なぜそんなことが許されるのかと、問うとしたら、人間ではなくて、神だろう。
確かに、この世は弱肉強食、生きるために他の生き物を犠牲にしなければならない仕組み。
しかし、だからこそ、生きるために必要なもの以上を殺してはならないのが自然の掟。
野生の生き物は、厳しく自制する。
ところが、人間だけは、自然の掟を破り残忍な殺戮を繰り返す。
自制心がない。
ローレンツ博士は、道具が、人間を残忍にしたと…。
動物は、縄張り争いをしても殺しあう事ところまではいかない。
自制心が働くようになっている。
狼や、トラ、ライオン、鷹ですら自制する。
猛獣、強い者ほど自制する。
なぜなら、彼らは自分の力を知っているから。
しかし、人間は、道具を持つことで、自制心が利かなくなったと。
つまり、武器や、兵器が、人間を残忍した。
素手で戦っている限り、相手を殺すまで戦うのはまれである。
それがスポーツ精神。
戦う相手にも敬意を示す。
しかし、武器を持つと人間は残忍になる。
子供でも、屈強な男を倒す事が出来る。
弱い者ほど残忍なる。
その行き着いたところが、生物化学兵器であり。核である。
道具は、人を幸せにもするし、残忍にもする。
その、根本は、人間の魂、本性である。
問うなら、神にではなく。人間に問え。

国だって、会社だって、人間同士、男と女だって一人の人を思い続けるのは愚かだとする社会には、本当の信頼関係なんて築けやしない。
なぜ、一途に思い続ける事を嘲笑う。
なぜ、一づに思い続けるからこそ。
命をかけて、守らなければならない事、守り続けなければならない事が見えてくる。

今日朝ドラで、一家の大黒柱の父親が、心臓麻痺で突然、死んだ話をしていた。
十歳を頭におさない子全員が、母親を支えて家計を守ろうとする。
でも、かつては、それが、当たり前で。
昔は、年季奉公が普通でサラリーマンなんていなかった。
要するに身売りですね。年季が開けたら自立するしかなかった。
働きに出ても家に仕送りをした。
今は、親から仕送りをしてもらい。結婚するまで生活費を見てもらうのが当たり前。

終身雇用と言ってもね。
会社の為に働くから、会社は面倒見てくれるので、働きもせずに、ただ、勤めているだけで面倒見てくれというのは、虫が良すぎる。
ケネディが問うたように、自分が国に、会社に何ができるかを問え。
国や会社のために働くからこそ、国や会社に必要とされる人間になれるのだ。
権利と義務は言いたい。責任と権限も一体。
自分は必要とされているかを問う前に、自分に何ができるかを問え。

今、仕事を覚えなければ致命的になる。
今までやってこれたんだから、これからもなんとかやっていけるでしょうなんて。
甘い考えは捨てることだ。

パスワードを忘れたら、仕事に着手するどころか、システムに入る事もできない。
最初に、入力するのは、基礎的なデータ。いつ、何処で、何を、誰が、どのようにするか。
基礎的な事を馬鹿にしているから、仕事に着手もできない。

生きるために働いているので。
生きるために学ぶのだ。

学校教育は目的が判然としてない。
それは、結果が、その後のことと結びついていない。つまり、役に立っていないからだわ。
それが日本人の目的に対する考え方をおかしくしている。
即ち、目的が自分の役に立っていない。役に立つことと結びつけて考えることができない。

なんの役に立つのかという発想が乏しい。
下手をすると悪い事のように思っている。
勉強や学問が生活の役に立つか結びつけて考えてはいけない。

戦場を支配しているのは恐怖でしかない。
共産主義だから、全体主義だから、独裁主義だからというのではない。
アメリカだって。日本や、ベトナムを攻めた時。
日本や、ドイツも、かつて。
だから際限なく、残忍、冷酷にもなる。
怖いからですよ。
敵も味方も。

だから、人は人に問うべきなのだ。
何故と。
そうすれば、人間の愚かさが見えてくる。
今、問われているのは、人として、何をすべきか、何を守るべきかだ。

生きるとは。
人として生きるとは。
人間が生き残るために。
自分が生き残るために。

今、ウクライナでは、生きるために戦っている。
しかし、それは、無為に敵に降伏する事を意味しない。
なぜなら、敵に屈する事は、人として生きられなくなるから。
この世のには、自由人と奴隷しかいない。
例え、身も心もズタズタに引き裂かれ、汚されても。
自由は勝ち取る事であることを彼らは身をもって知っているのだ。