「お金」の在り方が劇的な変化が顕著となった。
それが経済を根底から変えようとしている。
その変化の根本を理解しないと重大な錯誤をする事になる。

一つは、「お金」の無形化である。物的働きが失われる事を意味する。
一つは、情報化である。
一つは、物的価値とのむすびつきが失われ。純相対的な尺度に純化した。
これは、お金の働きによって価値が定まるようになったことを意味する。

「お金」が、無形化するというのは、「お金」が、実体を失い、働きに純化することを意味する。
物としての実体を「お金」が失うという事は、「お金」が、物としての制約を失う事も意味する。
物としての制約がある時は、物理的な限界の範囲内で機能していた。
それが、無形化する事で、物理的な制約を受けなくなる。
つまり、総量の物理的な上限がなくなる。
働きによって総量を抑制しなければならなくなる。

「お金」の働きとは、一つは、価値である。
「お金」の価値は、交換価値である。
交換とは、媒介としての価値である。二つ目は、情報である。
三つめは、尺度、基準としての働き。
気をつけなければならないのは「お金」は、長さ、重さみたいの絶対的基準ではなく。
相対的基準だという事である。「お金」は、比率によって成り立つ相対的基準である。

使用価値と交換価値の違い。
使用価値は、そのもの自体にある価値で、絶対的価値を持つ。
例えば、水には、水の価値がある。
このような価値は、本来、交換価値とは、独立した、そのもの固有の価値である。
それに対し、交換価値は、そのもの自体が持つ価値ではなく。
他の物との交換によって成立する価値、相対的価値である。
交換価値は比率によって決まる相対的な価値だから、全体が制約されることによって成り立っている。
貨幣価値に総量は、上に開いていると、抑制が効かなくなる。
物価の上昇を防げなくなる。

不兌換紙幣制度になる以前は、物の価値と結び付ける事で、上限を制約していた。

「お金」と他の生産財とは、明らかに性格が違う。
ところが「お金」と生産財とを混同している人が結構いる。
「お金」を使用価値で測ろうとしているのである。
「お金」以外の生産財で問題なのは、使用価値なので使用量が問題となる。
生産財は、使えば減る。食料やエネルギーは、どれだけ消費したか、使用したか、そして、残高がどれくらい残っているかが問題となる。物理的な絶対量が重要なのである。
それに対し「お金」の場合は、交換価値が問題なので、流通量が問題となる。
「お金」は、使っても、市場に流通する流通量は減らない、つまり、影響がないのである。
「お金」は、交換価値で尺度であるから、流通量が問題となる。
だから、「お金」は、不足したら、ジャンジャン、生産すればいいと言うわけにはいかない。

「お金」には、固有な制約条件が求められる。
上限が閉じていないと単位を特定できないからである。

何らかの形で市場の流通量を制約する必要がある。
物としての制約を受けなくなった事から、構造的に制約を設定せざるを得なくなった。

流通量とは、流れる量、つまり、動的量であるから、時間の関数を意味する。
故に、流通量は、単位期間内に市場の総量である。

「お金」は、流通する事で、効用を発揮する。
「お金」は、支払準備である。

「お金」は、媒体である。

主体は、生産主体、分配主体、消費主体がある。
一般に生産主体は分配主体を兼ね、生産活動に応じて、支払い手段である「お金」を組織的に分配し。
消費主体は、働きによって得た支払い手段である「お金」と財を交換する事で、経済活動を完結する。

「お金」は、生産主体、分配主体、消費主体を、めぐる事で生産、分配、消費を実現する。