こんな国、どうなってもかまはない、しった事ないと言われればそれまでだ。
義理だ、人情だ、落語や講談じゃあるまいし。
世のため、人のため、そんなお人好しなんていやしない。
所詮、金の世、金が全て。
皆、自分の事しか考えていないよ。
恩義、信義なんて言ってたら、生きていけないよ。
商売なんて、どうやって人を欺くかで決まりさ。
人の心の裏を掻くのさ。
現実にさ。結局、この国を守るために死んでいった連中は、馬鹿をみたのさ。
生き残った連中が戦後の繁栄を謳歌したのさ。
真面目に人なんか信じたら駄目だよ。痛い目に遭うだけだからさ。
この業界を良くしたいってお笑い草さ。
自分たちが良ければいい。

そんな事ばかり、若者の耳元で囁いていたら、悪くなりますよ。
しかもそれが、リアル、現実だなんて信じこませたら。

誰がそんな事を囁くかって、そりゃ決まっているでしょ。
革命勢力ですよ。

挙句、この国よくしたいなんて言おうものなら、お前は極右化、軍国主義者かといわれかねない。

でも率直に、この国をよくしたいそういうのは恥かしい事、笑い話ですかね。
若い子と話していて、国をよくする為とか、世の為人のために働くんだと言えないから。

結局、自分の為、金の為としか言えないんですよ。
そうすると、厭な事を言われたとか、叱られたと言うだけの理由で辞めていってしまう。
彼らが求めているのは違うんです。
自分ではなくて、人のために働きたいと。

彼等だって、道の外れたこと何ってしたくないし。
汚い事もしたくない。
身勝手な言い方だって望んでないのに。
世の中なんて汚いもので、綺麗ごと言ってたら生きていけないんて教えられ。
若者は、今だって、ピュア、純ですよ。
変に老成させることも、諦観させる事もないのに。
最初から、やったって駄目。
人を見たら泥棒と思えと教え。
正直者は馬鹿を見るとか、信じたら騙されるとか。
清濁併せ呑むとか、真面目ばかりじゃ世は渡れないとか。
そんな事ばかり言われたら。

なぜこの国をよくするために、世の中をよくするために言ってはいけないんですかね。
でも、若い子と話していて、それが言えないとどうしても芯が通せないのです。
それで、はれ物に触る様に、おためごかしの事を言いても、響かないどころ、信用もしない。

若者が反発しようがしまいが。
正しい事は正しいと言わないと。

でも、若者は、若者らしい正義感は持っていますよ。
だから、要は、自分たちの問題で。
団塊の世代も含めて、僕らが左翼運動にかぶれて、けじめもつけないままここまで来て。
今が最後のチャンスだと。

悔しんですよ。僕は、日本人として。
自分の国をよくしたいと口に出せないのは、日本だけですよ。

本心から、この業界をよくするためにはどうしたいか、話し合える同志が欲しいですね。

政治家は、嘘ばかりつくし。
役人は、出世するためのら公然と国民を欺く。
経営者は、信義なんてそっちのけ、自分の成績を上げる事に汲々していて、若者を育てる気などどこにもない。
困っているなかみゃ同僚が言っても誰も助けようとも、協力しようともしない。
仕事そっちのけで、趣味にのめり込み、仕事がが終ったら、きれいさっぱり仕事の事を忘れる。
自分の事は棚に置いて、批評批判ばかりするメディア。
そんな大人ばかり見せられた、誰が信用する者か。
深刻なのは子供たちのとって信頼のできる大人たちがいなくなる事なのだ。

侠気なんてね。
今日日、犬も食わない。

そういう事ですか。

しかしね。
若者と話していて、情けなくなるんです。情けない。
どうしてこんなに、性根が座らないのだろう。
辛抱が効かないのだろう。
我慢できないのか。耐えられないのか。
傷つきやすいと言えば聞こえはいいが。
些細の事で傷ついて拗ねて、引き籠って、自分の部屋から出てこれなくなったら、話は別だ。
それは、弱いと言うのを取り越して生きていくのさえ、本来、困難だ。

一人前に生活できない人間を増やしていったら、社会は崩壊し、国が保てなくなる。
今、自分の責任で、自分の力で生きていけるようにしないと。

自分の為では、自分の限界は越えられない。
自分の限界に立ちいたたらその限界に立ち向かい、限界を超えていく気にならない。
自分の為だけに生きていたら試練には耐えられないのである。

お金は手段であり、金儲けは人生の目的にはなりえない。
人は、生きるために金もうけをする事はあっても、金儲けの為に生きる事はできない。
それは、本末転倒である。

こんな事、いくら言ったところで、誰の心にも、響かないのでしょうね。
そんな事言ったて、目先の利益が先で。

真剣いこんなこと訴えたところで嘲笑うばかりで、真面目の、受け止める人なんていやしない。
その癖、今の若い者は、辛抱が足りないと、若者の性にばかりする。

一体、我々はどこで間違ったのだろう。

確かに間違っていたのかも。
自分の為じゃないんだよ。

定年組も、むしろ定年組だから、純粋に、世の為人のため。
国の為にね。
その方がきっと自分を生かせるし。
そう言う生き方をする方が、子供たちにいい影響をね。
若者とね、話してね。

自分があるようでない。
寄る辺ない。
でもそれって、彼ら以上に、定年組がね。
どうするって、助け合を売って、協力してと言えないんだよな。
世の為人の為にってね。

二十世紀は、資本主義と共産主義ともに限界をあらわにした世紀である。
共産主義の盛衰は、特に際立っている。
かと言って資本主義も、多くの問題を抱え。未だに解決の道は閉ざされている。
東西冷戦として、世界を二分した争いは、姿を変えて未だに人類存亡の危機として、二十一世紀にも引き継がれている。

資本主義も共産主義も根っ子は唯物主義である。
所詮、経済の話で、哲学とか、人間の話ではない。
非人間的、物質的、無機質で、即物的。
魂がない。有機的ではない。

現代人は、事故の報に接すると、事故の原因を知りたがる。
自分とは関わりがなくても事故の原因を知りたがる。
でも、昔の人は、事故の原因以上に、生きていく上での教訓を求めた。
そして、より哲学的に、宗教的な救いを探したものさ。

医療が発達しても救えない事がある。

なぜこの国をよくするために、世の中をよくするために言ってはいけないんですかね。
でも、若い子と話していて、それが言えないとどうしても芯が通せないのです。
それではれ物に触る様におためごかしの事を言いても、響かないどころ、信用もしない。

若者が反発しようがしまいが。
でも、若者は、若者らしい正義感は持っていますよ。
だから、要は、自分たちの問題で。
団塊の世代も含めて、僕らが左翼運動にかぶれて、けじめもつけないままここまで来て。
今が最後のチャンスだと。

悔しんですよ。僕は、日本人として。
自分の国をよくしたいと口に出せないのは、日本だけですよ。

正直いってね、学生時代は、新しい時代が来るって期待していたさ。
でもどこかで違うなと気がついて。
問題はそれからさ。自分たちの手で、それを正せなかった。
現実には、生活に流され、見てみぬふりを言て。
ヤッパリ、人間性を、人の魂、温もり、信義を取り戻さないと。
最後は義理人情じゃあないか。
人間の話がなければ、解決できやしないよ。

人と人腹を割って話せるようでないとね。

自分達にはどうしようもないと言い訳ばかりしてきた。
そうじゃない。
せめて、どうしたら、この国の役に立てるか。
何か自分にできる事はないか、話ぐらいできる様になろうよ。
正直者は、馬鹿を見るではなくてさ。
正直になろうよ。真面目になろうよ。