最近、神の名のもとに、不正な事や悪事、人を欺く行為が横行している。
恐ろし事だ。

神には、絶大な力がある。
神の名を騙るだけで、莫大の富や権力を手にすることも可能だ。
確かに、宗教は金になる。
しかし、自分の私腹を肥やすために神の名をかたる事は、神を欺く行為だと言う事を忘れてはならない。

神を否定する者は、自らを神とする。
それこそが、神に対する最高の冒涜である。

神の名の下の行為は、神との契約である。
それは、人と人との契約と性格を異にする。

例えば、神の名をかたって、人を欺いても、それは、人を欺くのではなく、神を欺く事であり。
神の名の下に行う残虐な行為は、神に対する、残虐な行為である。
神の名の下に行う不実は、神に対する不実である。

一度、「私は神を信じる。」と口にしたら、それは、神との誓約を意味する。
以後、不実な行為や、嘘は、神に対する不実となり、嘘となる。
だからこそ、信仰は、モラルの根拠とない、よりどころとなる。
神を恐れる心を失えば、自分を律する事が出来なくなる。
それは、確固とした道徳心を養えないからである。
神を必要としているのは人であり。
神が、人を必要としているわけではない。
なぜなら、神は、唯一絶対であり、超越的存在だからである。

神の名を騙って莫大な富を得ても、また、権力を掌握しても、それは偽りの富であり、偽りの権力である。
自分の心を欺く事が出来ないように、神を欺くことはできない。
信仰は、その人の生きざまが証となるからである。
あなたの行いは、あなたの心に刻まれる。

人間の一生には限りがある。
限りある存在が永遠の存在を欺く事は愚かである。
偽りの人生は、偽りにしかならない。
永遠の真実を手に入れる事はできない。

神を侮れば必ずその報いはある。

それは、永遠の生命の中で、明かされる。

だからこそ、神の名を騙って悪事を行うのは恐ろし事である。
永遠の罪を負う事になるからである。

神の名を騙って悪事を働く事は、悪魔に魂を売るのと等し行為である。
悪魔なんって本来、神とは無縁な存在である。
悪魔を作り出すのは、人間の業なのだから。

在り、在りて、在る。
その本源は、神にある。
故に、人は、自制しなければならない。
それが神の意志だ。

存在は、その存在自身の力で存在し。
その存在のあるべき姿は、その存在の力によって維持される事である。

人は、自身の力によって存在している。
人は自身の力によって自分の在り様が定まる。
故に、自分の意志によって自分の在り様を決めなければならない。

自分は、自分として存在している。
自分の生き様は、自分の意志で定まる。
故に、自分の意志の反する行動をとれば、自制心は失われる。

国民国家は国民の意志のによって存在している。
国民国家の在り様は、国民の意志のよって定まる。
国民が誰も守ろうとしない、国民国家は、守れない。

人は、幸せな時、神を侮り。
不幸になると神を罵る。

しかし、神は、神だ。
神を、必要としているのは、人間であり、
神は、人間を必要としていない。

人間が、自ら犯した罪のよって亡びたとしても、その責めは、人間が負うべき事であって、神には一切の責任はない。
それが真実である。
呪うなら、自らの愚かさをこそ呪え。

神の名を騙って悪事を働き得た富は、自らの罪の証にしかならい事を思い知れ。

硫黄島には、今日の日本の繁栄ないために生贄となった多くの魂が埋まっている。
我々は、それを心に刻まなければならない。

神の名の下の行為は、あなたの心に刻まれる。

神はあなたの目の前におられる。
あなたを、常に見ている。