仲間という言葉を最近あまり聞かなくなった。
でも、仲間って大切だとしみじみ思う。
仲間がいないというのは寂しい。

若い連中に言いたい。仲間って大切だよって。
無論、若者たちに仲間がいなくなったというのではない。
ただ、仲間を仲間として意識し、仲間として扱っているかどうかだ。

仲間と友達というのは、少し違う。
仲間というのは、同志である。同じ志を持った者達。
友達というのは、その点でいえば無条件である。
その無条件さがいい。でも、仲間は仲間である。
大事を為すのは仲間。

同志と言ったって難しく考える事はない。
仲間と言っていろいろある。ゲーム仲間だっているし、コスプレ仲間もいる。
同じアイドルやタレントを追っかけまわす仲間もいる。
俗に、オタクと言われる連中にも仲間がいる。
友達がいなくたって、仲間はいる。
それが仲間の凄さ。

遠く離れていても、会った事すらなくても、話した事がなくても、ネットワーク上の知り合いでも、仲間は仲間。それが新しい時代の仲間なのかもしれない。
顔を合わせた事がなくても、離れていても、それでも、同じ事を、同じ方向を、志すところが同じなら、仲間になれる。心が通じ合えたら、信じあえたら仲間になれる。

さてだから、若い人たちに言いたい。これから、大事にしなければならないのは仲間。
なぜって。いろいろと無理解な連中に囲まれて、いろんな事にチャレンジして、困難な事を乗り越えていかなければならないから。
迫害されたり、差別されたり、邪魔されたり。仲間以外に、友達だって理解してくれない事が沢山あって…。

そんな時に、何でも話し合える仲間が必要となるから。

例えば、なぜ、会社を辞めるの、学校を辞めるのか、その理由を突き詰めてみると答えなんてない。よくわからないというの事が多い。

本当の理由は、仲間になれなかったとか。仲間に入れなかった事。でも、自分では気が付かない。だから煩悶、懊悩する。なぜだ。苦しくて。苦しくて。でも仲間に入れてと言えない。仲間が欲しいと気が付かない。

仲間がいたら耐えられたのに…。寄る辺ない。一人になった時、急に不安になる。俺は何をやっているのだ。このままでいいのか。寄る辺ない。仲間が言えば話ができるのに。分かち合えるのに。一人。耐えられない。だから、仲間が欲しい。

辛い事や困ったのが原因ではなく。辛い時や困った時に相談できる、助けてくれる仲間がいなかったから…。それは友ではなく仲間なのだ。信じあえ、助け合える仲間なのだ。

友は友だ。友は友として大切だ。でも、仲間とは違う。

大きな夢、不可能だと言われ事、一人ではできない事、それに、一人では、寂しすぎる。だから、これから仲間がとても大切になるんだ。どんなに栄冠を勝ち取っても分かち合う仲間がいなければ虚しい。

同じ夢に向かって…。同じ志を持って…。同じ事が好きで…。共鳴共感し。意気に感じる。仲間。

信じあう、助け合える仲間がいなければ…。夢は夢で終わる。

いい仲間といい仕事をする。それが最高だと俺は思う。定年退職して何が辛いかというとそれは仕事仲間を失う事。仲間の為なら、何でもできる。それが、義侠であり、任侠。男意気。漢気(おとこぎ)。人生意気に感ず。

時間や空間を越えて、仲間になろう。仲間を作ろう。
皆は、一人ではない。どこかに必ず仲間がいる。仲間が待っている。
仲間を信じよう。仲間を信じられる様になろう。
どんな困難なことだって仲間がいれば立ち向かえる。仲間が信じられるから頑張れる。
仲間は希望なんだ。
だから、仲間になろう。