資料を作るのは、資料を作ること自体に目的があるわけではない。
資料を作る目的は、資料を作る過程で仕事を考える事にある。
資料を誰に作らせる過程で、仕事を考えたり、段取りを組み立てる事が重要。
資料の基づいって何をすべきかを決める事が目的。

だから、可能な限り、資料はチームで作る。
一人では作らない。
資料を作るだけならパソコンを使えば、一人で作ったほうが、いい資料が作れるかもしれないが。
それではチームは編成できない。

例えば、制服が必要だという事は、わかる。納得した。
でも、どのような制服にしたらいいのかが決まらない。
だから資料を作る。
どんなデザインがいいのか。
何色にしたらいいのか。
一種類でいいのか。
予算はいくらで。
どのようなところで、誰が、使うのか。
どこに発注したりいいのか。
最終的に誰が決めるのか。
実は、そこが問題で、それを決めるために資料を作る。
資料を作る目的を達成する為には、制服をどのように、誰が決めて、誰が発注し、誰が出金し、どのように配布して、いつから、制服を着用するかのプロセスが頭に入っていなければならず。
それぞれの担当する部分によって作成する資料も違てくる。
だから、自分が、どの部分を担当するかが、わかっていないと、自分が作成する資料もわからない。

基本的に資料は仕事を担当する者に作らせる。
担当する者に作らせるから、仕事に置き換える事が出来る。
資料の作成を指示されたら自分が何を担当しているかを考えべきなのである。
変な思惑や、自分の仕事とかかわりのないところで考えても、的を射いた資料はできない。
自分たちがこれから何をしようとしているのか。

資料を作りながら、役割を分担しチームを編成していく。

自分たちの考えや、やるべきことを整理し、仕事に結びつけるために、資料は、作られるのだという事を忘れてはならない。
自分の言い訳や、弁明のための資料は意味をなさない。
自分を卑しめるだけ。
資料は、資料を作成する者にとって、一番、役に立つ。
品性も表される。
他人のために作った資料は、それだけで目的を見失っている。

自分が実際に仕事をする時に、役に立たなかったり、不利になる。
邪魔になったり、できもしなかったりする資料を作成するのは、自業自得である。
かといって嘘や、誤魔化しがあるのは、自分に対する背信である。
資料を作成しながら、自分の仕事の構想を練る。
誰と何をするのか。
知っておいてほし事。
前提は何か。
仕事の構想や、計画を現実の仕事に結ぶつけていくのが、資料であり、報告。
いい加減な資料や報告をすれば、それだけでいい加減な仕事になる。
それを忘れない事だね。