民主主義は、儀式を重視する。民主主義は、制度的思想である。民主主義は、手続き的思想である。民主主義社会は、契約社会である。そして、これらは、形式をもって表現される。故に、民主主義は、形式的思想でもある。形式をもって思想を社会に知らしめるのに最も効果的なのは、儀式である。故に、民主主義は、儀式を重んじる。

民主主義は、人民の意志によって支えられている。故に、為政者の考えや意志を速やかに、かつ、わかりやすく人民に流布させる必要がある。その為に有効なのは、儀式、式典である。故に、儀式・式典は、民主主義に不可欠なものである。

和解や契約にも儀式は必要である。なぜなら、自分達が和解した事や、契約をした事を知ら知らしめる為にである。

民主主義は、形式を重んじない。又は無視するという間違った認識をしている者が多くいる。

そう思いこむ背景は、民主主義者が貴族文化を嫌って、簡略的で質素な形を好んだことによる。そのために、旧世代のファッションを否定した。しかし、それも形式的表現であることには違いない。

形式を権威主義や封建主義に結びつけるのは、間違いだ。それも形なら、それに反するのも形である。思想は、言語のみに頼って表現されるものではない。服装や生活の形で現されることも多くある。形が悪いのではなく、形の背後にある思想が悪いのである。だから、思想が形として現れたら、当然、その形を否定する。それは、形を重んじているからだ。

ファッションこそ、その人の最初の正直な思想表現である。服装、姿勢は、形である。現代人の服装の原型の多くは、市民革命の時に確立された。この事実が示すように、民主主義思想は、言葉よりも形式によって表されるものが多い。その方が正しく、広く、早く、伝わるからである。

儀式も貴族主義的、封建主義的な儀式は否定された。しかし、就任式やパレードのような民主主義的な儀式は、大切にされてきている。

儀式の形が大切なのである。

それに、形による表現は、大衆的なものである。それは、一目でわかるからである。故に、儀式によって自分達の思想を表現する事は重要な意義がある。

社会とは、人間関係である。故に、社会の揉め事は、人間関係から発生する。この様な揉め事を治めるために制度がある。しかし、些末な揉め事を処理するためには、制度では限界がある。行儀作法は、一連の動作からなる。立ち居振る舞いである。これは、形である。そして、日常の行動規範である。民主主義は、個人個人の自由な意志や行動に基盤を置いている。つまり、揉め事や争いを怖れず、それを積極的に社会に取り込むことによって、社会の成長の活力を生み出しているのである。故に、摩擦の多い社会である。その摩擦を軽減するための潤滑油が礼儀作法である。礼儀作法が失われると、とたんに民主主義社会は、摩擦が激しくなる。それが高じると、崩壊の危機に瀕することになる。故に、礼儀作法は、民主主義社会にとって最も重要な徳目の一つである。

また、民主主義が、思想としてなかなか認知、確立されないのは、言葉で思想を表すのではなく、形で表そうとするからである。制度や三色旗が好例である。そして、形の中でも儀式は、最も重要のものの一つである。

民主主義の背景は、文化である。民主主義は、制度的思想である。しかし、制度だけでは人間関係がぎくしゃくしてしまう。実際の世の中を動かしているのは、礼儀、作法、しきたり、掟、風俗、習慣、儀礼である。これらは、その国の文化である。人間関係を背後で支えているのは、文化である。制度では足りない部分を文化によって補っているのである。

文化は形である。日本文化は、特に、形を重んじてきた。それが茶道であり、華道であり、武道に結実したのである。

問題は、その形である。民主的な形、儀式を確立することである。

文化の本質は、冠婚葬祭である。民主主義において特に重要な儀式は、冠である。つまり、成人式である。成人式は、自立した個人として社会が認めたことを内外に知らしめる儀式である。民主主義において、それは、新たなる契約を意味する。故に、民主主義において成人式は、重要な式典なのである。

形で教育をする。形で学ぶ。形からはいる。

形を整え、筋道を通す。

形を重んじるのであるから、形に囚われてはならない。

言わなければ出来ないと怒るけれど、言わなくても出来るのは、教えてあるからだ。礼儀作法を教えないで不作法だと叱るのは、残酷である。

言葉だけで自分達の思いを伝えることは出来ない。思いというのは、実体である。言葉観念の所産である。言葉だけで意志の疎通を図ることは出来ない。

ひきこもりが問題になっている。それを心理学の問題という捉え方がある。人との付き合い方が解らない。教わってこなかったという理由も大きい。礼儀作法は、封建的だと否定してきた。それは、封建的な礼儀作法であって、民主的な礼儀作法もある。権威主義的だという批判も同様である。それは、権威主義的な礼儀作法であって礼儀作法が権威主義的なのではない。

形によって表現される価値観は、善悪ではなく、美醜である。つまり、芸術である。民主主義は、思想そのものが芸術なのである。