なぜ、報告をするのか。

仕事は、一人ではできないから。

なぜ報告するのかの理由はいろいろある。

指示されたり、注文を受けた時に、なぜ、速やかに報告するのか?
第一に、相手の言っている事が、わからない。理解できない。
大体、一回、聞いただけで理解できるようになるには、ある程度経験が必要。
相手の言っている事が理解できないと言っても、多くの、指示や、注文は、口頭でされる。
口頭で言われた事は、目に見えない。
目に見えないから、確認も、修正もできない。
だから、紙に書いてみる。
紙に書いて、次に、報告書にまとめて整理する。
だから、報告は自分の為にする。

相手の言っている事がわからないからと言って、その場で聴き返すのは、結構、難しいし、しんどい。
一度、報告書にして、上司の意見を聞く。
場合によっては人を代えて確認してもらう。だから、報告をしないと。

わからない事をわからないままにしない。
兎に角、報告をしたうえで確認する。

第二に、覚えきれない。

私なんて、未だに、完璧にはできない。
四つ以上言われた、紙にメモつけないと忘れる。メモにつけている傍から忘れていく。
覚えきれないけど、聞き返すのも難しい。
なぜなら、相手も覚えているとは限らないから。
聴き返すと藪蛇になる危険性がある。

第三に、総てのを、漏れなく、抜けなく、重複なく、すべて、要件を聞き取る頃が難しい。
聞き逃す、聞き漏らす事。聞き損じた事があったも、その場で、気がつくのは難しく。
自分一人でチェックするのも難しい。

第四に、補足的な事がその場で、なかなか、思いつかない。
補足的な事は、一旦報告した上で、ある程度、整理、段取りできたところで出てくる。
報告して、仕事の段取りをつけた上で、再度、相手に確認する。

第五に、面と向かって聴き返すのが難しい。
基本的に、その場で、聞き返すのは難しい。
一つは、相手の間違いや欠点を指摘していると誤解されたり。
反論、反抗していると思われたり。
やる気を疑られたり。
面倒くさがられたり。
同じように繰り返せなかったり。
言った事を覚えていなかったりする。

そんな具合で一度ぐらいは、許されても。二度、三度となると怒り出す危険性が高い。

直属の上司やお客というのは公式的の事、正式な事、原則的な事しか言えない。
例外的の事や、非公式の事は、言えない。
例えば、目標を達成せよといても、目標を達成できない時はどうしたらいいかは教えてくれない。
ミスしたら誰に来たらいいか、までは教えてくれない。

第六に、指示されたり、注文された事が、その場では、整理できない。
理路整然と指示されるわけではなく。
最初出される指示は、曖昧なところや矛盾、欠けたところがあって、必要な要件を満たしていない事が多い。また、内容が、時系列に整理されたいるわけではなく。
アプローチ段階の事も、クロージングン段階の事もごちゃまぜ。混沌としている。
やるべきことを順番に時系列に整理しておく必要がある。
報告書を書く段階で、内容を整理し、確認しないと、いざ、着手しようとした途端、どうしたらいいか、わからなくなる。
指示されたり、注文を受けた直後に確認しておかないと、確認できなくなる。
報告書を書くことで仕事の仕様を作るのである。

第七に、保険をかける。
指示した人は指示した事を忘れる。
報告した事で、証人になってもらう。
指示命令、注文はその場で復唱確認して相手にも覚えてもらう。
私は、若い頃なんて帰社したら、すぐ、報告をしたものさ。
報告しておけば、少なくとも、聞いていないとは言えない。

報告は、後々、トラブルが生じた時の為の備えである。
トラブルが生じてから、報告を怠っている事に気がついても手遅れである。

第八に、後、信用ね。
報告を、必ずしていると信用がつく。
報告和忘れても、あいつなら、間違いないだろうと信用してくれる。

第九に、報告は、次の仕事の第一歩だから。
報告は、一旦、報告書にしてから仕事にする。
報告をする事で、次の仕事の段取りをつけ、上司の承認を得て、次の仕事に着手する。
逆に言うと、報告をする時以外、次の仕事に結びつける事が難しい。
というより、報告する時を逃すと、次に、仕事に着手する事が出来ない。
自分で、報告書を作らないと自分で仕事を組み立てらなくなる。
結果、やったことは無駄になり。自分の仕事に責任が持てなくなる。
だから、報告書を誰が書くか、誰に書かせるかが重要になる。
安易に、報告書を書かせてはいけない。
誰が報告するのか、誰に報告させるのか、最後にきちんと詰めておく必要がある。

第十に、報告書によって結果、結論を記録し、何かあった時に仕事に復元力を持たせておく。
報告書では日付や場所、人と言った、基本情報が後になってから、物を言う事が結構ある。
特に、日付は、時系列に沿って、仕事を追跡する際の基準になる。

報告する事で仕事を関連付ける。
今の人は、この関連付けが下手。
下手というよりできない。
仕事と仕事。人と人。仕事と人どう関連付けるか。
それを、報告をする過程で実施する。

今の人達の、欠点は、一つひとつの作業が、ここバラバラで関連付けられていない。
訪問は、訪問。打ち合わせは、打ち合わせ。報告は報告という具合に。
その為に個々の作業が、思い付きになり、効用が発揮できずに終わる。
その為に、人や作業の結びつきが失われ、仕事の一貫性が保たれていない例や。
最後まで貫徹できないで、とん挫する例が多い。

個々の作業を結び付ける様に報告をして仕事の筋道をつける。
その事で、仕事が取り留めなくなるのを防ぐ。

会議の直後に誰に報告するか、打ち合わせるかは、予め、考えて決めておけ。
三手先まで読んでおけ。
次を常に考え。次につなげるように、つなげるように報告をする。

頭(着手段階)なのか、尻尾(最終段階)なのかだ、方向の内容、仕方が違ってくる事も忘れてはならない。

先ず口頭にて報告の上、次に、いつ、文書にて正式な報告をするかを決める。
報告は、いつ誰から、誰に、どのように報告するかを決める。

特に報告先ね。報告先は一つとは限らないからね。
報告書も、一つとは限らない。
各々、自分の仕事や役割に応じて何種類か作成する。
基本となる報告書は、それぞれが作成の上、当事者間で照合確認の上、報告先に応じて一本化するかどうかを決める。
まあ、相手に聞く必要もあるけどね。

報告書の作成は、次の仕事のファーストステップ、第一歩だからね。
当事者が、自分で、次何をするのかを決めて、頭の中を整理し上司の承認を得るために報告をする。
それが原則。報告を他人任せにしたら、次の仕事のスタートが切れない。

報告したら、受けたら、さあどうするかだよね。

口頭にて報告。次に、文書にて報告。
その上で、仕事の段取りをして、確認を取り、指示する。

最初から、報告の仕方が決まっていたわけではない。
注文の仕方を例にとれば。
最初は、記憶に頼っていた。
それでは経験の浅い者では、ミスが多い。
それで、メモを取るようにした。
メモを取ると今度は、記載ミスがでる。
どのお客様の注文かもわからない。
それで、伝票を書くことにしたけど、今度は、メニュを覚えきれない。
そこで、注文票にした。
今は、端末機。
この様な進化を通して今日、形に至った。
一朝一夕で今日の形が完成されたわけではなく。
その時代その時代に考案や工夫があったのである。
しかし、今の人は、今の形しか見ていないで、それが当たり前な事と受け止める。
報告も同じ。
今の人は、今の報告の形しか見ていない。
だから、なぜ報告をするのかがわからない。

報告というのは、報告する側より、受ける側の方がしんどい。
それで、ついつい。声が大きくなったり、荒げたりするが。
これは、よくよく注意する必要がある。
なぜなら、報告する側は、自分の考えが、まとまらない、わからない、一人ではできない、失敗した、トラブっている事を報告してくるのであるし。
報告を受ける側の役割は、もともと、揉め事を処理する事にあるのだから。
聞いた瞬間、わけがわからない、頭にくるような事が多い。
非常時、緊急時なんて報告者が動転している事がほとんど。
先ず、相手を落ち着かせることが先決。

報告をした時に、怒鳴られたり、叱られると、報告するのを恐れるようになる。
中には、トラウマのようになって報告する時、怯えたり、かたくなって、声が出なくなるものまでいる。
昔の管理職の中には、鬼軍曹みたいな人がいて。
いきなり喚いたり、怒鳴ったり、虫の居所が悪いと灰皿が飛んできた。
今でも、それを昔語り、自慢話をする人いるけど。
今の子は叱られ慣れしていないうえ、怒鳴られた経験もないから、精神的に追い詰められる。
まあ、だからと言って、猫なで声を出す事ないけど。
報告を辛抱強く、根気強く聞く事は大事。
最初は、なにもわからない、どうしていいのかわからずに報告してくるのだからね。
子供の話を聞くように、もつれた糸をほどくように報告を聞くように心がける。
だから、報告書を書かせるもである。

なぜ、報告をするのかって。
人は一人では生きられないからさ。
一人では、仕事ができないからさ。