自分一人では何もできない。
助け合わないと生きていけない。
助け合って生きていくためには、自分も何らかの貢献、役に立たなければならない。
少なくとも、自分の事は、自分で決める。
自分は自分の力で生きていく。

これが、組織、社会の中で生きていくためには必須の事。
しかしこの鉄則が失われつつある。
何の貢献もしないで、他人に依存して生きていこうとする。
しかし、そのような人間は、社会、組織にとって害をなす。
必然的に組織、社会は、そのような人間を排除しようとする。
そうしないと、組織、社会は、内部から瓦解してしまうからである。

さて、組織は、トップ層、中間層、下層の三階層からなる。
トップ層は、組織を操縦し、中間層は、組織は制御し、下層は、組織の力、働きを発揮している。
会社で言えば、トップが、会社の目的や方向性を示し。
部長層が、各部門の働きを調整し。
課長層が、仕事、作業を分担、制御し。
担当者が、実際の仕事を受け持って実施する。
基本的に、担当者に求められるのが指示された事を忠実に実施する事。
課長層に求められるのは仕事を割り振り、進捗を管理する事。
部長に求められるのは、部門間の調整と全体の統制。
トップに求められるのは、経営方針や、目標を指し示す事。

かつてはこれを順繰りに経験させ、組織の運用を継承してきた。
今日このサイクルが破綻し、組織の運用術が継承されなくなった。

その結果、担当者が、そのまま、中間層、トップ層にまで浸透してきた。
つまり、組織が、単なる、担当者の集まりになってしまい、組織が制御不能な状態に堕ちりつつある。
つまり何も決められないで、組織が惰性で動いている状態になりつつある。
担当者は、自分では何も決められない。
指示された事を言われたようにしかできない。
指示された事、予め決められたこと以外、やる事が許されない。
逆に言えば、予期せぬ不測の事、未知な事、新奇な事には無力である。

このままでは、会社も、国も破滅してしまう。
自分達の生活、財産命は自分で守る。
その覚悟をする必要がある。

そうしないと、羅針盤も、舵もなく、嵐の海に突っ込むような事。

数字をただ書き込むだけなら、三か月も前にできる。
それを直後に切羽詰まって書きこむのは、仕事の着手の仕方がわからない。
仕事の着手は、基本的に、作業動作としてあらwす。
つまり、部下を集めて瑕疵宣言をするだけ。
他愛のない事だから、わからない者は、その重要性に気がつかない。
プレーボールの宣言を主審がしなければ、正式に試合は、始まらない。
正式に試合をしたことのない者はその事に気がつかず。
人の性にする。
ピチャーがボールを投げないからとか。
監督が指示しないからと。
原因は、きわめて、単純明快、子供でも分かる。
子供でも分かる事だから、教わる事も、認める事もできない。
それで、何度も同じ過ちを繰り返す。

牧之原の事故だって。
何もなければ、何でもない事。
平穏無事。
杞憂とかたづけられてしまう。
起こった事は、悲惨。
その原因をたどると、子供だってわかる、単純なミス。

気位だけで仕事はできない。
素直に自分の限界を認め、助け合う事を学ばないと生き残る事はできない。
親父は、生きるために必要なら、相手が親の仇だとしても、頭を下げて学ぶと。
お前たちには、その親父たちの壮絶な覚悟がわからない。
鬼畜米英と戦った相手から学んで戦後の繁栄を築いた。
我々にその覚悟があるか。

泣いてる暇があったら働け。
弱音を吐くくらいなら、戦え。
這いつくばったって、前へすすめ。
そうしなければ生きられないのなら、やるっきゃないじゃないかってさ。
悩んだって、迷ったて同じさと。

お前はすごい奴だ、度胸もあるし、信頼もできる。
俺が、認めるよ。信頼もする。
けど、俺は、人を見る目がないんだよと言ったらどう思う。
プロは、傲慢なほど自信を持たないとね。
その自信があって謙虚にもなれる。
人を見る目があると自信があるから、人の意見も聞ける。
最後は自分で決める自信があるから。
自信がなければ、聞くなと言われたものさ。
俺は人見る目があるんだ。
そう言い切らないと。
裏切られても、裏切られてもね。
俺は、人見る目があると、言い切らないとね。
真剣に、命がけで、そうしないと、俺を信じてついてくるものを裏切る事になる。

マネージャーに仕事は、全体の統制や制御で、ブレやズレを修正する事にある。
つまり、誤差が問題となる。
この点を勘違いしない。
仕事には、前後、上下、左右がある。
前後とは、現時点を中心にして前と後。
上下とは、組織上の上下関係。
左右というのは、関係部署。
前後、左右、上下のブレを最小限に抑えるのが、マネージャの仕事で。
その基本が予実績管理。
つまり、予定や予算、基準と実際との誤差を修正する。
そのために予算を予め設定する。

自分の目の前で人が死ぬ。
それも、その瞬間まで共に語らいあった、戦友や仲間が。

でもね、親父たちは、話さなかった。
話してもわからないし。
話してもしかたない。
大切なのは、腹を括れるか。
覚悟をできるか。
親父たちは自分の人生、生きるか死ぬかの問題。
生活がかかっている。
それが、親父がわかっていた。

いつまで、あまたれているのか。
やるときにはやらないと。
一戦も交えず白旗を振るような人生は送りたくない。
一度も勝負をせずに終わりたくもない。
座して死を待つくらいなら、進んで道を斬り拓く。

それがどれくらい壮絶なのかわかってないんだよ。
そうしなければ生きられないと思ったら、誰だってやるさ。
やらないのは、そう思っていない証拠だよ。
甘ったれているんだよ。
牧之原の園長を責めるのは簡単だよ。
でもその結果、子供が死んで、働いている者は路頭に迷い。
地域から、幼稚園がなくなる。

あの園長は、なにか悪いことをしたのだろうか。
ウッカリ、確認するのを忘れただけ。
わざとやったわけでもなく。
故意でもなく。
でも、現実は、重罪なんだ。
本当に、悪い事。
でも、皆はどうだ。
おかしいと気がついても、何も言わないで、裏でこそこそ批判してないか。
面と向かって言う度胸もないくせに、結果が悪いと、他人性にする。
その為の伏線として裏で批判しているに過ぎない。

予算作っていっておかしいと感じない支店長は、それだけで失格だよ。
部下に説明が、できないから、自分一人で数字作っているんじゃない。
このままではだめだと思う、この予算は実現できないと思ったら言えよ。
それも予算を作る目的じゃない。
実情を皆に話して、皆、協力を求めるべきなんだよ。
助けてくれって。
強がったり、虚勢はったり、意地になったり、見栄はってどうすんの。
虚飾を棄てないと。
予算は現実なんだよ。

数字だけ見たってどこが悪いか、どこを改善すべきかなんて、わからないよ。
問題はプロセスにあるんだから。

どうやって、誰が、どのような考えで作った数字なのか。
誰の指導で作ったのか。
どんな方針で作ったのか。
そこを追求しないと。
指示を受けた直後、どのような行動をとったか。
それがわかれば、どこを間違ったのか、何を改善すればいいのか。
結果だけ見てもわからない。

正直言って、仕事なんてやっつけでもできないことはない。
ただ、やっつけ仕事を覚えたら御仕舞だけどね。
新しいことは何もできないし、変化にも対応できない。

指図した者は、目安が立たないと予定が組めないから、何の反応もないと、どうするんだと聞いてくる。
聞かれた側は、結論を聞かれたと錯覚すると答えられなくなる。
まごまごしているといつまでもどうするどうすると聞いてくる。
それで、お互いにイライラが募る。
下手をすると、意地になって、ぎりぎりまで着手しない。
我々は、先輩に、そういう時は足元を叩くんだよ。
相手は、そんなに簡単に結果や結論が出るなんて思ってやしないんだから。
三か月かかる仕事を明日までにやって恋なんて言うはずがないの。
馬鹿じゃないんだから。
結論じみたこと言ったら馬鹿にすんなと怒られるよ。
先ず、仕事に着手した事を相手に実務的に伝える。
要は、指示された事を確認する。
それでも聞いてきたら、担当を誰にするか決める。
更に追い打ちをかけてきたら、いつ、最初の打ち合わせを誰とするかを伝える。
たいがい、そうすると落ち着いてくる。
間違っても、できませんとか、黙り込まない事。
信用して任せてくれなくなるから。
逆切れなんて言ては駄目。
聞くには聞くなりの動機があるから。
仕事で応えれば相手は冷静になる。
それで、ある程度目処がついたら、速やかに報告して了承をとる。
昔の上司はせっかちだからね。
上司を安心させないと。
今でも、仕事のできる人は、反応や返しが早い。

集めるのと、グループ分けね。
責任者、マネージャは、先ず、人のことを考え、次に、仕事の事を考える。
リーダーは、仕事全体像を構想、掴んでいないと、段取りはできない。

自分達が行動を起こさなければ会社が潰れると思ったら、なりふり構わずやるさ。
自分だけは、逃げられる、責任がない、これまでも何とかなたんだから、そんな甘い考えがどこかにあるからさ。
言い訳して、逃げ回っているんだよ。
でも、結果出た時はさ、全員が責任を取らされる。
結果責任さ。その時は言い訳は聞かない。
うちの社長無能だからなんて言ってもはじまらない。
本当に気がついた者か行動を起こす。

義を見てせざるは勇なきなり。

気がついた時に、すぐに声を出す。
互いに、声をかけるのは大事な事だよね。
さっと行動に移す。
緊急時には、考える時間を与えてくれない。
それでいて、初動の遅れは致命的になる。
普段の心構え、覚悟が成否を決する。

逃げ道を断って戦いに臨んだものさ。
厭になったらやめればいいなんて中途半端な気持ちで生きていたら。
半端な人生しか送れない。
敵前逃亡する輩と手は組めるか。
最後は、志よ。

自分は、人間らしい生き方のできる職場にしたいと、志してきたんだ。

人間らしい生き方ってどんな生き方だろう。
少なくとも、自分の事は自分で決められるという事だよね。
自由な生き方という意味でも。

そういう意味では、ブラック企業のように、働き方を選べないというのは問題だよね。
過労死するまで働かされるなんて。
自分の肉体的限界を超えても、働かなければならない。
自分の意志で抑制することができない、それは、自由でもないし、人間らしい生き方でもない。

じゃあ、仕事は楽だけど、休みは多いけれど、何も責任を持ったされていない。
言われた事だけやっていいって言われても、それが、人間らしい、自分らしい生き方だと言えるだろうか。

やっぱり、責任をもって自分で自分で決まられなけらば、自分らしい生き方なんてできないよね。
年をとって自分の事が、何も、自分で決められないなんて。

今まで、どんな生き方をしてきたんだって。
哀しいほど哀れだよね。
自由が欲しいなんて言っても惨め、虚しいよな。
だって、自分で何も決められないんではね。

だから、若者は、自分で責任をもって決める機会を与えられたら。
率先して手を上げるよう心掛けないとね。
苦労は買ってでもしろって、親父達に言われ続けてきたからね。