全ての認識の前提は、存在である。
つまり、在る、有るである。
故に、自明とされるのは存在。
在る、有るである。

存在そのもの、存在自体は、絶対であり、完全であり、無分別である。
不完全な存在、相対的存在はない。
しかし、それでは、対象を識別する事はできない。
対象を識別するために、対象に分別をつける。
対象を分別した瞬間に、存在の絶対性は崩壊し、完全性は失われる。
意識は分別によって形成される。
故に、意識は、常に相対的で、不完全になる。

この様な存在物は、認識の前提となる。
存在があって認識は成立する。
認識は、基本的に主体的な行為である。
認識は、自己に基ずく行為である。
自己は、唯一で、独立した存在である。
自己にとって代わる事の出来る存在はない。
自己は、主体である。
故に、自分以外の主体、即ち、自分以外の人が、自分と同じ存在物を、同じように認識しているという保証はない。

そこで、自明とされる存在は、了解可能性が求められる。

目に見え、触れることができる物は、了解可能性は、高い。

問題は、目に見えない事や物である。

神もあると信じる人には、在るので。
天国も地獄もあると言えばある。
ないと言えば、ない。

故に、物理学の世界では、実証することが求められる。

言葉や方程式によって表された定義は、論理的に自明とされるだけで、存在する物、物自体の存在に結び付けられることで、立証される。
それが実証される。
実証手段は、実験と観察。決め手は、論理的整合性であり。
証明である。
故に、数学の本質は証明にある。

存在は、唯一で絶対であり。
自己の存在も、唯一絶対である。
故に、存在と自己は、一対一である。

全体は、一体であり。
部分は、一から始まる。

故に、全体は統一されなければならず。

自分は唯一であるから、行動も一。
肉体も一つ。

人生は一生。

一には、全体を表す一。
始まりを表す一。
源を表す一。
順序を表す一。

単位を表す一にも、点、幅、面、退席、変化を表す一がある。

一は、一にする働きを表す。
統一、単一、均一、第一(代表)という働きがある。

つまりは、一に集約する。
一点に凝縮させる。
一人に代表をさせる。

なぜなら、全体も部分も一つにまとめる必要がるから。

一つに統一する。自律的自己は唯一でなければならない。
手や足が統一性が取れないバラバラな動きをしたら自分の行動を制御できない。
国家でも、会社でも、意志は統一されなければならない。
自然の法則も社会の法も唯一である必要がある。
自己の肉体も国も会社も全体と部分からなり。
全体は一つでなければ成り立たない。
国家、組織も、自己も法は、一つ。

一の意味。一の意義。

何億光年も虚空を漂い。
命をつないできた。
人類がたとえ滅亡し。
地球が滅んだとしても、また、次の星を目指し。
悪逆無道な行いを神が許すのかと詰ったところで、自らに問えと言われるのが関の山。

悪魔の所業だって。
笑わせるな。
悪魔なんて人間が生み出した化け物にすぎない。
嗚呼、なんと神は偉大か、純粋か、美しい事か。

悪逆無道を人が許せば、人は亡びるだけ。

神に背き、抗い、信じようともせず。

神は、気高く、偉大で、純粋で、美しい。