最近の仕事は、カオスだ。混沌としている。
無秩序で、統制も取れず、脈略もなく、取りとめがない。
それでも、成り立っているのは、過去のやり方を踏襲しているか、システムのお陰である。
しかし、それでは環境の変化に対応することもできず。
新し事にも挑戦できない。
日本の長い停滞の一因がそこにある。
だいたい、秩序や規律、統制は、悪い事だと学校で教えているのだから始末が悪い。
学校で教えてる人の意図、ひょっとしたら、彼等もわかっていないのかもしれないが、正しようもない。
しかし、仕事は、無秩序で、誰もが無責任な状態では、成就できない。
国を破滅させるのが目的なら、わかる。
しかし、それは革命家が意図する事だ。
平和で、豊かな世の中を維持しようとしたら、規律も秩序も大切な事である。

最近、中心を欠き、役割分担もない、打ち合わせや会議が見られるが、これは、厳密に言えば、打ち合わせにも会議にもならない。
単なる、話し合いに過ぎない。まあ、井戸端会議と言えば会議と言えるかもしれないが。
第一、繋ぎができないし。仕切る人間がいなければ、会議を制御できないで結論がだせない。
つまり、統制、統一ができないのである。
故に、出席者だけで、主催者も責任者、事務局、司会、議長、書記などの役割が記載されてない。
計画書は要件を満たしてない。

仕事を整理されてないで、中心を欠いたら、統制はできない。
空中分解してしまう。
仕事が集中力を欠くのは、仕事が雑然として散漫になっているのが原因である場合が多い。
組織や仕事で重要なのは繋ぎであり。
繋ぎには、繋ぎ方と形状がある。
組織の繋ぎ方には、指示命令と言った情報によりものと会議や式典などのイベントによるものがある。
形状には、一対一、一対多、多対一、多対多等がある。

中心を欠いたら、内部の統制も制御もできないし。外部への繋ぎもできない。

接点は 、何故(始まり、中継、終点等の目的)、何を(情報、作業)、誰が(役割分担、組織、権限等の人)、どの様(会議、指示、命令、報告と言った手段・情報)に、いつ(時間)、どこ(位置)で、どれくらい(費用)等の要素によって構成される。
組織や仕事を構成する部品、部分には、時間的幅がある。
時間的な幅があるという事は全体にも、部分にも始点と終点があり、個々の部分は接合点によって結ばれている必要がある。

中心を欠いたら、筋が通らなくなる。軸もなくなる。
背骨がない様なものである。
求心力も失う。
核もない。
方向性が持てなくなる。ベクトルにならない。
全体としてみれば、バラバラ。
骨格のない、クラゲのような仕事はするなといつも叱られた。

今の学校は、意味もなく、組織だの実利、体制を頭から否定する。
反抗、反逆する事を是とし。
世のため人の為なんて偽善だ刷り込む。
では、何が正しいというのか。

そんな教育を受けてくるから、世間知らずの子供ばかりになり。
社会への適合性が持てずに引きこもりになる。
誰が、その責任を負うというのか。

組織も社会もネットワーク構造を持つ。
そして、共通の規範、ルールの上の成り立っている。
一人では何もできない。生きられないのである。

集団生活をおくるために必要な知識や技術を教えずに社会に放り出すのは、残酷な仕打ちである。

出会いと別れ。
その意味も解らないで生きていくのは、哀れでしかない。
ただ、孤独しか残されていないからである。