罪を共有する事の方が、余程、人を結束させると言う、悪しき習性が人間にはある。
善とか、悪とかと言いう範疇ではなくて。
一種の儀礼のようなもので。

かつて、救世主を残虐な手段で処刑した罪を背負わされたように。
あるいは、邪悪な蛇にそそのかされて楽園を追い出された。

原罪とは、そのようなものなのかもしれない。
人は、常に、自分の犯した罪に恐れ慄いている。

共犯意識は、裏切りを防ぐ。
それは、たわいない秘密を共有する如く。
秘密の裏には、約束が潜む。

告白も懺悔も許されなず。
心の奥底に突き刺さていて、時折、疼くのである。

それは、子供の頃についた些細な嘘なのかもしれない。

ゼレンスキー大統領とプーチン大統領の決定的な違いはそこにあるのかもしれない。
一方は、秘密警察出身、一方は、コメディアン出身。
自分の弱さを隠して地位を築いた者と、自分をさらけ出して地位を上り詰めた者のさ。
何も隠すことのない者は、したたかになれる。

かつて。過激派やカルト集団の多くも、罪と秘密を共有する事で裏切りを防いだ。
思想や信条を共有するのは難しいが、罪と秘密を共有するのは手っ取り早く人々を結束させる。
高邁な理想より、罪の方が恐ろしい。
秘密めいた儀式や、呪文なんかも効果的だ。
要は、自分の倫理観にはする事。
最初は、ささやかな嘘や秘密。

しかし、反倫理である以上、容易に犯罪集団に変貌する。
秘密組織の危うさがそこにある。
だからこそ、何百年もの迫害に耐えて存続する団体まで現れる。

我々は、この事を心のどこかに記憶しておく必要がある。
何も、罪や秘密によって結束しているのは犯罪集団だけではない。
ビジネスの世界にも、学生の世界にも、官僚や、政治の世界にも、兵隊の世界にも、職人の世界にも、やくざの世界にも、宗教の世界にも普通に存在していて。

そしてそれは、ジェノサイドの記憶へとつながるのだから。
残虐とは、己の罪から逃れようとする感情が動機であることが多い。
罪悪感こそ、倫理観の本性なのだ。
無限の闇。無限の地獄。