企業内教育を、今の教育界は、一切認めようとしない。
しかし、教育の技術が最も、進化しているのは、実際は、企業内教育である。
なぜなら、企業は、全人格的な教育をしなければならない。
しなければならない状況に追い詰められている。

学校は、在学中だけ面倒を見ればいい。
学校を卒業してしまえば、無縁になる。
昔は、恩師として生涯、尊敬し、慕われる先生もいたが、今は、教育者自体がその関係を否定している。
恩師という言葉さえ死語である。
場合によっては、封建思想、軍国思想と糺される。
だから、卒業式から、「仰げば尊し」も「蛍の光」も消えていった。

立派な社会人を育てているのなら、伝統的教育を否定してもいい。
しかし、社会に適合できない、一人前の社会人として自立できない若者を、大量に出している現実を、どう受け止めるべきなのか。

学校は、社会人になる前の事に責任をもてばいい。
社会に出た後のことまで責任を持てないと考えているのかもしれない。
だから、現実を見ようとしてない。
学校の先生は、世間知らずでいいと。
世間の常識などどうでもいいと。
教育は思想で、教育現場は、現世とはかかわりない。
戦時中に国策を実現するための手段とされた。
だから、教育は、反体制的でなければならない。
学問というのは、非日常的な事、非現実的な事でいいと。
しかし、企業は、職場である。
家庭や、学校が放棄した、社会人としての躾けや、常識、礼節、生きていくための処世術を身につけさせなければ、成り立たない。
学校では、学問とは、役に立たないものだと平然と宣う。
十年以上、英語を教育しても、片言の会話すらままならぬ。
コンビニに行けば正規の日本語教育を受けていない外人でも、流暢に日本語を操るというのにである。
それが、学校教育の実体である。
ならば、何の為に教育をするのか。
子供たちは、そんな嘘に騙されはしない。
人生で一番大切な時期に、役に立たない事を教育し続ければ、まともな大人がいなくなるのは、必然である。

企業は、そうはいかない。
企業は、役に立たない事を教えるほど暇はない。
だから、生きていく為に必要な事、単に技術だけでなく。
価値観や、モラルや、意欲、考え方まで含めて躾けていかなければならない。
それこそ、精神の保ちかたまで。
それが、反体制勢力には気に食わないらしい。

だから、教育界では、企業内教育を取り入れるなんて持てのほかだという事になる。
なぜなら、企業内教育は、役に立つことしか教えないからである。

学校教育しか教育として認めないとしても、せめて、企業内教育は、処世術だから、くだらないとか。
商業主義だとか。
教育ではないとか。学問に値しないとか。
馬鹿にしたり、侮蔑したり。
封建的とか、専横だとか。
表面だけ合わせればいいとか。
従う必要はないとか。
余計な事を吹き込まないでほしい。
かつての反マル生闘争みたいな。
企業内教育は、無駄ではないのだから。