残された問題は、経済である。

今の社会を歪めているのは、経済体制である。

計画・統制経済は、経済の自立性を失わせる。純粋の市場経済は、経済を制御できなくなる。また、環境や資源保護という観点から市場を抑止することが難しい。故に、私は、第三の道として経済の構造化、構造経済への道を模索すべきだと考える。

なぜ、経済の問題は、取り残されたのか。その一つに、経済を差別する考え方があると思われる。かつて長いこと、経済を一段も二段も低く見る傾向があった。

経済は、最も人工的な世界である。ところが、その基盤を構築する際に、最も、人間の意志が働かない世界なのである。問題はその点にもある。経済は、生き物である。無機質な建造物を建てるのとわけが違う。どちらかというば、生物を育てるのに似ている。

経済の問題を要約すると一つは、私的所有権の問題である。次に、富の再分配の問題である。そして、三つ目に、有産階級と無産階級の階級分離の問題である。第四に、計画・統制型経済か、市場・自由経済かである。最後に、経済体制における国家の機能である。

ただ、誤解がある。政治体制と経済体制が一意的に結びついているという考え方である。たとえば、資本主義と自由体制、市場経済とか、共産主義と一党独裁体制、計画経済と言った具合にである。政治体制と経済体制は、一対一に結びつくと決めつけるべきではない。計画経済と自由体制が、結びつかないとは、限らないのである。かつては、自由経済と独裁体制が結びついていたこともある。もっとも、共産主義は、政治体制と経済体制を一括りで考えるべきかも知れないが、必ずしも、政治体制と経済体制を一括りで考える必要はない。

資本主義は、自由市場、私的所有権をベースにした経済体制である。資本主義は、大きな曲がり角にたたされている。一つは、市場を制御できるかという事、今ひとつは、資源を保護できるかという事である。もう一つは、南北問題、貧困の問題である。

共産主義は、統制経済、計画経済、財産の国有、政治的には、一党独裁である。

共産主義の問題点は、政治体制に一党独裁を取り入れたことにより、実質的な民主主義体制が、崩壊したことである。どのような形であろうと独裁主義と民主主義は相容れない体制である。それ故に、経済的にも、政治的にも自立性を失った。ただ、共産主義が、市場経済や自由経済を導入できるかによって、今後のあり方は変わっていくであろう。

注意をしなければならないのは、社会主義と共産主義は違うという事である。社会主義というのは、それこそ広い範囲を含んだ思想である。その政策は、現代の資本主義国にも採用されている。

また、社会主義は、社会の定義の仕方によっても違ってくる。個人主義や自由主義、民主主義を下敷きにした社会主義もある。

なぜ、この様に、社会主義というものが広範囲、かつ、多様なのかというと、社会というのが何か、曖昧だからである。宗教団体や企業のような何らかの団体を指すのか、運命共同体のようなものを指すのか、都市や地域コミュニティのようなものを指すのか、国家のようなものを指すのか、ハッキリしないのである。

この様なことを考えると、社会主義というのは、一つの方向性としては残されている。というより、資本主義は、一部社会主義的な部分を取り込みながら変化している。

経済を現象としてではなく、構造としてとらえる。産業には、誕生、発展、成熟、衰退と言った成長段階がある。しかも、それぞれの産業には、それぞれの個性がある。経済を現象面からだけでなく、構造面から解明しようと言うのが、構造経済である。

構造主義というのは、資本主義体制からも共産主義体制からも平和裡に移行できることが理想である。

現代の経済学は、近代医学が発達する以前のように対処療法的なのものである。現象の背後にある経済の構造を解き明かすことが急務である。それが構造経済である。