自主性や主体性の意味わかってる。
困った事や問題が生じたら、率先して、協力して、解決すること。

誰の意見も聞かないで、やりたい事を、やりたいようにやる事を、自主性とか、自発性というのではない。
自分が、やらなければならない事を自覚と責任をもって自分から進んでやる事を自主的という。
自分とは何かもわからずに、自分の役割も理解しないで、自主性なんて持ちようがない。

文句ばかりたれてないで、仕事しろって怒られていたものさ。

人に言われてから解決するのではなく。
自分たちで解決する。
文句言ったり、批判たりしていてしてもなんの解決にもならない。

肝心なのは、日常的な通常、定型業務、これらの仕事は日常業務に埋没していて普段は、重要性に気が付かないが、停滞したり、穴が空くと、すぐに影響は全社に及ぶ。累積すると整理がつかなくなる。
仕事は流れで見る。穴が空いたり、接続がうまくいかなくなったら、速やかに、穴を埋め、接続し直す。
人が変われば仕事のやり方も自ずと変わる。

基幹業務は一般に、全ての部門が関わっているから、流れを見る必要がる。
なぜなら、基幹業務は、通常、あらゆる箇所、部門が連携する事で成り立っている。
連携しなければできない仕組みになったいる。

基幹業務で一番求められるのは、継続性。
心臓や肺を片時も止められないのと同じ。

システム化される以前は、全ての仕事は人力で処理していたから、一人でも辞めるとか、休むとすぐに支障をきたす。
だから、困ったら、困った部署の人間が、一致協力して穴を埋め、問題を解決してきた。

軍で言えば、指揮官が戦死すれば、すぐに、作戦に支障をきたす。
だから速やかに、次席の者が変わって指揮を執る。
だから、専任制のような仕組みがあらかじめ組み込まれている。

ところが、業務が定型化、標準化されシステム化すると、問題や事故が起こらない限り表面化しない。
ミズホのシステム障害が典型である。
かつては、全ての業務は、人の力で処理をしていたから、問題は、一人ひとりの処理能力あり障害は限定的だったが、システム化されると機械が馬鹿になったら影響は全体に及ぶ。

何か、あったんですかではないよ。
何かあってからでは、手遅れだからね。
その鈍感だが危険なんだ。

変革している部分とか、新規の部分は、氷山の一角に過ぎない。
重要な仕事の多くは、水面下に隠されている。

勘違いしてはならないのは、管理する事と情報を処理する事を一緒に考えてはならない事。
システム化されると、情報の処理は自動化できる。
しかし、勤怠の管理や売掛金の管理まで自動化できるわけではない。
危険なのは、勤怠にしろ、会計処理にしろ、集会までは、目を瞑っていてもしてくれる。
しかし、問題個所を特定するのは人だからね。
人の力がかからないとその分、課程が見えなくなる。
それが、ブラックボックス化さ。
今、騒がれている問題の本質は、システムが深化する事で人の仕事がなくなる事ではなく。
システム化が進むと、当たり前な事が当たり前に処理できなくなり。人間が馬鹿になる事である。

誰が記録し、誰に、報告し、誰が、確認・集計・整理・分析・調節し、誰が判断、誰が責任を持って管理しているか。
システムによって情報処理はされているが肝心なのは誰が管理をしているか。

基幹業務は地道な業務で、一見、当たり前に見えて馬鹿にするが、当たり前にできなければ、組織が破綻するような仕事。

普段は、できて当然で、誰にでもできる事と錯覚していて実務のわからない者は、馬鹿にする。
しかし、穴が開いたり、損傷したままにしていおくと、大惨事につながる。

入出金管理、勤怠管理、資金繰り、配送管理、在庫管理、受発注管理、検針集金管理、販売管理、顧客管理、売掛金管理。請求書管理等。
だから、引継ぎが重要となる。

引き継ぎは基本的に、基幹業務から行う。
それは、基幹業務は不可欠な業務であり、継続しなければ会社が成り立たなくなる業務だから。

基幹業務は埋没している場合があるから、
その点を注意する。

基本的に、帳票類一覧を作成し、定型的に作成している成果物から、引き継ぐべき作業を割り出す。
基幹業務で、定期的に帳票類が作成されていない場合があたら、その業務は欠如、欠落している可能性があるので、早急に補修する必要がある。
引継ぎは、引継ぎをする者だけでなく、作業の前処理をする者、後処理をする者との、すり合わせをする必要がある。
また、管理者との確認も必要。
つまり、前後左右、上下との調整が求められる。

マネジャー会議の過半は、業務上の連絡。
後は、指示命令の伝達。報告。
討論会でも、話し合いでも、学級会、クラス会でもない。

基幹業務とは、単純、反復、繰り返し、馬鹿な仕事。
馬鹿な仕事だけど、馬鹿な仕事だから、そこが滞ると頓死する。
基幹業務が原因でトラブルになっても気がつかない。
だから怖い。
事故だって、病気だって、小さなことの累積が原因であることが多い。
簡単な事を、「馬鹿にするな。」と、馬鹿にするから災いを招いているのに気がつかなければ。
改めるなら、気がついた時に速やかにやれ。
意地を張らずに。

仕事には、変えていい部分と変えてはならに部分がある。
また、環境の変化や、条件の変化に従って変えなければならない部分もある。
何を変えて、何を変えてはならないかは、次々刻々変化してる。
飛行機は、離陸する時と、巡航飛行する時と着陸させる時とでは、変えていい部分。変えてはならない部分は違う。また、天候などの環境が変化しても違ってくる。
会社、組織も、成長期と成熟期では操作すべきところは違うし、好況、不況でも取るべき施策は違う。
基幹部門の多くは、通常は、変えない。
保守的な部分だが、時代の変化や組織が老朽化した時は、抜本的に変える必要が出てくる。
去年正しかったら、今年も正しいというのではなく。
毎年まいとし、怠りなく点検し続けなければ。
目先の変化に囚われて、足元の業務と疎かにすると思わないところで足をすくわれる。
先輩たちは、見てなかったなんてことはない。
むしろ、目を離すな。油断して目を離すと、あっという間にわからなくなるぞと注意し続けていった。
継続できなかったとしたら、甘くみた自分たちの責任だ。

あの時、変えたらよっかたとか、変えればよかったとか。
たら、タラレバは、言うなと親父は言っていた。

基幹というのは、人で言えば、飲んだり食べたり、寝たり、糞尿をするようなこと。
要するに、生存に関わる働き。
若い子は、低俗、低級と馬鹿にするように、戦後、教育されたが。
この様な仕事が、誰にでも、簡単にできるようにしたのは、先人たちの知恵。
その究極がシステム。

基幹業務は、できませんでは許されない仕事。
待ったなしの仕事。
だから、誰にでもできるように、わかるようにしておけと。
銀行のシステム障害も、高度な作業で発生しているわけではない。
言わば窓口業務。
誰にでもできる窓口業務だから、始末が悪い。
車で言えば、ブレーキペダルを踏めば、ブレーキがかかる事が信じられるから安心して運転できるので。
ブレーキペダルとブレーキが連動してないなんて思っただけで車は、怖くて運転できない。
基幹業務は、車の制動装置みたいなもの。
当たり前と言えば当たり前だけど、そこに障害が起きている。
今の日本で起きているのは、難し事ができないと言うより簡単な事が出来なくなりつつある事。
だからこそ、深刻なのだ。

システム化が今日ほど進む以前なら、一旦、システムを止め、人力に戻せばいいのである。
ところが今はそれができない。
だから、原因もつかめない。
かつて、銀行は、一円でも合わなかったら大騒ぎしたのに。
今は、システムに問題をすり替えている。
かつて、経理は、一枚いちまい伝票を括っていた。
だから、一担当者でも異常なお金の動きを察知する事が出来た。
今は、簿記がわからない経理が増えている。

我々は仕事の基本として、最も重要な事として躾けられた。
最近の若いのは、何もやってこなかったと年寄りを馬鹿にするが。
やってこなかったのではなく。当たり前な事を馬鹿にして、その重要性に気がつかず。
素直に学ぼうとしない。継承されなかっただけ。
それは我々の世代から始まった。
反省すべきである。
しかし、もうそんな事は言ってられない。
少しは聞けよ。そして、地道な努力をしないと。
基本を馬鹿にしないで。

やりたい仕事を、やりたいようにやる事を自主性とか、自発性というのではない。
自分が、やらなければならない事を自覚と責任をもって自分から進んでやる事を自主的という。

新しい事に挑んではいけないと言ってるのではない。
むしろ、果敢に挑戦をしていかなければ生き残れない時代。
だがだからと言って基礎、基本をないがしろにしていいというのではない。
土台がしかりしているから、変化に耐えうるので。

新し事ばかりがいいというのではない。
事の是非善悪に新旧老若男女の区別はない。
最新だからと闇雲に取り入ればうまく良くというのではない。
変化は、土台がしっかりしているから受け入れられるので、基本を無視したら成り立たない。
新し技は、基本を身に着けているから体得できるので、キャッチボールもできないうちに変化球ばかり覚えようとしたら、体を壊すだけである。
仕事の七、八割は、基礎的業務である。基本を馬鹿にしていたら仕事は覚えられない。

戦略の世界でも日本人は作戦ばかりに目を向けるが、世界の大勢は、ロジステック(兵站)、情報にある。
作戦計画は、重要ではあるが、即影響が出るわけではない。
しかし、基幹業務は、企業の中枢となる部分、心臓や、肝心となる部分、手足となる部分だという事を忘れないように。