日本人は、自分や自分の家族、友人の頭上に爆弾が落とされたり、銃弾が打ち込まれる事態を最初から想定していない。
その上での憲法であり、国防であり、平和である。

安易で楽観的な幻想に基づいて、自分たちの未来を決めていいのだろうか。
確かに、未来に絶望する事はない。
しかし、現実から目を背け、臭い物に蓋をして、バラ色の人生を描いたところで何になる。
人生を誤るだけである。
自分ができる事、できない事を直視し。
前向きに努力し続けるからこそ将来に期待する事が出来る。

親の財産や所得をあてにして、自分に都合の悪い事は世間の性にして。
自立自活する努力を怠れば、悲惨な末路が待っているのは必然的。
気位ばかり高くても、飯の種にはなりはしない。
惨めに老いさらばえて、孤独死するのが関の山。
いい加減、目を覚まさないと。

幻想は幻想。
戦争が現実なら、戦争という現実を受け入れない限り、戦争を克服できはしないのだから。
戦争は嫌だと目を背けても、戦争はなくならない。
現実を直視しない限り、現実から逃れる事はできない。
自分がなすべきことを知ることはできない。
自分たちがなすべきことをなさなければ、これまでのことが無に帰す。
この国のために犠牲となった一兵卒の志を無にすることは許されない。
そういう歳になったんだ。

もう、嘘をつくのはやめよう。
現実から目を背けるのはよそう。
ちっぽけで、些細な存在と言われても、自分にとってそれが全てというなら、潔く、認めよう。
その上で、限りなく広がるこの宇宙を受け入れるのだ。
ちっぽけで、些細のというだけで自分を蔑んでも、何も生まれはしないのだから。

国民一人ひとりが、自分がこの国を守ると言う気概を持つことが大切で。
自分一人ぐらいと安易な気持ちがこの国を堕落させる。
私が子供の頃は、海外に、旅行に行く時でさえもこの国を代表しているんだという気持ちで、相手国に侮られないようにと戒められた。
大体、国だけでなく、お前は江戸っ子なんだから、どこへ行っても江戸っ子の面汚しになるなと。
国が敗れたと言っても、胸を張って、正々堂々と、卑屈な態度はとるな。
自分を卑下するなと躾けられたものさ。

それは、国だけでなく、学校でも、会社でも同じで、どんな小さな会社でも誇りだけは失うな。
プライドを傷つけられたら、相手が、誰であろうと黙っているなと。
一寸の虫にも五分の魂。
それが心意気、意気地だと。

マスコミや今の学校は、正反対な事を教える。
戦争に、敗けたんだ。
相手国に迷惑をかけたんだ。謝れ謝れである。
そして、赤信号、みんなで渡れば怖くない。
旅の恥は掻き捨てと、テレビ局は、海外で下品で恥さらしなロケを平然に行い。
挙句、トルコで国技のレスリングの試合の最中に裸踊りをして国外滞京させられる始末。
それを、たかが芸人の戯言、目くじら立てるなと。

今の日本の国力がドンドン落ちて、いよいよ三等国の仲間入り直前だと言うのに反省の色もない。

現実の、この世界によって立てなければ。自分の存在だって仮想、空想、絵空事になる。
我々は、確かに生きている。
親がいて、絆があって、人と人の連鎖、関りがあって、自分はこの世に存在している。
それすら信じられなければ。

志だけが自分の魂を浄化できる。
私利私欲だけしかなければ、どこまで行っても、自分を浄化できない。
自分を浄化できるのは、自分を超えた何者かを受け入れ全てを捧げる事だ。
問題は、自分を超えた何者かの正体である。
その正体が紛い物だとしたら、自分の人生も紛い物になる。

志は、純なるものでなければ。
嘘、偽り、誤魔化しがあったら、自分の人生も嘘偽り、誤魔化しになってしまう。

このままではこの国は、本当に駄目になってしまう。
自分や自分の家族、友達の頭上に爆弾は絶対に爆弾は落ちてこないと思って平和だの危機を語っている。

だから、もう嘘をつくのはよそう。
虚飾を捨て、素の自分に立ち返ってこそ、本当の人生が歩める。
素の自分に誇りが持てるように生きよう。

二十そこそこの若造が、一時の感情で癇癪を起こし、辞めてやるというのを窘めて、自分が間に立って収めるのが、ベテランの役割だろう。
ベテランが癇癪を起こしてどうする。
若造と変わらないのでは情けないとは思わないか。

ならぬ堪忍するが堪忍というだろ。
誰かが、若者たちを、次の時代に導かなければ。
嵐が近づいているんだよ。
自分に勝て。

俺たちがやらなければ、誰がやるんだ。
だれが、この会社を、この国を守っていくんだ。
誰が、次の世代に引き継いていくんだ。
我々が、諦めたら、後が続かない。