どうやら、本当に、組織は、情報系だという事が解っていない人がいるようだ。それも、かなりの数の人が考えてもみなかったと。
これも、戦後教育の成果だろう。
組織にとって会議は、単なる、人の集まりでも、話し合いの場でもない。
指示・命令は、個人的な力を誇示する行為でもない。 

報告は、気まぐれな噂話や告げ口ではない。
会議も、指示命令も、報告も情報伝達の手段。

全員、末端の人まで情報が行き渡るようになっていないと。
一人でも情報を止めることがあるとその部分から、組織は破綻する。
それを蟻の一穴という。

特殊、特別な情報ではなく。
なんの変哲もなく、日常的で、決まりきった一般的な情報が伝わらなくなったり、停滞することが深刻な事態を引き起こす。
特に中継地点、要にいる人間が情報を止めると、組織は、機能不全に陥る。
要(かなめ)の人間が癇癪を起こして責任を放棄するのは、ハレーションを起こすような事。

意味も解らず会議は無駄だと省略すれば、たちまち、組織は機能不全に陥る。
手や足は勝手に動く事はないし。
口は、勝手にしゃべるわけでもない。
百足(むかで)の一本いっぽんの足ですら統一のとれた動きをしている。
馬の脚の一本いっぽんがバラバラな動きをしたら、馬は走るどころか歩く事さえできない。

そんな道理は、学校に行く前の子供でもわかる。
それがどういうわけか、いい年をしたものでもわきまえていない。
動物の神経は、体の隅々まで張り巡らされ、指先にとげが刺さっただけでも痛みを感じるというのに。
腕がもげるような重大事ですら中枢に届かないのでは、組織を維持していくことはできない。
特に、要かなめにいる者が機能不全おちいたら、その先の部分は壊死してしまう。
自分勝手な行動は許されない。

ボールを捕球したら、速やかに、次の選手に投げる。
捕球した者がどこへボールを投げていいかわからなくなって、どこにも投げなっかたら、試合は成立しなくなる。
こんな事は、少しでも野球を齧った者なら子供でも知っている。

ルールも総てを一度に教える事はできない。
細かい事は、その場で、審判が速やかに判定する。
必要最小限の事を覚えたら、後は、実際の試合で身につけていく。

審判がカッとして、試合を放り出すのは、人間性の問題。
ルール以前の話。
審判は、常に冷静に判定する。(腹が立っても)
それぞれが、自分の立場、役割を理解して、果たさないと、組織は成り立たない。

何十年もの間、組織が組織として機能してきたのは、会議や指示・命令、報告の働きを末端の者までわきまえていたからだ。
仮に、組織が機能しなくなったとしたら、それは今の人間が組織を情報系だと理解していなかたり。
組織は悪だという敵対勢力のプロパガンダに踊らされて、組織の何たるかを理解していないからだ。
いい加減、目を覚ませ。
今、日本で深刻なのは、子供でも理解する道理を理解していない者が増えてきたことだ。
だから、引きこもりだの、うつ病になるのだ。
指示・命令は、単なる強制、強要ではないし。
会議は、時間の無駄でもない。
聞く耳を持たなければ、聞いても聞こえず。
見る目を持たなければ、見えても見えない。

情報を、どの様な経路で、いつ、どの様な手段(基本的には、指示・命令・報告)で、誰に、どの範囲に、どの様な順序で伝達するかを考えるのがマネージャーの仕事。
それを面倒くさがっていたら仕事にはならない。
相手に応じて情本内容や伝達手段も内容も変わってくる。
手続きや規則は、いらないなんて言ってたら社会人にはなれない。
野球のルールも説明も面倒くさいから、とにかく試合に出してといてるようなもの。

なぜ、伝言ゲームみたいなことがあるのか。
決められた事は、指示として、末端まで、正確に伝えられなければならない。
指示は、連鎖しなければならない。

結果や変化、異常事態は、報告されなければならない。

敵に気がついた時は、指示されなくとも、間髪を入れず「敵襲」と声を出す。
「敵襲」と叫ぶのは、敵に、気がついた者で、重複しても構わない。
この場合、位の上下、役割は問わない。

「敵襲」に気がついても、すぐに叫ばないで、上の判断を仰いでいたりしたら、その間に部隊は、壊滅してしまう。気がついた者がすぐに声を出す。
「敵襲」と聞いたら、速やかに、その場で戦闘態勢に入る。
迷ってはいけない。
周囲を気にしてもいけない。
一瞬でも躊躇すれば全滅に繋がるし。
場合によっては、戦友の命にかかわる。

アメリカでは銃声を聞いたら、一般市民でも、咄嗟に伏せるのに、日本人はボッケッと立ち竦んでいると言われる。

戦争を経験した親父たちにとってこれは、生き残るための本能だった。
兎に角、声を出せと。声が出なければ、お終いよと。
でも、今でもなかなか声が出ない。

親父は、職業軍人ではない。
終戦を工兵の下士官として、宮古島でむかえた。
いわば一兵卒である。一兵卒、否、一兵卒だたからこそ、本能的に声が出たのだろう。
一民間人ですら、敵に気がついたら、銃声がきこえたら、咄嗟に体が動いたのに。
訓練を受けたプロの護衛官が、呆然と立ちすくんでは。(これは、余談ですけれど)

なぜ、会議をするのか。
なぜ、文書にするのか。

十人に決められたことを指示として伝えようとした場合。
一人ひとり、個別に、口頭で伝えた場合。
同じことを、一言一句、同じように、正確に伝えるのは至難であある。
また、記録がなければ、確認のしようがない。
指示を受ける側の者も、記憶に頼っていたら、なお、同じことを正確に聞き取る。
また、確認するのは難しい。

だから伝言ゲームをするのである。

また、途中で、追加、変更、修正があたとしても、変更以前の者には伝わらない。
そうすると、最初と最後の人間とでは指示内容が変わってしまう。
終生をするなら、最初からやり直すことになるは、記憶に頼ると、どこで、どのような変更がされたのかの確認がとれない。
だから、会議、文章にして伝達するのである。

権限は、指示を出さないと発効せず。
一定の期間たつと自然消滅、無効となると言う原則がある。
権限を委譲されたら、なるべく早く、無理のない簡単な指示を出すよう躾けられた。
一番、簡単なのは、集合命令である。

これらは、常識とされていた。
しかし、今の学校では、非常識である。
なぜなら、指示・命令は、強制的、強要的で悪い事だからである。
また、組織、即、軍隊で悪だと教えるからである。
組織は、軍隊だけの問題ではないのに。
組織が、平和を乱すのではなく。
逆に、組織があるから秩序が保たれているのである。

教えるのはいいけど、素直に従えよ。
教えたことと違うことされると、こちらがフォローできなくなるからな。
言っておくけど。
無視したり、やらなかったり、適当にしたり、手順を変えたり、間をおくのも違うことだからな。
ほぼ全員がこれまで違うことをしてきたけど。
変えるのは構わないが、そのかわり、責任を持って納めろよ。
従うにせよ、従わないにしても、それなりの覚悟が必要だからな。

チームは心を一つにして立ち向かはないと、勝つことはできない。
最初から、勝利を諦めていたら、お終いだ。

平常心を養え。