入社したての時や、基本ができていない時は、一般に、見習いという。
見習うと言うのは、見てならうと言う事。

「習う」の意味は、2つある。
1つは、「知識や技術を他人から教わる」という事。例えば、仕事の仕方を先輩にならうとか。
もう1つは、「繰り返し練習して身につける」という意味で、先輩の仕事を見て鉈うとかいうように使う。
「習う」の「習」という字は、「重なり合う羽」と「息」の象形から成っている。これは「繰り返し口にしてまなぶ」を意味しており、そこから「まなぶ」を意味する漢字と使われるようになった。

「倣う」は、「習う」と同語源の言葉だが、使われ方には違いがある。
「倣う」の主な意味合いは、「あることを手本として、それと同様のことを行う」というものです。「まねる」と同じ意味で、「前例に倣う」「右へ倣え」「他国に倣った制度」のように使われる。
「倣う」にはまた、「慣れ親しむ」という意味合いもあるが、最近ではあまり使われない。
「倣う」の「倣」という字は、「人」と「まねする」を表す象形から成っている。ここから「人のまねをする」を意味する漢字になった。
このように、「習う」は「人から教わる」ことを意味し、「倣う」は「人のまねをする」ことを意味すると覚えると使い分けしやすくなります。

度面にしても、見習いは、見てならうと言う意味で、仕事を修得する際の基本。

なぜ、見習いから始めるのか、それは、チームワークの根本が見習いだから。

つまり、チームワークの、根本は、意思疎通。

リーダーは、自分の考えや、これから何をしようとしているかを、メンバーに伝えないと、メンバーは、何もできないと言う事を理解していなければならない。
リーダーは、指示された事、結論が伝わっていないと、仕事が出来ない。仕事を分担できない。
当然な事だが、この当然の事をしていない、リーダーが結構いる。

リーダーが伝える事は、議事録に書かれている事ではなく、自分の考えであり。
議事録は、自分に出された指示や、結論が、自分が伝えた事と違えていないかを、検証するために使う。
議事録ができるのを待っていたら仕事はできない。

言ったじゃない。
仕事は、繋つなぎだって。
部門責任者の主たる仕事は、どことどこをつなぐかだよ。

指示が出されたり、結論が出たら、自分の所属する部門につなぐ。
そうしないと、仕事の連鎖が途絶えてしまうだろ。

情報や、結果、結論、指示をどこに、どのようにつなぐかそれを考えるのが、マネジャーの仕事。

決定が下ったり、指令されたら、リーダーは、メンバーの目に立って。
気を付けてほしいのは、リーダー以外のメンバーは正反対の事を教えられ、躾けられると言う事。
つまり、リーダーは、皆の前に立ち、自分の考えや何をしようとしているか話せ。
それに対して、fリーダー以外のメンバーは、リーダーの指示なくして、みんなの前に立ってはならない。
この鉄則は、人間だけでなく、猿も狼も同じ。
ボス猿は尾っぽ立てる。ボス猿以外は尻尾を立ててはならない。
逆に言えば、これが理解できない者は猿や、狼、犬以下という事になる。

だから、奴働きばかりしていた者、一兵卒が長かった者はリーダーになった時、リーダーと正反対の行動をとりがち。

仕事を繋げるためには、決まった事や指示された事を、他のメンバーに伝えなければならない。
​決まった事や指示された事を、正しく伝えるためには、指示された事や自分の考えを、外へ出し、他の人にも見えるようにする。

他の人に、自分の考えや指示された事を、伝えるためには、自分の考えや指示された事が、相手に、わかるようにしなければならない。
その前に、自分が、わかるようにしなければならない。
わかる様にするためには、見えるようにしなければならない。

その為には、自分が受け取った情報や、指示、結果を、自分の頭の中から出力しなければならない。
つまり、頭の外に出す。発信する。
無論その前に、情報や指示、結果を正しく認知しなければならない。

仕事の基本はインプット、アウトプット、つまり、IN、OUT。入力、出力。入金、出金。
この繰り返しだと思えばいい。

そして、情報や指示、結果、考えを見える化する。
相手に情報を正しく認知させる為には、情報を見えるようにする、つまり書く事である。
情報を相手に見えるようにする。相手は、自分も含まれる。
頭の中に、情報を留めていた、自分も含め情報を見る事が出来ない。
だから書く。書く事で、客観的に見えるようになる。

口で言っているだけでは駄目。
口頭でいてっも、目に見えない、消えてしまう。
しかも記憶には限界があり、記録も残らない。
記録もできないから痕跡が残らず、追跡できない。
加工もできない。操作もできない。整理もできない。
だから、書きだす。

入力しただけでは情報にはならない。まず、見えるようにする。それが出力。
出力の基本はかきだす事。

見えるようにすると言うのはかきだす事を意味する。
簡単な事である。
書く。一行でも、二行でも。単語でもいい。
書き出す。

先ず情方法を認知する。つまり、指示や、結果、状況を正しく理解する。
これを認知という。

認知した事を次に表現して伝達する。これが基本。

これが、見習う事である。

簡単な事であり、当然な事だが、いくら教えても、やらない。
やらない者は意地でもやらない。チョット欠陥があるのかと思うほどやらない。
書けと言っても書かない。
伝えろと言っても伝えない。

仕事のできない者は、言われた事をやらない。
言われたこと以外の事を言う。
それで結果が出ないから一人で悩んだり他人の性にする。
でも、書くとか、聞くとか、伝えるとか、読むと言った基本的動作の問題だからやらない限り身につかない。
やらない限りわからない。

伝えたかと聞くと。
考えてみますとか。
やってみますとか。
聞いて見ますとか。
確認しますとか。
伝えあたかどうか以外の事だらだらという。

再度、伝えたかと聞くと。
これから伝えますとか。
今から伝えるところで舌とか。
伝えなけばいけないと、思ってましたとか。
明日、伝えますとか。メールしましたとか。
議事録をつけさせていますとか。
今度は、言い訳を始める。

聞かれた事だけに応えろと叱られた。
できない理由は、書くとか、伝えるるとか子供でもできる事をやらないから。
ボールを投げなければ、野球は覚えられない。
野球ができないのは、なんだかんだ言ってボールを投げないから。
だから、馬鹿にされる。

聞いて、書いて、伝える。
簡単な事だ。
でも何度言ってもやらない。
実務の基本だと言っているのにやらない。

聞かずに、書かないで、伝えない。
聞いたつもり、書いたつもり、伝えあたつもりになって、やっていない。
やっていないから、誤魔化す。

結論は、どうすることなったと聞いても。
打ち合わせますとか。
議事録が明日できますとか。
後で、報告しますとか。
検討中ですとか。

要するに聞いていない。

書いた,見せてと聞いても。
議事録をつけてますとか。
計画を立てますとか。
整理してますとか。

伝えたと聞くと。
明日打合せする事になってますとか。
伝えていると思いなすとか。
確認しますとか。

議事録が明日できます。

書くだけでは駄目。
書いた後に、書いたものを見直し、そこから仕事にしていく。
仕事の段取り組み立てをするために書く。
それがわかっている人は、後先を考えて書く。
だから、議事録を待ってなんて言わない。

書いたもの見る。そこから頭を使う。知恵を出す。
その為に書く。

議事録は議事録、自分がメンバーに伝えなければならない事は別。
自分達の役割、やらなければならない事は、リーダーが責任を持って結論を出さなければバラない事。

皆、簡単で、当たり前だと言う。
しかし、やらない。

逆らっている意識も、反対しているわけでもない。
そのうち忘れるさ。まだ時間があると、甘くみてやらない。
期日直前になってから合わっててやる。
当たり前に、忘れている。確認もとれない。
だから、記憶をたどって独善的になる。
挙句、誰未自分お意見を聞いてくれないと言い出す。
これでは、チームワークなんて最初から成り立たない。

何を聞いて、書いて、伝えるのか。

今回、打ち合わせる事は、次回の事。
今回、打ち合わせるのは、今回の事ではないし、今回、今回の事、打ち合わせても結論は出ない。
今回、今回の事を問題にしているとしたら、それは、前回の話を蒸し返ししているだけ。
話は、元に戻ってしまう。

次回の事を想定して今回の準備をすれば、ある程度、事前に読める。
今回の事を問題にしたら次回の事は、見当がつかなくなる。
点で考えては駄目という理由がそこにある。

聞いて、書いて、伝える。
簡単な事さ。
だから簡単にできるようになっていないと、深刻な事態を引き起こす。

子供でもできる事をやっていないと、最終的にいい訳が出来なくなる。
一番基本的で、これをやっておかないと仕事が始まらないから。