高校を卒業して気が付いた事がある。
大学に行ったら教科書が一つではない事。
今から、考えると馬鹿げた事なんだけどね。
でも、高校時代は、全国、共通の教科書しかなく。
試験は、教科書から出題されていた。教科書以外からの質代は、原則御法度。
だから、大学に行って教科書がいくつもあって、そこに書かれている事が著者によって全く違う事に驚いた。
でも、それが学校教育なんだよね。
教える事は、たった一つしかないように思わせ。
真実は一つの様に思い込まされる。
確かにね。
真実は一つかもしれないけど、だからと言って、教科書に書かれている事が、全て真実だとは言い切れない。
おかしくない。
教科書が一つという事は、教科書に書かれている事は絶対的真実だと言えるの。

そうなったら、教科書は、聖書、聖典となる。

しかし、学校では、少なくとも、大学受験が終わるまでは、教科書は一つで、一つで、絶対だと刷り込まれる。
そんな事、十二年もやるから、皆、教科書の呪縛から抜け出せなくなる。
そして、いつも試験されている気になる。
箱庭みたいなところで、これが世界だと言われてもね。
世界は、箱庭よりずっとでっかいんだよ。
井の中の蛙ばかり育てているから、皆、臆病になるんだよ。
教科書は入り口だよね。
最初は教科書通りすればいいけど。
ある程度、基本が身に着いたら、教科書に囚われない事だよね。
自分のものにする事だよ。