常識のある人は、いつも反省している。つまり、自分に懐疑的である。
常識のない人間は、反省をしない。つまり、独善的である。
傍から見ると独善的な者の方が確信を持っているように見える。

実際に仕事ができる人は寡黙で、仕事ができない人にかぎって多弁である。
実力は、実際に、仕事をやらせてみないとわからないが、仕事が、始まったら、確実に仕事をこなしてもらわないと困る。
仕事を請け負っていながら、期日が迫ってきているのに、できないでは、無責任すぎる。
計算が立たなくなる。全体計画に狂いが生じる。
気まぐれな人が一番厄介なのである。
当てにできない人を当てにするわけにはいかない。
その辺はクール(冷静、非情、客観的)に、割り切る必要がある。
できなかったでは済まないのである。
一人の遅れは、全体の作業の歪みや綻びになる。
一人の我儘や独善の影響は、全体に及ぶ。
できないなら、できないと、早くいってもらわないと困る。
できもしないのに、いつまでも、我を張って、土壇場で投げ出されるのが、一番、迷惑なのである。

皆が作業の進捗具合を見て、自分の仕事を調整できるようにしておく必要がある。
一目見て仕事の全体像が、皆がわかるようにしておくことが肝心である。一目瞭然にしておく。
そこで威力を発揮するのが工程表である。モニターである。

どうやって場を設定するかだよね。
全体の集まり場を想定して、そこから、小さな部分に枝分かれさせていく。
工程や、段階が頭の中にないと段取りを組むのは難しい。

頭の中で、何度も、何度も、情景を思い浮かべ、図を描いて、いろいろな変化を想定する。
そうすると構想がこなれて。練れていく。

基本的は、始めは、足下から固めていくのが原則。
手足となるグループ。頭脳集団、目や耳となるグループを必要に応じて固めていく。
非公式レベルで情報を収集できる者。裏を取れる者で足下を固めていく。
この段階では、何でも相談できる者、自分の考えに精通している者、忠実な者で固める。
最初に遠慮や隠し事があると、始めから禍根を残す事になる。
最初は純粋に自分の考えを反映できるもので固めておく。
それが仕事のコア(中核)となる。

何事も最初が肝心。
何事も指示された直後、結論が出た直後が肝心。
指示された直後、結論が出た直後に、整理し、仕事に落とさないと、仕事はいつまでたっても始まらないで、逃げ水のように逃げていく。

初期設定と言われてもね。まだ漠然としているかもしれないな。
言葉では表しきれない部分がある。
情景や場面を想定する事かな。

冒頭にあるのは、論理ではない。
情景である。
仕事を思い浮かべるのである。
だから、想像力がなければ仕事は始められない。
動画やゲームの発想がものを言うのである。

例えば、会議室を頭に描いてみるとか。
そして、出席者を仮想した会議室に配置してみる。
この様な仮想をすると、意外とね。
それぞれの役割や位置づけが見えてくる。
現実に頭上でやってもいいし、コンピューター上に想定する事も可能である。
兎に角イメージね。イメージを作る。
言葉で、筋張ってね、表現しようとすると無理がある。

それから、共同で作業するのなら、皆が見えるようにするのがコツだよね。
皆が一つの画像を見て、共有して、一種に操作していく。実際に、動かしていく。
軍隊だって図上演習って、どの国でもやるだろ。

イベントとか、仕事の割り振りをする事で相手の反応や能力、適性を見る。
頼みやすい人とか、素直に従う人ばかりを頼ると全体の仕事に偏りが生じる。
仕事の頼みやすい人や素直な人、できる人は、計算ができるから、後回しでいいけど、頼みにくい人や素直にしたか世話ない人、能力が未知数の人は、やらせてみないとどれくらいできるか、わからないから、なるべく早い時期に仕事をやらせてみて、実力を測っておく必要がある。実際のところは、やらせてみないとわからないというのが本音。
一人で抱え込むタイプには、なるべく、一人で仕事をさせないように仕組む必要がある。

模造紙とか、白板とか、モニターとかに絵をかいてみる。
実際に会場の見取り図とか、インターネット上なら、仮想空間ね。
仮想の会場を先に描くて計画の全体像が見えてくる。
この辺はね。若い人にはかなわないね。

仕事のできない奴は、いつまでも、頭の中でこねくり回している。
それも理屈ばかりで情景が浮かんでこない。

仕事の段取り、手順は、形で覚える。
形で教える。
なのに、やれ形式だの、形は意味がないとか言って
形式を頭から否定した。否定された。
これって何かある。悪意が隠されている。
何の意味がある。
挙句に、堅苦しいとか、面倒臭いとか言って。
兎に角、生理的に受け付け体質してしまった。
だから、仕事の段取りが組み立てられない。
覚えられない。学べない。

組織には縦軸と横軸があり、縦軸と横軸を編み込むようにして組織をくみ上げていく。

まず、機関決定が下されたら、トップは、統括責任者を指名し、機関承認を得て、権限を委譲する。統括責任者は、担当責任者を指名し、トップの承認を得る。担当責任者は、統括責任者と相談して担当者を指名し、統括責任者の承認を得たら、辞令を伝達する。統括責任者や担当責任者、担当者を定める事で、中心線、主柱を立てる。
担当者は、提案、担当責任者は決定、統括責任者は、承認の働きを作業を通じて形にする。統括は水平的な統括、束ねを任務とし、担当責任者は、垂直的調整を担当する。

実際は、統括責任者は、担当責任者を決める。
担当責任者を中心に据える。
責任者は、承認者の話を聞いたうえ、担当者に承認者の話を伝える。
それを担当者に整理させて文書にする。
その文書を承認者に見せる。
問題がなければ、その文書を、指示に置き換えて担当者に指示する。
これを繰り返して筋を通す。
縦線ができたら責任者を要にして横線を通す。

統括責任者は、関係部門の責任者を集め。
担当責任者と相談のうえ、関係部門との役割分断を決めていく。
関係部門の責任は、統括責任者の指示に従って担当者を決める。
関係部門の責任者と担当者が補助的な縦軸を作る。
統括は、中心軸と補助軸の優先順位を定め、全体の進捗状況を制御(コントロール)する。

関係部門の担当者が定まったら、担当者間の連絡回路を設定する。主として担当者会議、あるいは、連絡会議を設置する。

これらの体制が出来上がったら、担当責任者は、速やかに担当者に指示して、基本計画(メインプラン)の作成に着手する。基本計画に沿って関係部門はサブ計画(サブプラン)を作成に着手する。

組織的決定というのは、どの筋の話を重視するかが、肝心で、それがウェートの問題なのである。
つまり、誰の意見を優先するか。
これは実際、ものすごく生々しい話で、裏側にあるのは権力闘争なのである。
それが組織の話がきれいごとでない証左なのである。
実質的な権力構造は、優先順位によって画定する。

意思決定は手順にされていく。
担当者は、自分の判断では決められなくなると上位の者に確認をする。
上位の者は、原則、担当者の考えを尊重し、承認する。
自分が判断できない時は、関係者を集め、あるいは、更に上位の者の判断を仰ぐ。
組織決定とは、細かい決定の集積、集合であり。
個々の決断が、手順よく体系だって、連続的、連鎖的にされていく。
それが、組織的意思決定の体系である。
作業と作業の前後関係、人と人の関係や動きの順序を、間違わないように、配置し。
絶えず、作業を組み替えていく。
また、並行作業のバランスや人と人との連携などの調整が肝となる。
だから、全体像を常に、一目で見れるようにしておく。

これが基本線であるが、前提条件によって初期設定は違ってくる。
故に、トップを補佐する者は、前提条件を整理し、トップの決断を補佐する。
即ち、トップの決断を促すように、問題点を整理し。
その段階で判断すべき事を明確にして提示する。

トップを補佐する人にある者が、トップを迷わしたり、困らせたり、批判したり、負担になってどうするの。