息子は、今も一人でカナダで戦っている。
高校時代から、カナダに渡り。
カナダでは、毎年、なぜ日本は、大陸に侵略したのかと討論になり。
それぞれの国の留学生が、自分の国の立場を説明しなければならない。
だから、息子は、愛国心が強くならざるを得なかった。
でも、なぜ国は、ちゃんと、自国の考えを主張しないのか、できないのかと。
いい訳ではなく。
でも、息子以外の留学生は、毎日パーティに明け暮れ。
ある日、息子以外の留学生は、校長に呼び出され。
他の国の生徒は、皆、自分国を代表してきていると自負しているのに、君たちは何かと叱責されたという。

今の若い子たちは、何をしていいのか、どうしたらいいのかわからないで、苦しんでいる。
仕事の段取りのつけ方、差配の仕方、何を、どの様に準備したらいいのか、作業の組み立て方、指示命令の受け方、報告の意義、目的の意味。
口のきき方、仕事場での作法、仕事の仲間とどう付き合うべきか等々。
いずれも、自分たちは、社会に出る前に、親や先輩から厳しく躾けられた。
でも、何も躾けられずに、社会に放り出される。
要は簡単な事ができない、わからない。
だから深刻なのだ。さらに、深刻なのは、躾けられる人間がいない事だ。

だから、イロハから教え込まなければなない。
若い子たちは、自分たちに何が欠けているのかに気がついてきて。
食らいつくように、学び始めてきた。
俺も、自分が親父達から、躾けられた仕事のテニオハを命がけで教えてやると。
思い返せば、親父達は、若い頃に、責任を持たせ、仕事を責任をもってやり抜く事を覚えさせろ。
若いうちに、仕事の段取りのつけ方、差配に仕方、作業の洗い出し、準備に仕方を身につけさせろ。
段取り八分、前処理、準備の仕方、お膳立て。仕事は、前揃え、先決め。後揃え、後決めはないよ。
事前に承認をとれ、事後承諾は駄目と。厳しく鍛えてくれていた。
所詮、徒弟制度的なのだ。

言い訳や、嘘、誤魔化し、逃げ方を覚えさせるな。
言い訳や、誤魔化す事を覚えると一生苦労するよと。

カナダは山火事で大学の傍まで火の手が迫っているという。
仲間の一人も、防火のボランティア中に、亡くなったと。
みんな逃げないんだよ。自分の家は自分で護ると、水を撒いて逃げようとしない。

若い子たちは、必死に食い下がってきた。
でも、上が駄目だ。
言い訳や、誤魔化しばかり、逃げだす事、責任逃ればかり考えて。
何も決められないし。部下の仕事に責任を持とうとしない。
言い逃ればかりしようとする。
最後までやり抜こう、面倒をみようという気概がない。
途中で投げ出しても恥じることもない。
若者達のこと考えようともしない。
何でも適当に、いい加減に。
批判はしても、自分からかって出ようとしない。
最後も、俺関係ない。

同世代の連中は、誰も、自分には関係ない事。
何もできなですよ。
何を言っているかも理解できなし。しようともしない。
自分の事しか考えようとしない。

俺たちの所業のつけを払うのは次の世代、わかものたちだというのに
一人くらいけじめをつけようと覚悟するものが現れてもおかしくないでしょう。

そんな事していたら、若い子にいい影響を与えるはづがない。
かつては変革とか、革命なんて叫んでいたけれど。
社会改革、学園紛争といいたところで、自分の事しか考えてこなかった。
世のため人の為に働いてこなかった。悔しい。

ああ、自分は、何をしてきたんだ、何を教えてきたんだと。
そんなこと言ってられないから、自分の持てる者、学んできた事を命がけで教えると、若いのには宣言している。

そんな、悔しさわからないだろうな。

若者は、腑抜けのようになってしまって魂がない。
二十歳前から鬱病や、学習障害、引き籠もり、ニートと、社会に適合できない。
社会に出る前に子供達を躾けるのは親の責任と、両親は、厳しくしつけてくれたのに。
我々は親の教えを守ろうともせず。
こんな世にしたのは自分たちの責任なのに。
関係ないと。

親父達は、厳しくて、決して妥協もしなかったし、させてもくれなかった。
今は、とてもとても、それどころではなくて。
厳しくしようにも心が、弱くてついてこれない。

職人は、特に、十代から鍛えないというのに、猫も杓子も大学へ行かせればいいと。
その結果、大切な時間を無駄にして、大学を出ても、箸にも棒にも掛からない、人間になってしまい。

躾けたけても、やれ、パワハラとか、確かに、無茶苦茶な教え方をしてたものがいたのも事実だけれど。
だからと言って。

心を鍛えたくても鍛えようがない。

若い連中ほどさん付けで呼ばなければならない。
ベテランを呼び捨てにして、若いのをさん付けしなければならないという。

伝統技術を伝えたくとも伝えようがない。
お笑い種。最初から、技術を伝承する気もないし。
できやしない。

それでも、厳しさを求める若者も多くいる。
東日本では、他人を助けようと犠牲になった若者達がいた。
人の為に働きたいと思う若者も多い。
でも指導する人もいなければ、育てようという意志もない。
なぜそうなってしてしまったか。
誰がそうしたのか。

自分は、なすべき事をするしかない。
親父たちに顔向けできない。

最後に残ったのは、志。志がなければ。
魂がない。
仏作って魂を込めずに。
今の若い子質は、魂を抜かれ、腑抜けの様になったしまった。
大本の価値観、考え方の軸が狂うていたら、自分の考えに筋が通らなくなる。
仕事、生きるという事は、剣道、、華道、茶道、柔道といった修行に通じる。
つまりは、道なのだ。道は、自分が何を守るかによって定まる。
大切なのは、目指すところだ。
自分の為だはなく、自分を生かし何ものかのために、それが、家族かもしれない、同胞かもしれない、国かもしれない、神かも知らない。
ただ、その為に一生を捧げても悔いない人、事を見つけろと。
先輩は、少年よ大志を抱けと。

でも、どうしたら、今の若い子たちに志を持たせる事ができるのか。

世の為、人の為なんて、当たり前な道理から教えなければならない。
反面、今のメディアは、いきなり、「世の為、人の為なんてダサイ」、「強制は悪い」とか、決めてかかって話を始めるから、あたかも、それが前提のようになる。

若者たちが志が持てるようにに命を懸ける。それが自分がやらねばならぬ事。
こんなことをしていたら、確実に、この国は、存亡の危機に立たせられる。
その時、どれだけ健全な人材が残せるか。
それしかない。

もう自分は言い訳をしたくない。

息子の恥じるような生き方はすまい。

七十歳になって、生きてきた、七十年を振り返ってみた。
人間の一生なんてたかだか、百年に満たないので。
宇宙の歴史、百三十八億年。地球の歴史、四十六億年。人類の歴史、二十万年からみて、点にもならない、僅かでしかなく。
生まれる十年くらい前に、悲惨な戦争があったけれど、自分が生まれてから七十年間は、平和そのもの。
平和な状態が当たり前で、なんだかんだ言っても、毎年まいとし、同じような日常生活が送れる。
確かに、オイルショックとか、バブル崩壊なんてあったけど。
過ぎてしまえば、飢饉の様な飢えて死ぬ人もでないで。
何もしなくとも、生きていくことに困る事はなかった。
そして、このような状態が未来永劫続くと、漠然と信じているが。

自分の人生なんて全世界から見て、人類の歴史から見て、人類の歴史だって地球や宇宙の歴史からみれば、一瞬に過ぎないのに。
死ぬの生きるの、滅亡のと騒ぐけど。
幻、とるに足らない事。だからこそ、自分に正直に生きるしかない。

確かで、堅牢で、当たり前、普通に見える日常も、病気や事故などで失われてしまう。
何の変哲もない日常という事ほど、淡く、危うく、儚く、怪しく、脆い。
それなのに、今日と同じように明日がきて、未来永劫、何一つ変わりないと、信じている事のなんと馬鹿げた事か。一寸先は闇である。
たださえ、人は日々、歳を重ねているというのに。
何の努力もしなければ、只々、衰えていく。
十年、二十年後も、同じように、同じ時間がくると信じる事は愚か。
人の寿命には限りがある。
だから、今日一日、全力で生きていくしかない。
今日を生きられる事を感謝して。

成功とか、失敗とか、そんな事を怖れて、自分らしく生きられないなんて。
精一杯、生きるしかないじゃないか。
たった一回しかない人生だし。やり返しも聞かないのだから。
十代は十代の、二十代には二十代の、七十代の七十代の生き方がるというのに。

現実から目を背けても。
歳は否応もなく取るのだし。

現実から目を背けようと。
逃れられはしないのだから。

気がついてみれば、ひたひたと、危機が近づいているというのに。
うすうすは、いつまでも、こんな日々が続くはずがないと気が付いっていても。
臭いものに蓋をしろとみて見ぬふりをし。

少子高齢化と、放置すれば、次の世代に大きな負債を残す事は、わかっているのに、今が良ければ、自分たちが良ければと。

自分達が生まれる十年ほど前には、これから生まれてくる子供たちのためにと、自由と独立のためにと、すさまじい覚悟で戦って死んでいった若者たちがいったのに。
そんな事は平和な時代に生きてきた我々には関係ないと。
戦争なんて、馬鹿な事をしたと。
自分達で護らなくても、平和は他所の国の人々が守ってくれと、無邪気に信じて。

憂国、愛国なんて愚かな者の戯言。

他人がどうあろうと、自分はもう言い訳はしたくない。
子供たちに何が残せるか。世の為、人の為に役に立つことを。
例え、潰されても。
自分にできる事をやっていくしかない。
この国のために。