的のために」
「ノーサイド」とは、「試合が終われば敵も味方もなく、お互いの健闘を称え合い、感謝し、ラグビーを楽しんだ仲間として友情を深める」というラグビーの精神に重ねました。試合が終わったら、勝敗に関わらず、互いの健闘を称える。
「尊敬(RESPECT)」とは、チームメイト、相手、マッチオフィシャル、および、ラグビーに関わる人々を尊重することは、最も優先すべきことである。仲間や相手への尊敬を忘れない。
「ONE TEAM(ワンチーム)」
とは、「出身地、文化、様々な生まれや背景が違っても目標に向かって一致団結し、その違いを乗り越えて一つになる。」

なぜ、今ラグビーなのか。
ラグビーの精神が日本から失われつつあるからではないのか。

不平不満を言ってても問題は解決しない。
まず、自分達に何ができるかを考えよう。

私的問題と自分の問題は違う。
私的問題は、自分の問題に含まれるが、自分の問題は、自分が解決しなければならない問題で。

若手を中心にして、全社一丸となって問題を解決しよう。
我々は仲間なのだ。我々は、仲間であることを忘れないよう。
仲間が自分を必要としている時、見て見ぬふりをしないよう。

いつかは、片付けなければならない問題は、今、解決できないからと言って問題視しないのは間違い。
解決しなければまらない事は、解決しなければならないので。
解決しようと言う意志を持ち続けていかなければならない。
諦めたらお終いだ。

任せられること、任せられないことを分けて考える。
何も任せられないではお話にならないけど。
信頼して任せる。エラーは、皆で、フォローする。

いつまでも他人頼りにしては駄目、自分の問題は、自分で解決する。
解決する努力をする。
誰も助けてくれないといいたら。それが問題だ。
皆に協力をさせるために何をしたらいいか考えよう。

最初の決定は、担当を決める事。
今、何が問題かを確認しながら、一歩いっぽ、足を進めるように、一段いちだん、階段を昇るようにしていく。
その為に担当を決め責任を明確にする。
なぜ、担当を真っ先に決めるかと言うと、それが、組織化の手始めだから。

自分以外の担当を決めないと、どこまでいっても一人仕事になる。
担当を決める事で、自分以外の人との共同作業にする。
それがチームワークの手始め。

リーダーも、マネージャーも最初に担当分けができなければならない。
担当が決められなければ、一人仕事しかできない。
担当を決めるということは、任せることを意味するので、担当を決められないというのは、信頼して任せることができないことを意味するから。

負ければいいじゃあないか。
勝とうとするから、任せることも分担することもできないんだ。
どのみち、若い連中にはかなわないんだから。
だいたい俺達の仕事は、若手を育てることや、隠れた才能を引き出すことなのだし。

負けることを知らなければリーダーにはなれない。リーダーは、代表なのだから。

俺は、最初から、若い連中に勝とうなんて思っていない。
勝てるわけないし。
大体、リーダーは、いかに、自分より優秀なメンバーを集めるかが肝心なので。
どれくらい、自分より優秀なメンバーが居るかが自慢になる。
なぜなら、リーダーの役割は、人を育てる事、それこそ、指導力だから。
リーダーに求められるのは、人の隠れた才能を見出す目と自分が責任を負う覚悟だ。

自分が何を求められているかを考えれば、自分が何をすべきか、つまり、仕事がわかる。
何が求められるかは、役割からくるので、他人の思惑ではない。
監督には、監督の役割があり、コーチには、コーチ、投手には投手の役割がある。

ボールを投げなければ、試合は始まらない。
ボールを投げる事は、簡単だよ。
その簡単なことができなければ、試合は、始まらない。
だから、深刻なんだ。
監督が、先発を決めなければ、試合は、始まらない。
先発を決める事は、簡単だよ、でも、決めなければ試合は始まらない。
やろうと思えば、簡単にできる。
全員が守備位置につかなければ試合は始まらない。
打順を決めなければ試合は始まらない。
打席に立たなければ、試合は始まらない。
審判がコールしなければ試合は始まらない。
一つひとつは、簡単で、やればできる。
その簡単なことが、手順よくできないと試合は始まらない。

自動車の運転も意識しなければ滑らかに決断できる。
意識しだすとギクシャクしてしまう。
組織もすくみだから、決めるべき時に、決めるべき事を、決める履きこと決めないと、滑らかに、よどみなく仕事は流れなくなる。
仕事は一連の作業、連鎖した作業、しかも、並行作業、順序の決まった作業の塊。一つでもひっかてしまうと、正常に作動しなけなる。

とにかく担当を決めて、最初にセットアップする。

まず、やるべき事、すなわち、指示されたこと、決められたことを書き出し、項目事に、担当者を決める。
次に、個々の担当者と打ち合わせ、どこから着手するから決めるのだけど、その前に、思いつく範囲でいいから、関係部署、関係者を書き出す。

つい出る愚痴や、不満、陰口が悪い影響を組織に及ぼす。
特に、責任者やベテラン、補佐役の愚痴や不平不満は組織を解体する危険性をはらんでいる。
厳に戒めるべきである。
いうべき事があったら、決定が出る前に、言うべき時に、言うべき場所で、堂々と言う。
一度、断が下ったら粛々と従う。従えない者は去る。
それが責任ある者の態度だ。

滑らかに意思決定ができないと心身に過重なストレスがかかり、気分が悪くなる。
これは、組織も同じ。生活のリズムが乱れる。

担当を決めたからと言ってすぐに仕事になるわけではない。
だから、実際に担当に何をさせるかは打ち合わせて決める。
そこからチームワークが始まる。
最初から組織は完成されているわけではない。
担当と打ち合わせてどんチームするかデザイン、設計する。
どんなチームにするか、仕事の段取りは、担当によって、全然違ってくる。
まず、担当がどれくらい知っていて、何ができるかを確認する必要がある。
オール・オア・ナッシングではない。

任せたから、勝手にやれというわけにいかないし、まかせられなんだから何をやってもいいというわけでもない。

担当を決められない、責任者、マネージャーは、選手の守備位置を決められない監督と同じで野球以前の問題、無能と言われても仕方ない。

掃除の日を思い浮かべればわかる。
静清支店とサポートセンターは合同で、支店長、あるいは、支店長の代理から、エリア毎に班分けをし、各班にリーダーを指名し、リーダーは各人の担当を指示する。
一度、筋道を通しておけば、後は、その筋書きがわかっている者は代行ができるようになる。
ただ、最初の段取りがわかっているものがいなくなると新しい筋書きがかけなくなる。

片付けをすつにしても、運動会にしても、イベントのしても、全員が何らかの仕事を担当する。
みんな自分が何をしたらいいのか、その場を仕切る人間の指示を待つ、最初の指示は誰が何を受け持つか、担当を決める事で。
全員に何らかの担当を受け持たせる必要がある。
それが、リーダー最初の仕事。
その場を仕切ると言うのは実施責任者だからね。

その場を仕切る者は、やるべき事、作業、仕事をざっと洗い出し、担当を決めて指示していく。
速やかに担当を決めないと最初から仕事によどみが生じる。
人を遊ばせるな、何でもいいから仕事をさせろ。
担当が、決まってない人間はかえって邪魔。障害になるし。不満を持つ。
仕事がないのが不満なので、指示される事が不満なのではない。
指示されて不満を持つ奴は最初からやる気がない。仕事の障害になる。

監督には、監督が決める事があり。コーチには、コーチが決めることがあり。
マネージャーには、マネージャーが決めることがあり。
投手には投手の決めることがあり。
捕手には捕手が決める事がある。
監督がすべてを決めているわけではない。
どのボールを打つかは打者が決めるのは、打者だ。
ホームランを打たれたのは監督や捕手の性に投手がするのはお門違い。
だからと言って監督が決めたことと違うことをコーチが選手に伝えたら、チームの統制は取れない、

我々の仕事はボールが見えないけれど仕事の基本は、同じ。

どのボールを打つかは、打者が自分で決める。
どのボールを投げるかは投手が自分で決める。
誰を先発させるかは監督が自分で決める。
最後は自分が決める。

何が問題かを正しく見極める。

その為には、事実と意見と切り分ける必要がある。
例えば、速く場所を決めなければいけない。これは意見。
三日後までに場所を決めないと予約がとれないは事実。

次に、今何が問題なのかは判別する。
それは解決すべき問題かどうかによる。
地震で新幹線が止まったとして、それは解決すべき問題があるか。
新幹線に乗る予定があれば問題だが、新幹線に乗る予定はない場合は問題にならない。
無論、新幹線でくるお客様がいる場合は、問題である。

この様に、先ず事実を正しく認識したうえで、今何が問題なのかを見極める。
要するに今解決すべき事は何かが、問題の鍵である。

頻繁に電話がかかってくる事は解決すべき事か。
解決しなくてよければ、問題にはならない。

事実は事実、意見は、意見。
事実は、人が違っても変わらないが、意見は、人によって違う。
まず、事実と意見をより分ける。

背が高い。これは事実。(客観的事実。)
それがいい。それが悪い。これは意見。人や立場によって違う。(主観的判断)
背が低い。これは事実。(客観的事実。)
それがいい。それが悪い。これは意見。人や立場によって違う。(主観的判断)

意見を述べる際は、根拠となる事実(証拠)を明らかにする必要がある。
あいつは、計画性がないというのはどのような事実に基づいているのか。

事実と意見が混在している場合がある。
三年もと三年しか。
あいつは、時間をかける。
それが悪いという人もいればそれがいいという人がいる。
あの人は、率直な意見を言う。

自分に問題がなくても、結果に問題があることもある。

自分の問題と、私的問題は違う。
私的問題は、自分の問題に含まれるが、自分の問題は。自分が解決しなければならない問題で。
私的問題は、個人的問題。
自分の問題は、自分が解決しなければならない事。
自分の問題を他人事にとらえている限り、自分で解決する事はできない。
私的問題でも、自分の問題としてとらえないと、他人事になってしまう。

体調が悪いというだけなら私的な問題。
体調が悪くて仕事に影響するというのは自分の問題。

だから、最後は自分の問題。
自分が関係する問題でも。
自分では解決できない問題もある。
一緒に取り組んでいる仕事でも。
自分の問題ではないこともある。

不平不満を言ってても問題は解決しない。
まず、自分達に何ができるかを考えよう。

今、何が、問題なのか、それをきちんと見極めるように。
結論が下されたり、指示されたら、結論や指示が問題なのではない。
問題は、いかに、結論や、指示を部下に性格に伝えてる事と担当を誰にするか。
結論や指示を部下に伝えて、担当者を指名したら。
問題は、何を担当者と打ち合わせるかになる。
このように、問題は、手順、段階に応じて絶え間なく変化する。

結論や指示を問題にしたら、問題を蒸し返すことになる。
結論や指示が出たら、それに、無条件に従う。
責任者は、結論や決定が下ったら、以後、批判や陰口は控える。
責任ある者が、無責任な言動を取ると統制が乱れ、結果的に、部下が、自分の指示に従わなくなる。

負ければいいじゃあないか。
勝とうとするから、任せることも分担することもできないんだ。
どのみち、若い連中にはかなわないんだから。
だいたい俺達の仕事は、若手を育てることや、隠れた才能を引き出すことなのだし。

負けることを知らなければリーダーにはなれない。
リーダーは、代表なのだから。

俺は、最初から、若い連中に勝とうなんて思っていない。
勝てるわけないし。
大体、リーダーは、いかに、自分より優秀なメンバーを集めるかが肝心なので。
どれくらい、自分より優秀なメンバーが居るかが自慢になる。
なぜなら、リーダーの役割は、人を育てる事、それこそ、指導力だから。
リーダーに求められるのは、人の隠れた才能を見出す目と自分が責任を負う覚悟だ。
自分が何を求められているかを考えれば、自分が何をすべきか、つまり、仕事がわかる。
何が求められるかは、役割からくるので、他人の思惑ではない。
監督には、監督の役割があり、コーチには、コーチ、投手には投手の役割がある。
ボールを投げなければ、試合は始まらない。
ボールを投げる事は、簡単だよ。その簡単なことができなければ、試合は、始まらない。
だから、深刻なんだ。
監督が、先発を決めなければ、試合は、始まらない。
先発を決める事は、簡単だ。
でも、決めなければ試合は始まらない。
やろうと思えば、簡単にできる。
全員が守備位置につかなければ試合は始まらない。
打順を決めなければ試合は始まらない。
打席に立たなければ、試合は始まらない。
審判がコールしなければ試合は始まらない。
一つひとつは、簡単で、やればできる。
その簡単なことが、手順よくできないと試合は始まらない。

自動車の運転も意識しなければ滑らかに決断できる。
意識しだすとギクシャクしてしまう。

組織も仕組みだから、決めるべき時に、決めるべき事を、決めるべき人が決めないと、滑らかに、よどみなく仕事は流れなくなる。仕事は一連の作業、連鎖した作業、しかも、並行作業、順序の決まった作業の塊。一つでもひっかてしまうと、正常に作動しなけなる。
とにかく担当を決めて、最初にセットアップする。​
まず、やるべき事、すなわち、指示されたこと、決められたことを書き出し、項目事に、担当者を決める。次に、個々の担当者と打ち合わせ、どこから着手するから決めるのだけど、その前に、思いつく範囲でいいから、関係部署、関係者を書き出す。
つい出る愚痴や、不満、陰口が悪い影響を組織に及ぼす。
特に、責任者やベテラン、補佐役の愚痴や不平不満は組織を解体する危険性をはらんでいる。
厳に戒めるべきである。

いうべき事があったら、決定が出る前に、言うべき時に、言うべき場所で、堂々と言う。
一度、断が下ったら粛々と従う。
従えない者は去る。
それが責任ある者の態度だ。

担当を決めたからと言って、担当が一人で仕事をするわけではないからね。
それは、担当に仕事を丸投げしているだけで、無茶苦茶、乱暴すぎる。
実際の仕事は、全員が分担して実施する。
担当が、どんな仕事をするかは、責任者と都度打ち合わせて決める。
担当は担当で、基本的に、センターや他部門との連絡、調整、折衝、責任者の補佐などを受け持つ。
担当を決めたからと言って、責任者は、免責されるわけでも、役割がなくなるわけでもない。
ただ、仕事を分担するだけで。

例えば、イベントや展示会の担当を任されたからと言って、展示会やイベントの仕事を一人でやるわけではないし、できるはずがない。

リーダーは、特定の事項だけ関わっていられないから、担当を決めて専念をさせる。
そうする事でリーダーを調整役にする事が可能となる。
リーダーを中立的な立場に立たせる事で全体の均衡を保つのである。
リーダーが特定の部門の偏りと、公正な裁定が出来なくなり、組織の均衡が失われるから。
また、意思決定の一貫性が保てなくなり、組織の安定を失う。

担当が、責任者に代わって、センターや他部門と細かい事を打ち合わせたり、折衝をする事で、責任者を、煩雑な雑務から解放し、また、安全弁や交渉の余地を作る。最終的決定は責任者が行う。
ただ、独断を避ける意味でも担当を決めておくのである。

仕事は、部門間では利益相反する事が一般で、先ず担当者間で打ち合わせ、前処理をさせた上で責任者間で最終調整、詰めをさせる。これは企業間でも同じ。
そうしないと、緩衝材を失う。

担当を決める事で、一人仕事から解放する、組織的に仕事をすると言うだけで。
担当を決めたら、リーダーとしての役割がなくなるわけではない。

例えば、お客様からのクレームがあった時、担当を決めておけば、支店長が対応すれば済むが、支店長が担当していると、その上が対応しなければならなくなる。

担当者を決めたら部門責任者は、担当者の報告を聞き、メンバーに諮ったうえ、改めて部門の方針、原則を定め、部内の役割分担を決める。
その上で、実際の仕事は別途担当を決めて実施する。

それが展示会やイベントの担当の在り方で、この点を正しく認識しておく必要がある。

担当者も、任されたんだから何をしてもいいと錯覚している人もいる。
事実、昔の支店長の中には、支店長になった瞬間、何を錯覚したか、センターの言う事を聞かなくなったり。
交際費を自分勝手に使いだした者もいた。
担当になっても、また、任されたと言っても、組織に一員である事には変わる事はなく。
特に責任ある立場の人間の勝手な専横は、法的にも許されない。
今も、昔も、権力を悪用した勝手な行動によって、自分だけでなく、会社を駄目にした例は、枚挙にいとまがない。任されたと言っても、会社の方針に従わなければならないの非常識であり。
報告をするのも当然の義務である。

仕事は、一般に、単一の部署だけでは片付かない。
決定や指示が下り、仕事を請け負った時、先ず、関係部署の責任者が集まり、自分の受け持ち、担当部署を決め、方針を決め、担当を指名する。

責任者の打ち合わせは、中立的な立場の人間に仕切らせる必要がある。
当事者同士では、利益相反関係や利害関係があるため、中立的な立場の人間がさばく必要がある。
いきなり、トップがさばくと調整(遊びがなく、ガチンコになる。)が効かなくなるから、一旦、中立的立場の人間が調停し、それでも不服がある場合、トップに最終的判断を仰ぐのを原則とする。

誰が仕切るか等、各部門の責任者は、トップから聞かれ時、答えられるよう。自分の意見、考えを持つよう。

中立的立場とは、無任所の役員、或いは、総務、関係性の薄い部署のマネジャー、責任者を指す。

担当を決めたからと言って、担当者が一人で仕事をするわけではない。
この点も誤解、錯覚している人がかなりいる。
実際の仕事は、基本全員でやる。
例えば、展示会でも、医療でも、各部門の責任者は、自分の部下と打ち合わせて、当面、自分たちが何をするのか、どのような方針でいくのかを、決めて上で、担当にセンターや他部門の担当と詳細を詰めさせ、担当の報告に基づいて、分担を決めて改めて指示する。

担当を決めて、ある程度、話を詰めさせておいてから責任者が決める。無論、担当に権限を移譲しても構わないが、その場合は、お互いの了承のもとに行う。

例えば、販売店会や社員旅行等で旅行会社を選ぶ際、担当は、事前に、責任者と打ち合わせて、二、三社に絞っておいて相見積を取ってから決める。
一社では選択の余地がなく、百社では、検討の余地がない。
よくどうする、どうすると恫喝するように決断を迫る部下や、一案しか持ってこないでドスを突きつけるように決断を迫る部下もいるが、礼儀知らずも甚だしい。

決定を求める場合は、相手が決断できるように、話を煮詰めてから、上申をする。
事情も説明せず、裏付け調査もせず、必要な情報を与えないで決断を求めるのは乱暴、無礼。
緊急事態を除いて、事前に、物事を整理してから上申するのが常識というもの。

オール・オア・ナッシングでも、選択の余地を与えないのもどちらも傲慢、無礼。