民主主義とは、個人の集合体としての人民を基礎とした思想である。つまり、民主主義の基礎単位は、個人である。故に、個人の属性を民主主義は、濃厚に反映している。

民主主義の基礎は、個人主義である。

民主主義を成立させているのは、個人の意志の集合である人民の意志である。故に、民主主義を定義するためには、個人の定義を見直さなければならない。

個人は、自己としての存在と人間としての存在の二面性を持つ。

民主主義も観念的な部分と社会的な部分の二面性を持つ。

個人は、全ての対象の前提となる。個人は、人的要素の最小単位である。個人も、存在以外の属性を持たない、素の存在物である。個人は、個人として他から独立した単体である。個人は、自立した存在だと言う事である。そして、個人意志や存在は、その個人しか外部に、表現できず、その権利も責任も、個人に帰属することを意味する。また、個人は、主体的な存在である。この様な自己が、今しか存在しないという事は、個人の立場や考え方、行動は、刻々変化していることを意味する。個人は、霊的な存在、即ち、生き物であることである。最後に、個人は、外界との関わり合いによって自分を立場を理解し、位置づけることを意味する。故に、個人は、必然的に、社会的存在になるのである。

また、自己は、間接的な認識対象であることによって、個人が社会に及ぼす働きは、内的な世界と外的な世界に同時に発生し、その関係は、作用反作用の関係になる。

権利と義務、権限と責任は作用反作用の関係である。教育は、権利であると同時に義務であるというように、権利と義務は、作用反作用の関係にある。

そして、権利と義務は、国民一般が一様にもつ力であり、権限と責任は、任意の個人がその立場に付随して持つ固有の力である。

個人が一切の属性を持たない素の存在物であり、人的要素の最小単位だと言う事によって、個人の価値観のような属性は、全て相対的なものとなる。つまり、人間が判別した物は、全て相対的な物となる。何らかの価値基準が介在した物は、全て相対的なのであり、絶対的なのは、何の基準も存在していない素の対象、即ち、自己と神だけなのである。そして、自己が転化して個人を最小単位とすることによって、相対的な価値観から受ける社会の歪みを最小限に抑止しようというのが、民主主義の原理なのである。

この様な自己を対象化することによって定義される個人を前提として、人間的属性を加えると、個人の属性が定義できる。ただ、人間としての属性は、派生的に生じる属性であり、本質的な属性ではない。存在以外の何の属性も持たない個人を前提とすることによって民主主義の平等概念は、保たれる。

しかし、そうはいっても、現実には、個人は、人間である。人間は、人の子である。故に、個人も人の子である。つまり、個人は、人間としての限界を併せ持っている。

民主主義は、基本的に人間の集合である。人工的な世界である。つまり、民主主義は、きわめて人間的な、人間くさい制度ある。人間的というのは、神のような、また、聖人のような超人的な人間を前提としているのではなく、ごく当たり前な、平均的で、平凡な人間を基本的に想定しいる。それが、民主主義の特徴である。

個人主義を成立させる社会を形成するのが民主主義である。故に、個人主義と民主主義は不離不可分の関係にある。