国防は、国民の権利であり、故に、義務なのである。
自分の生命、財産、そして、愛する家族を護るのは権利であって、義務ではない。
ただ、国民一人ひとりの権利だから、国民国家では、国家の義務となるのである。

自分の家族が暴漢から襲われたら、戦うのは権利であって、義務ではない。

権利と義務は表裏一体で、権利があるところに義務があり。
義務があるところに権利がある。
権利だから、義務であり。
義務だから権利なのである。
権利と義務は、主権から生じる。
国民国家は、一人ひとりの権利と義務を基礎になりたっている。

権利と義務は、国民国家と国民との双方向の働きから生じる。
故に、国民は国家に対し権利と義務を有し。国家は、国民に対し権利と義務を有する。
国民国家の目的が国民の生命と財産、そして、権利を守る事にあるとしたら。
主権者である国民は国家を護る義務が生じ、それが、国民の権利の源ととなる。
国民は、国家の独立に責任を負うからである。

自らの力で自分の生命と財産を守ろうとする意志がなければ権利は認められない。
だから、国を守るのは、国民の権利で、義務になるのである。

納税も、教育も権利であり、義務となる。

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。

平和を愛する諸国民の公正と正義とは、どこの国を意味するのか。
ロシアや、中国、北朝鮮、アメリカ、韓国等が平和を愛して武装を放棄すると本気で考えているのか。
犯罪のない社会を信じて、警察をなくすというのか。
火事のない世の中を信じて、消防署をなくすのか。
病気のない世の中を信じて、医者をなくすというのか。

もはや、そこまでいったら信仰に近い。
憲法は、理想でも、宗教の聖典でもない。現実である。
人間に対する透徹した洞察に基づかなければならない。
そうしなければ、国民は守れない。

今、我々は、時代の分かれ目に立たされていると思うのですね。
何を選ぶのか。
それは、人の意志だと思うのですね。
単に、仕方がなかったでは済まされない。

憲法前文を理想的とか、美しいと言う人が、結構いるが。
その根拠は、感傷であり、感情でしかない。
憲法は現実であり、建国の理念である。
その根本は、国民の生命と財産、基本的権利を守る事にある。

国を守るのは、国民の権利であって、自衛隊だけが負っているわけではない。
なぜなら、国家の独立を守るのは国民の義務である。
それは、国家の独立を守るのは、国民の総意だからである。
国を守るのは国民の権利だからである。

日本の独立は間違いなく、自衛隊員によって護られていることをまず認めなければならない。
自衛隊は自衛隊員の規律によって統制が保たれている。
これも忘れてはならない。
そして、自衛隊員の規律は、自衛隊員の名誉によって維持される。
自衛隊員の名誉を守るのは国民である。
自衛隊員を孤立させるのも国民である。
今の日本は、軍国主義国でも、全体主義国でも、専制主義国でも、独裁主義国でもない。
自由主義国であり。
自由主義国である事を守るのは国民の意志である。

現憲法を擁護する人は、あたかも、敵は自分が作るものだと思っているようだ。
その論法でウクライナ問題を語るからおかしな事になる。
ウクライナがロシアを敵視したから、ロシアは侵攻したわけではない。
敵とは、相手が敵意を抱くからで、自分がいくら友好的であっても、相手が敵だとみなしたら防ぎようがないのである。
通り魔が、愛する人を襲ってきたら、身を挺して護ろうとするのは、当然の権利である。
自分が、相手に敵意があるからではなく。
そこで、愛する人を見捨てって逃げだしたら、人でなしになるからだ。
災難なのである。

何を守るのかが大切なので、
自分が相手に敵意があるかないかではない。
自分が何を信じるのかが問題なので。
隷属を選ぶか、自由を守るかの問題である。
ウクライナは、自由と独立のために戦っているので。
ウクライナもロシアを挑発したのも悪いと言う論法は、自分が、独裁、専制側に立たない限り、成り立たない。
今の日本人のとって自由や独立、民主主義なんて命がけで護るのに値しない事なのかもしれない。
日本の自由や独立、民主主義は、敗戦によってアメリカから与えられたものだから。
自衛隊員が命がけで護っているのは、自由と独立と平和なのである。
それが、自由、民主主義国の自衛隊なのである。
これは、自衛隊員の名誉なために明記しておく。

中立を国是とするスイスは、民兵制度を敷いている。
敵が侵略してきたら国民が一丸となって戦う。
それが自由主義である。

仮に、滅亡する事があったとしても、それは、人の意志の依るのであって、神の意志ではない。
残虐な行為に対する報いは、人の罪であり、神の罪ではない。
人が破滅するのは、人の意志による。神の意志ではない。

国を、護るのは、自国民の意志に依らなければならない。
自国の安全を、他国に委ねるのは、主権を明け渡す事につながるからである。
日本の独立は、国家間の力関係の上に成り立っている。
日本は、一国だけで成り立たない。
他国との交易がなければ、人々の生活は一日も成り立たない。

国を守ると言うのは、単に軍事だけを指すのではなく。
災害や犯罪、経済や、文化、教育にまで及ぶ。
根源は、国民の人としての尊厳であり、名誉でもある。

今、日本人は、ウクライナの事ばかり問題としているが、足元に忍び寄る経済や文化に対する危機に気がついていない。
日本人の尊厳にかかわる危機だ。

ウクライナだって、ロシアだけでなく。
他の大国、中国やアメリカだって簡単に片付くと思っていた節がある。
プーチン大統領だけの誤算ではない。
その証拠に、侵略の初期に、ゼレンスキー大統領に逃げるように進めている。
油断は禁物。
主権を守る気概を失えば、独立は守れない。
大国の思惑と都合に翻弄されるだけだ。

誰も守ろうとしない国は守り切れない。
自由は、勝ち取るもので与えれれるものではない。

人は、自らの行いによって裁かれる。
自らの行いに責任を負うのは、自分である。
自分の行いを、他人のせいにするから、抑制が効かなくなるのである。

国を守るのは、国民の意志である。