助け合う、協力し合うと言うのは、組織の本源的な事なのだ。
なぜなら、組織は助け合う、協力し合う必要があるから結成されるので。
助け合う、協力する必要がなければ、組織など必要とされないからだ。
助け合う事、協力する事を忘れたら、組織は、本来の力を発揮できなくなる。
組織は、人によって作られた仕組みだ。
人は、物ではない。人は生き物である。
ニューロンのように自分の意志で触手を伸ばし関係を作って組織を構成していく。

小人数の時は、手が足りないから、助け合ったり、協力するのは、当たり前だと考える。
ある程度、規模が大きくなると言われたこと以外しないものが現れてくる。
そうなると、指示しないと仕事が回らなくなる。
それが続くと指示されたこと以外しなくなる。
しかし、組織には、指示されなくても、助け合い、協力しないとできない仕事がある。
だから、仕事の事で、困っていたり、悩んでいる人間がいたら。相談にのったり、助けたり、協力するのは、当然と言うより、それが、目的で組織は成り立っていると言える。この点を組織が大きくなると忘れてしまう人間が多い。

困っているのに、助けが必要な時に、誰も協力してくれない、助けてもくれなければ、組織なんていらない。
だからこそ、成功するためには、困ったことがあったら何でも相談できる。
助けてほしい時、助けを求められる環境が、大切なのだ。
問題となるのは、困った時、助けを必要としている時、どのように周囲の人に救いを求めるかであり。
どう伝えるかである。
問題が生じた時、どうしたらいいのか。
簡単に相談したり、協力したり、助け合うそういう状況なら問題ない。
しかし、今の世の中、それができないから苦労しているのである。
以前は、家庭の中で家の手伝いをしたり、家事の助けをするのは常識でもあり道徳でもある。
しかし、学校の勉強が忙しい今日では、子供は、学校の勉強だけをすればいい事になっている。
それは子供たちから、家事や家業を学ぶ機会を奪ってしまった。
だから、成長した子供は家事ができない。
家事ができないどころか悪い事のように教え込まれる事になる。
しかし、掃除、洗濯、料理は仕事の基本でもある。
また、家業を躾けられない事は、仕事の基本を子供の時に習う、絶好の機会を奪う事になる。
要は、学校では、生活に関わる仕事の基本を身につける機会を奪うのである。
その結果、賃金労働者、つまり、サラリーマンを増やし。
自営業者、つまり、市民を減らす。
自分の力で稼げる人間を減らし、勤め人を増やす。
最終的には勤め人だけにする。だけど、自分の力で稼げなくなれば…。
若い仲間が集まって、自分たちで問題を解決するために、どうする。

「相談したいことがあるんだけど」声掛け
「皆集まってほしいんだけど」集合。
「助けてほしいんだけど」要請。

要は難しい事でなく、「チョット相談に乗って欲しいんだけど」とか。
「みんな集まって」と言った何でもない簡単な事が出来ない。それで困っている。しかし、困っている事がそんなに簡単な事だとは思えないから、いつまでたっても問題が解決できないのだ。
学校は助け合うことや協力することは教えない。
はっきり言って周りはすべて競争相手なのだ。

自分たちで問題を解決する事を覚えないと、自分たちが経営を担う事になうようになった時に困るからな。
上が指示してくれないとか、決めてくれないと言っても、結果を出さなければならないんだからね。
結果を出さなければ、何を言っても、言いわけさ。
若い人が自分達だけで問題が解決できない状態にいる事は、上の人間にとっては都合がいい。
いつまでも自立できずに、自分たちがいなければ何も片付けられなければ、自分たちに地位は安泰だからである。
だから、肝心な事は教えない。「君たちは、まだ若い」とか言ってね。
若いとか、未経験を理由として任せないとしたら、永遠に任せられはしない。
総てを体得してから任せると言ったらどれくらい時間がかかるか分かったものではない。
俺から言わせれば、「未経験とか、経験不足とか、若い」と言うのは、任せられない理由にはならない。
それは詭弁に過ぎない。
大概の事、基本は、三か月もすれば覚えられるし、新しい事は、若い人の方に分がある。
だから、若い人間が自分達で問題が解決されたら困る。
その対策としては、若い人たちが結束し、助け合い、協力出来ないように分断する。
だから、俺は言うの、若者は、自分達で結束し、相談し、助け合い協力する事を一日も早く覚えないと。

助け合う、協力し合うと言うのは、組織の本源的な事なのだ。
なぜなら、組織は助け合う、協力し合う必要があるから結成されるので。
助け合う、協力する必要がなければ、組織など必要とされないからだ。

助け合う事、協力する事を忘れたら、組織は、本来の力を発揮できなくなる。
組織は、人によって作られた仕組みだ。人は、物ではない。
人は生き物である。
ニューロンのように自分の意志で触手を伸ばし関係を作って組織を構成していく。

小人数の時は、手が足りないから、助け合ったり、協力するのは、当たり前だと考える。
ある程度、規模が大きくなると言われたこと以外しないものが現れてくる。
そうなると、指示しないと仕事が回らなくなる。
それが続くと指示されたこと以外しなくなる。
しかし、組織には、指示されなくても、助け合い、協力しないとできない仕事がある。

だから、仕事の事で、困っていたり、悩んでいる人間がいたら。
相談にのったり、助けたり、協力するのは、当然と言うより、それが、目的で組織は成り立っていると言える。
この点を組織が大きくなると忘れてしまう人間が多い。

困っているのに、助けが必要な時に、誰も協力してくれない、助けてもくれなければ、組織なんていらない。

だからこそ、成功するためには、困ったことがあったら何でも相談できる。助けてほしい時、助けを求められる環境が、大切なのだ。

問題となるのは、困った時、助けを必要としている時、どのように周囲の人に救いを求めるかであり。どう伝えるかである。

問題が生じた時、どうしたらいいのか。
簡単に相談したり、協力したり、助け合うそういう状況なら問題ない。
しかし、今の世の中、それができないから苦労しているのである。

以前は、家庭の中で家の手伝いをしたり、家事の助けをするのは常識でもあり道徳でもある。
しかし、学校の勉強が忙しい今日では、子供は、学校の勉強だけをすればいい事になっている。
それは子供たちから、家事や家業を学ぶ機会を奪ってしまった。
だから、成長した子供は家事ができない。家事ができないどころか悪い事のように教え込まれる事になる。

しかし、掃除、洗濯、料理は仕事の基本でもある。

また、家業を躾けられない事は、仕事の基本を子供の時に習う、絶好の機会を奪う事になる。

要は、学校では、生活に関わる仕事の基本を身につける機会を奪うのである。

その結果、賃金労働者、つまり、サラリーマンを増やし。自営業者、つまり、市民を減らす。
自分の力で稼げる人間を減らし、勤め人を増やす。最終的には勤め人だけにする。
だけど、自分の力で稼げなくなれば…。

若い仲間が集まって、自分たちで問題を解決するために、どうする。
「相談したいことがあるんだけど」声掛け
「皆集まってほしいんだけど」集合。
「助けてほしいんだけど」要請。
要は難しい事でなく、「チョット相談に乗って欲しいんだけど」とか。
「みんな集まって」と言った何でもない簡単な事が出来ない。
それで困っている。
しかし、困っている事がそんなに簡単な事だとは思えないから、いつまでたっても問題が解決できないのだ。

学校は助け合うことや協力することは教えない。
はっきり言って周りはすべて競争相手なのだ。

自分たちで問題を解決する事を覚えないと、自分たちが経営を担う事になうようになった時に困るからな。

上が指示してくれないとか、決めてくれないと言っても、結果を出さなければならないんだからね。
結果を出さなければ、何を言っても、言いわけさ。

若い人が自分達だけで問題が解決できない状態にいる事は、上の人間にとっては都合がいい。
いつまでも自立できずに、自分たちがいなければ何も片付けられなければ、自分たちに地位は安泰だからである。

だから、肝心な事は教えない。
「君たちは、まだ若い」とか言ってね。

若いとか、未経験を理由として任せないとしたら、永遠に任せられはしない。
総てを体得してから任せると言ったらどれくらい時間がかかるか分かったものではない。

俺から言わせれば、「未経験とか、経験不足とか、若い」と言うのは、任せられない理由にはならない。
それは詭弁に過ぎない。

大概の事、基本は、三か月もすれば覚えられるし、新しい事は、若い人の方に分がある。
だから、若い人間が自分達で問題が解決されたら困る。
その対策としては、若い人たちが結束し、助け合い、協力出来ないように分断する。
だから、俺は言うの、若者は、自分達で結束し、相談し、助け合い協力する事を一日も早く覚えないと。

若い連中が、信じ合い、助け合い、協力され、結束されたら、年寄りは困るのよ。
本当にね。
本気になられたらかなわないもの。
だから、肝心な事は、教えないでね。
若いとか、経験がないとか、未熟だとか言ってね。
既得権を守ろうとする。
だけど、そう言っている年寄りだって、みんな、若かったんだしね。
未経験な時はあたんだし。未熟だったんだよ。
大谷だって、藤井だって、素人の時はあったんだし。
最初からプロはいないんだ。
それに、どんな組織だって、初心な時はある。
誰もが未経験で、暗中模索、何もわかってない。
そんな時は、やりきらなければ、つぶっされるから、できませんと言えないからやっただけでね。
失敗を恐れないなんかではなくて、失敗なんて考えたらやってられなかったからやったんで。
よくやってきたなと言うのが本音さ。今でもね。
皆より、上手くやれる自信なんてないさ。
ただ、歳をとるとね、段々狡くなる。
肝心事を教えないでね。
自分がいないと困るようにしておく。
そいでほったらかしておいて、みんなが困ったところで、そうかそうかって出ていく。
種明かしをすれば、たした事ないんだよ。
早く言えよって、最初から説明しておけばたわいない事ばかり。
そんな事バレた、自分の居場所なくなるからね。
割符とか、パズルとか、聖域、落とし穴とか、隠し鍵とか、いろいろ細工して、簡単に決められないようにする。
それで情報を、小出しにして、なるべく時間をかけて。
ミスや力不足、過失を嘘ついたり誤魔化そうとして。
中には、過去に、自分の力では処理できずに、そのまま放置し、それが膿んできて、いろいろな害毒を流し出す。
芸能界や、政界をみればわかるだろ。
よしなさいよって。
若い者に任せたからって自分の役割がなくなるわけではない。

自分たちで問題を解決する事を覚えないと、自分たちが経営を担う事になうようになった時に困るからな。
皆がそう遠くない未来に、この会社やこの国を担っていかなければならないのだから。

何でも、ゼロから問題意識を持って取り組むことを覚える。
いきなり答えを求めたり、目先の事に食いつかないで。
なぜだろうてえ、何が問題なんだろうと。

そして、自分達で一つひとつ解決していく事を覚える。

人事制度とは何か。教育とは何かとかではなく。

例えば、友達と旅行したいと思ったら。
なぜだろう、誰と、どこへ行こうと考える。
そして誰を誘おう、誰に声を掛けよう。
どう言って誘おう。
そして、仲間が集まったら。どうする。
誰をリーダーとする。
分担をどうする。

どうやって話を起こし、どこに話を持っていき、どこに通すか。

そう言う事を一つひとつ、自分で、自分達で考える癖をつける。
それが、組織づくりの基本だし、仕事の基本だし、人事や教育の動機にもつながる。
逆に、そこがわからないと、いつまでたっても、仕事や、組織の根本が理解できない。
自分が中心になって仕事を組み立てる事が出来ない。
チームの中で、自分が何をどうしたらいいかわからない。
なぜなら、それが総ての始源だから。

三人でも集まって、分担して何かをしようとすれば、組織が生まれる。
組織が生まれて、役割を分担したら人事が生じる。
人が多くなれば人事制度を考えなければならなくなる。
その経緯がわからなければ、人事制度の必要性など理解できない。
必要性は設計思想になる。

自分達が何かを始めようとしたら、調べたり、学んだりしなければならない。
皆の意志も統一する必要がある。
なぜなら、助け合い協力しなければ、自分たちの目的が達成できないから。
そこに、教育の目的がある。
なぜ教育するのか、それは、何故、自分達は集まり、何をしようとしているのかが原点にある。

試験勉強と勉強は違う。
試験勉強は、試験に合格する事だけを目的とした勉強。
本来、勉強というのは役に立つことを学ぶ事。
いい例が、英語の試験勉強。
英語の試験勉強をいくらしても、英語が話せるようになるわけではない。

何を試験すべきかが忘れられて、試験が目的化した事にある。

試験という手段が目的化してしまい、試験をする本来の目的が見失われたことにある。
何のために試験をするのか、試験が目的化したことで、本来の目的、表の目的に代わって裏の目的が働くようになった。

試験は、重要である。ちゃんとその意義が明確なら。本来の目的が、ハッキリしていれば。
試験は、手段なのである。
いい例が、自動車免許である。
自動車免許は、公道で自動車を運転できるかどうかを試すのが目的である。
だから、学科試験は常識的な問題にとどめ。
実地試験や実技試験に重きを置く。
免許試験は役に立つし。学校の成績とは関係なく。必要だと思う人の多くが合格する。
身体に障害のある人でも、条件付きではあるが、試験に合格する機会は与えられる。
試験の本来の在り方がそこにある。
勉強は、本来、役に立つ事を身につける事を目的とし、試験はそのための手段で、目的にはならない。

椅子取りゲームはやめようよ。
それより自分達で自分達の組織を設計しよう。
ポジションなんて自分で作る。

抑えることより解き放つことを考える。
尻を引っ叩いても動きやしない。

それより、自分で獲物を探し、勝ち取る喜びを教えろ。

負け犬になるな。
勝利の味を覚えろ。覚えさせろ。
そうすれば、自分から、困難に立ち向かう。
野生の獰猛さと、用心深さ、したたかさにを覚える。

肥った豚になるな。
飼いならされた家畜になるな。
自分が餌にされるぞ。
牙を研ぎ澄ませ。爪を磨け。

野生な自由を勝ち取れ。
野生の自由を得るためには、ジャングルだって、山奥だって、ビルに囲まれていても。
自分の術で生き残れるようになる事さ。
守られていたら、いつまでたっても自立はできない。
守る側に回れ。親になれ。

リーダーたれ。いつでも。
誇りを持て。

守ることより攻めること考えろ。
待ってないで動け。
拙速でいけ。

自分から手を上げて、リーダーになって、チームを作ってやりたいようにやればいいじゃない。
自分たちで仕組んでいくんだよ。
待ってないで。

リーダーは勝ち取るものさ。
してもらうのではなく。
自分の力でなる。
そうでなければ任せられるか。

早いもん勝ち。
提案得だよ。
やり得。
殻を打ち破れ。

​受け身ではダメ。
アグレシブ、攻撃的になれ。
もっと獰猛に、猛々しく。
おとなしくなんてしていられるか。

守ることより攻めること考えろ。
攻め一本。
待ってないで動け。
拙速でいけ。

仕事は自分から作っていくの。
そうでないと与えられた仕事しかできないよ。
獲物は、自分で獲る。
さもなくば餌を与えられるのを待ちんだな。家畜になって。
野生になれ。

勉強は本来役に立つ事を身につける事を目的とし、試験はそのための手段で、目的にはならない。

最初の一歩と言うのは、結構、大変の事。
想像以上にね。
でも最初の一歩が踏み出せれば、次の一歩は楽になる。

とにかく、一歩踏み出せ。