人は、変化を受け入れなければならない時がある。
万物は流転する。
諸行無常、この世にあるもので、変化しない物はない。
神羅万象、全てが、変化すると言うのに、自分だけが変わらないと言うわけにはいかない。
自分のいない会社、自分の居ない世界、自分のいない生活は想像できない。
しかし、思い浮かばなければならない時が必ず来る。今がその時だと思う。
変化は、創造と破壊を伴う。
インドのシバ神は、創造と破壊の神である。
シバは、変化を象徴する車輪の前で踊る。
ツバメは、鳥である。
鳥には、不死鳥伝説が世界中にある。
不死鳥、フェニックスは、燃え盛る炎の中から蘇ると言われる。
ツバメも火の鳥である。火の鳥となる。
あらゆる困難や障害は、不死鳥となるための試練である。
燃え尽きるか、それとも、不純物を焼きつくして純ある魂を宿すか。
それは、一に志の問題だ。
この国は、六十年前に戦争に敗けた。
焼け跡の中から不死鳥の如く、蘇った。
蘇らせたのは、生き残った若者達である。
三等重役と謗られても後事を託された若者たちの奮起である。
明治維新の時もそうだ。
この国を、欧米列強からの侵略から守ったのは、幕末の志士たちである。
人は変化を受け入れねばならない時がある。
受け入れなければ、ただ老い衰えていくだけだ。
今の日本は、変化を受け入れようとしない年寄りが多すぎる。もう若くはない。
その事を受け入れなければ、変化に適用できなくなる。
創業の時に若くても、やがて老い衰える。
先人たちが変化を受け入れようとしなければ、若い魂は窒息する。
だから、企業の寿命三十年という。
しかし、千年も続く企業もある。
死と再生、破壊と創造を繰り返してきた。
守るべき魂と破壊すべきものは何か。それを過てば、燃え尽きてしまう。
生と死、死と復活は、キリスト教徒にとって一番大切な事。
だから、一神教徒は、変化に立ち向かう。
日本人は、諸行無常とあきらめる。
変かは、創造と破壊を伴う。
破壊を躊躇したら、新しいものは生まれない。
生みの苦しみである。
明日から、全てを一新する。
言うは易き、行うは難きである。
ただ、変化を受け入れやらねば、ただ老い衰えるだけでである。
やらなければならないなら、覚悟を決めて前進あるのみ。我らの旗の下、全てを変える。