人間の本性を考えてみる。
価値観とか生きがいとかを言うのではなくて。
つまり、殺すなかれとか。盗むなかれとか。
また人徳、人格と言った、主観的で曖昧模糊としたことでなく。
人間存在の根本的在り様から。

人間は生き物だという。
物を食べ、排泄をし、寝ないと生きられない。
人間の力には限りがある。
生病老死。全知全能。万能ではない。
人間は組織的動物。
人間には、性別がある。
人間の能力には、差がある。
人生には、過程がある。

人間は、理性で判断し、感情で決断し、欲望で動く。
個人は、行動規範、道徳によって自制し、社会は、法や制度によって制御される。
国や個人は統制、一体化されなければならない。
人格は、一つ。法や予算は一つ。

不確実とは何かと考えるなら、逆に、確実とな何か、確実に起こる事とはなにか。
不確実な事ばかり考えていても、なぜ、不確実なのか、その原因を明らかにするのは難しい。
不確実な事は、対極に確実な事があるからで。

例えば、死は確実な事の一つである。
生きていく事には、不確実性が伴うが、死は、確実に訪れる。
要するに、生病老死の内で、老と死は。確実に訪れるのに対し、生と病は、移ろい易く、不確か。

予測のつかない事ばかり扱っていると予測の難し事ばかりだと思い込みがちである。
しかし、世の中は、比較的、予測のつくことの方が多いものである。

予測ができないというが、電車が目的地に着く時間は、かなり正確に予測することができる。
いつ、日が昇り、いつ日が沈むのかも、かなり正確に予測できる。
天気はどうか。天気予報は、難しい。
しかし、精度は年々高まっている。
一番予測が難しいのは経済の動きである。
何故、予測が難しいのか、それは、不確かな事が多いからである。
市場に働く力や関係、市場構造がわかりにくい。

なぜ、経済が不確実か。それは、経済的事象の主役が、人間だから。
人間だから不確実なのだ。
物理学的な事象は、一定の法則がある。
しかし、人工的な世界はいわゆる物理的な法則が成り立ちにくい。
それは、人間には、意志があり、感情があるからである。
一定、一律の反応をするわけではない。
ただ、それでも、よくよく観察すれば、予測ができる事もかなりある。

何が、確かで、何が不確かなのか。
何が確実で、何が不確実なのか。
何が一定していて、何が変化してるのか。
何が何に対して、一定で、何に対して変化しているのか。
予測は、目に見えない働き、力、関係を明らかにすることだ。

何と何が連動しているか、それは、個々の要素の関係から読み取れる。
例えば、投資キャッシュフローは、資金調達の担保との関係が強い。
そうすると、資産価値(地価や株価)の動向と将来の収益と連動していることが予測できる。

ジャスミン革命の時も感じた事ですが、日本人には、国民国家や民主主義、自由主義に進化論的錯覚があると思います。
専制君主や独裁者を倒せば民主主義が実現するわけではない。
フランス革命がナポレオンをロシア革命がスターリンを生んだ様に、むしろ、より強固な独裁や専制を生むことが多い。
日本人は、民主主義も自由も天から与えられるものだと思い込んでいる。
これから世界は、長い混迷の時代に入ると思われます。
科学は産業を発展させましたが、同時に破滅的兵器も生み出したのです。
神の力を手に入れても、神になれるわけではない。
神を恐れなくなれば、手に入れた神の力によって滅ぼされるのです。

人は一人では生きていけないのです。
いくら優秀な投手でも捕手がいなければきゃちボール一つできない。
外野に飛んだボールを投手が捕球するわけにはいかない。
己の限界を認めず、あるいは、隠してともに助け合って生きる事を覚えなければ、自滅するのです。

人は、幸せな時、神を侮り。
不幸になると神を罵る。しかし、神は、神だ。

神を、必要としているのは、人間であり、
神は、人間を必要としていない。

人は、神にはなれない。
神を否定する者は、自らを神にする。